字書きさんに100のお題

配布元:Project SIGN[ef]F

■ジャンルごった煮
■現在8点
■上にあるほど新しいものです

074:合法ドラッグ
 ラグナロクオンライン(ゲーム/オリジナル設定)
 プリースト×ウィザード

035:髪の長い女
 オリジナル

096:溺れる魚
 ラグナロクオンライン(ゲーム/オリジナル設定)
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[074]合法ドラッグ

【名称未設定】

「ずるいと思うんだよね」
 古い肘掛け椅子の脇からふいに聞こえてきたその発言は、かなりの勢いで唐突だった。
 いわゆる場の雰囲気なんてものは、かけらも考慮されていない。そのわりに声色は不満そうというわけでもなく、奇妙なまでに淡々として聞こえた。
 肘掛け椅子にもたれていたプリーストは、酒の入ったグラスを手にしたまま声がしたほうを見下ろす。微妙な違和感を感じ取ったからだ。
 めったに表へ出すことがないだけで、視線の先にいる銀髪のウィザードが負けず嫌いであることはプリーストもよく知っていた。だが少し前までの己の言動を振り返ってみても、該当するような事柄は見あたらない。
 そもそも、自分から不満を表明するという行為自体が、めずらしいといえばめずらしかった。
 もしかしたら、明日は嵐になるかもしれない。
 そんなことを思いながら高い位置で結った紫色の髪を揺らして、プリーストは口を開く。
「なにがだ」
「体格差」
 速攻で返ってきた答えは、唐突さに負けないくらい突拍子もない。プリーストが唖然としていることに気づいているのかいないのか、ウィザードは明後日の方向を向いたまま言葉を続けた。
「なんでむやみやたらと無駄に育ってるワケ? でっかいから太くなくても重いし、体力も腕力も耐久力もさほど変わんないくせに僕のこと軽々と担ぐし、むかつく」
 かなりの勢いで言いがかりに等しい。プリーストがあまり鍛えていないにしろかなりの長身をほこっているのは、決して本人の意思ではない。どちらかといえば不可抗力だ。
「そう言われてもな……おまえもやってみるか?」
 そして言いがかりですら嬉しく感じてしまうのは、今に始まったことでもない。
「できるわけないじゃん」
 機嫌良くプリーストが問いかければ間髪おかずに、こちらは機嫌のよくなさそうなウィザードの声が聞こえてきた。
 平均身長を軽く越すプリーストとは反対に、ウィザードはかなり背が低い。その差は平気で頭一つ分以上ある。
 まるで大人と子供のような体格差だけではない。支援を得意とするプリーストの腕力もたかがしれているが、知力に特化しているウィザードの非力さは軽くそれを下回る。担ぐなどもってのほか、引きずるのがせいぜいだろう。
 もちろん、そんなことは承知の上だ。出来るわけがない。物理的に不可能であるとわかっているからこそ、ふてくされているウィザードを眺めてプリーストは楽しそうに笑う。
「そうか、残念だな。おまえが相手なら平気だと思ったんだが」
「なにが平気なんだよ」
「身体の自由が利かない状態は好きじゃない」
 床に座り込んだまま椅子を背もたれにしていたウィザードが、そこでようやくプリーストのほうを見上げた。
 そんなことを気にするなんて、と意外に思ったのかもしれない。もしくは自分は平気で人を抱き枕にするくせに、と呆れたのかもしれない。そのまましばらくじっとプリーストの顔を眺めていたウィザードだったが、なにかを思いついたようだった。
「よいしょ」
 にこりと可愛らしい笑顔を見せると、頬杖をついて椅子の肘置きを占領する。
「…………」
 追い出されたプリーストの右腕は、行き場がなくなる。結局は自然と、ウィザードの頭の上へと落ち着いた。
 自分が追い出した腕に肘置き代わりにされたウィザードは、それを気にしている風もない。重いのか少しだけ目を細めたものの、払いのけようとはしなかった。
「自由、ねぇ。それ、担ぐとか抱き上げるとかだけに限らないよね?」
「そうだな」
「担ぐのも抱き上げるのもどう考えても無理だけど、そうだなあ。押し倒す、だとどう?」
 ありえないことを言われて、一瞬とはいえプリーストの思考が停止する。
 正確にいえば、ありえないことではない。
 だがそれをウィザードが口にしたとなると、事情が変わる。そういった方面への興味と執着が極度に薄いこの相手からそんな台詞が飛び出してくるとは、さすがのプリーストも予想だにしていなかった。
 それでも。
 驚愕を通り越してしまえばそれは十分に魅力的で───なおかつ、こみ上げてくる笑いの発作を抑えられない程度にはおかしい。
 だから。
 つい、こんな言葉が口をついて出た。
「あっはっは、いいんじゃないか? やれるのならやってみろ。相手がおまえなら、甘んじて受けてやる」
 いろいろな意味で、できるはずがなかった。
 プリーストはウィザードのことをよく知っている。物理的だけではなく精神的にも、ウィザードはそれを成し遂げられる要素を持っていない。
「それ、絶対できるわけないと思ってるよね」
 ウィザードもそれはわかっているのだろう。大笑いされて決して機嫌はよくないだろうに、なぜか笑顔のまま、こう聞いてくる。
「当たり前だ」
「ふーん、そう」
 それは、気のなさそうな返事に聞こえた。
 音もなく、ウィザードが立ち上がる。つられて視線を上げたプリーストの目に映ったものは───極上の、なにかを企んでるとしか思えない笑顔。
 もしかしたら、気がつかないうちに大きな墓穴を掘ったのかもしれない。
 プリーストがそれに思い当たった時には、すでに遅かった。決して頑丈な造りとはいえない部屋の中に、自然のものとは思えない冷気が満ちている。
「凍てつく氷の息吹よ、我が示し彼の者の動きを封じよ、フロストダイバー!」
 すでに耳慣れた呪文が完成すると同時に、視界が冷たい色に染まった。
 視界だけではない。冷たすぎて痛みすら感じる冷気に全身が包まれ、身動きすらできない。いわゆる、氷漬けにされている状態だ。
 酒が入って気分が良くなっているときに、うかつなことを言うものではない。心も身体も弛みきっていて、呪文の詠唱を邪魔することすらできないということを今さらのように知る。
「天空を制す聖なる神よ、我が手の示すままに大いなる怒りの雷を降らせよ、ユピテルサンダー」
 そして次の瞬間、痺れをもたらす強烈な痛みが全身を貫いていく。
 叩きつけられるいくつもの雷光に包まれたまま、プリーストは凄まじい勢いで吹き飛ばされた。


「あ、気がついた」
 意識を取り戻したプリーストが最初に見たものは、満足そうなウィザードの笑顔だった。
 その向こうには天井がある。どうやら板張りの床の上に、仰向けに倒れているらしい。
「どう? できたよ」
 瀕死状態というやつなのだろう。身体が、ずしりと重い。痛覚が麻痺しているのかさして痛みは感じないものの、指一本動かせそうになかった。
 かろうじて視線だけを動かせば、仰向けになった自分の腹を座布団にして、ウィザードがちょこんと座り込んでいるのが見える。
 ……言いたいことはいくらでもあるが、確かにこれも一応は『押し倒した』の範疇に入るのだろう。
 心の中で、プリーストはそう思う。
「……スキルを使うとは、な……」
 必死で絞り出した声は、情けないまでにかすれていた。
「使っちゃダメ、なんて言われてないもん」
 聞こえにくいのか、ウィザードが腹の上に乗ったまま上体を傾けてくる。痛みよりも、息苦しい。
「かわいそーに、このまんまじゃ身動きもできないよね。だいぶ前に瀕死になっても絶対おとなしくなんかしてないとか言ってたの、どこの誰だっけ」
 朦朧とした意識と視界の中、ウィザードの声だけがなぜかはっきりと聞こえていた。
 どうしようもない脱力感を覚えて、プリーストはぐったりと目を閉じる。いっそこのままもう一度、意識を手放したほうが幸せになれるのかもしれない。
 プリーストが自分自身へとそう問いかけたとき、唇に柔らかいものが触れた。
「…………?」
 死にかけた感覚に、生気が吹き込まれる。
 柔らかく温かいものが、プリーストの唇と舌をゆっくりとなぞっていく。紗を隔てたまま触れられたかのような、そんなあいまいな感覚がプリーストの意識を一瞬だけ攫った。
 だが、その温かさはすぐに離れていってしまう。あやふやな意識のまま、それでも物足りなさを感じたプリーストを次いで襲ったのは、強烈な苦みだった。
 この味には、覚えがある。
 死者をも蘇らせるといわれる、イグドラシルの葉。
「…………っつ」
 途絶えかけていた痛覚が、一瞬のうちに戻った。
 重さと冷たさしか感じなかった全身に、焼けつくような熱さが走る。
「我が手に癒しの光を……ヒール」
 身体が跳ねるかのような痛みを和らげたのは、耳のすぐ側から聞こえた声。今度こそしっかりと意識を保って目を開ければ、至近距離にウィザードの顔があった。
 自らの手で瀕死の状態に叩き落とした相手に、口移しでイグドラシルの葉を与えるというかなり矛盾したことをやらかした人物は、にこにこと楽しそうに笑っている。
 衝動で、プリーストは目の前にある身体を抱きしめた。
 ……抵抗はない。
 腹の上に乗ったままになっていた小柄な身体を引き倒しても、その上に覆い被さっても、ウィザードは面白そうな表情で見上げてくるだけだ。
「イグ葉を使えば結局こうなるのは、わかっていたんじゃないのか」
 プリーストにも、己の性格をある程度は把握されている自覚がある。プリーストが身動きできるようになればあのままおとなしくしているはずがないということくらい、ウィザードは身を持って知っているはずだった。
 床へと散らばった銀の髪を手ですくって、プリーストが問いかける。返ってきた答えは、無造作な一言。
「もう満足したから、いい」
 何を考えているのか、ウィザードの両腕がプリーストの首へと回される。
 そして小さく、笑った。


【CAST-074】
プリースト(♂)
ウィザード(♂)

とあるほもカップルの日常inラグナロクオンライン。
って、日常なのかコレが。サバイバルだな。
ふくさんのRO本のオマケとして作った無料配布本の中身でした。あっちでは名前アリでしたが、こっちではあえて名前カット。
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[035]髪の長い女

【楽園】

 その店の存在に気づいたのは、まさしく偶然だった。
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[096]溺れる魚

【それは暖かい初夏の午後】

 遠くの方から、ぽよんぽよんと何かがはねる音が聞こえた。
 しかもひとつではない。その音は、次々とこの近くへと集まってきている。
 この島に生息している生き物は主にポリンと呼ばれる無害なモンスターで、落ちているものへと群がりそれを拾い集めて回る性質を持っていた。何匹ものポリンが近寄ってきているということは、おそらくこの近くになにかアイテムでも落ちているのだろう。平和といえば平和この上ない光景を考えるともなく想像して、イーズは人知れず小さなため息をついた。
 音が聞こえるのだから、少し視線を動かせばその情景はすぐにでも視界に入るはずだった。だが閉じていた目を開いて周りを見回しても、愛想もそっけもない土壁しか目に入らない。
 見上げれば、そこには丸く切り取られた雲一つない青い空。光が届くのでさほど暗くはないが、あまり快適な環境だと断言できそうにはなかった。
「うーん。こりゃ、いくらなんでもなんか言われるよなぁ……?」
 どこの誰が掘ったのか知らないが、やたらと深い落とし穴の底で。
 イーズはもう一度、穴の深さに負けないくらいの盛大なため息をついた。


 ルーンミッドガッツ王国首都プロンテラの衛星都市イズルード。その南方には、通称ポリン島と呼ばれる場所がある。
 たまに天使の羽根が生えたポリンや幽霊のようなポリンといったやや凶暴な魔物が出没することもあるが、基本的にそこはポリンやドロップス、ポポリンといった手さえ出さなければなにもしてこないおとなしい魔物たちの楽園だ。駆け出しの冒険者が必死な顔で修行を積んでいることが多く、仮にも二次職と呼ばれる上級職業に就いている者にとってはさほど怖い場所でもない。
 もちろん、アサシンであるイーズにとってもそうだった。のんびり平和にポリンとたわむれつつ昼寝でもしようかと、そんな思いつきを実行するためにイーズはポリン島へと足を運んだくらいだ。少々予想外のことが起こったとしても、自分の力でなんとかできると思っていた。
 それが油断に繋がったわけでは、ない。と、イーズは思っている。正確には、思いたい。
 だが、たわわになったブドウの樹にじゃれつくポリンとドロップスに視線を向けたまま
前を見ずに歩いていたら、思いっきり落とし穴に突っ込んだというのは仮にもアサシンとしてどうなのか。
 しかも落ちた穴は予想外に深くて、ただ掘られただけの土壁には足がかりになりそうな場所が見あたらない。そのためひとりではここから脱出できそうにないというこの事実はどうすればいいのか。
 イーズは今、そこで大きな問題にぶちあたっている。
 出られないだけであれば、助けを呼べばいい。それは簡単だ。イーズには固定でパーティー契約を結んでいるパートナーというべき相手がいるし、冒険者たちが独自に結成するギルドにも所属している。すぐ近くを通りすがる人がいなくても、パーティーやギルドのメンバーに己の声を伝える方法はいくらでもある以上、助けを呼ぶのはなにも難しくなかった。
 問題なのは、その助けを呼ぶという行動そのものだ。
「……あいつ呼んだら、そりゃもう力いっぱいバカにされるよなぁ……?」
 口に出して呟いてみれば、反射的にパーティーを組んでいる相手の顔が脳裏に浮かんでくる。その人物に、落とし穴に落ちて出られないから助けてと素直に頼んでみたら、どうなるか。
 反応は考えるまでもなく容易に想像できて、その救いのなさにイーズはそのまま地面へとのめり込みそうになった。
 バカにされるのも頭ごなしに叱られるのも、不本意ながら慣れている。とはいえ、イーズはそれを楽しみにできるほど自虐的でもない。どちらかといえば、あまり得意ではない努力を重ねてでも回避したかった。その努力が実を結んだことはついぞなく、ことごとく無駄に終わっていたとしても、だ。
「う、ダメだ、ダメ。それじゃなくても立場なんかないしバカだと思われてるのに、こんなことバレたらいくらなんでもさすがに」
「さすがに?」
「さすがに修復できないくらい最下層になるっつーか……でも秘密にしたところでどうせすぐバレ……え?」
 でもギルドのメンバーに頼んだら、絶対そこからバレる。人づてにあることないこと加わって大きくなった話が伝わるよりは、自分で最初から恥をさらしたほうがマシなのか。そこまで考えて、イーズはやっと違和感に気づいた。
 なぜ、独り言に応えが返ってきているのか。ここにはイーズ以外、誰もいないはずではなかったのか。
 疑問が先に立って、行動が追いつかない。戦闘時であれば考えるより先に身体が勝手に動くのに、命の危険がないというだけでこうまで反応が鈍くなるのはなぜだろう。
 そのまま固まってしまったイーズの上から、声がふたたび降ってくる。愛想もなければ遠慮も感じられないそれは、聞き間違いすらできないほど聞き慣れたものだった。
「お前の立場なんて元から最下層だ。そんなわかりきったことを気にするなんて、今さらだろうが。ああ、それともさすがに現実を見つめる気になったのか? 遅すぎるとは思うが、いい傾向ではあるな。とりあえずその呆けた面をなんとかしたらどうだ、見苦しい。……おいイーズ、人の話を聞け」
 立て板に水の勢いで流れていたと思った地上からの声が、急に止まる。それでなくても冷たい声に含まれた苛立ちにイーズが気づいたその瞬間、なにか固いものがばらばらと上から降ってきた。
「だああ! 痛いじゃんか、石落とすな……ぶっ」
 避けることも忘れて抗議をしよう顔を上げたイーズの顔面に、とどめとばかりにぶちあたったのは……ゼロピーと、ガレット。そのあたりで跳ねているポリンが出したものだろうか。
 当たってもさほど痛くはないが、完全に見下ろされる立場にいるイーズからすればその仕打ちこそが心に痛い。ひっそりと涙目になりつつ、今度こそ上へと視線を投げる。
 凶器とも言い難いかわいらしい凶器をばらまいた人物の顔は、逆光で見えなかった。だがその声とシルエットの持ち主は、どう見ても。
「その程度で痛がるとは情けないアサシンだな。そもそも当たるな、避けろ。ああ、それ以前にそんなところでうずくまっていること自体が十分情けないが。大体、それは石じゃない」
「……う。ガレットとゼロピーを粗末に扱っちゃダメだろっ!? いくら安いからって!」
「値段の問題じゃない。それは僕が倒した魔物から拾ったものだ、どうしようと僕の勝手だろう」
「そりゃまー、そうなんですけど……」
「それより、なんでそんなところにいる。穴を掘る趣味でもあったのか」
「そんな趣味ないって……」
 イーズの幼なじみにして今は冒険者としてのパートナー、今この状況ではちょっと会いたくなかったかもしれない、ウィザードのフェイゼルだった。


「それで、だ。そんなところで何をしている」
 問いかけてきたフェイゼルの声は、面白がっているわけでもなく不思議がっているはずもなく、ただひたすらに不機嫌だ。
 イーズには、フェイゼルに勝てると思ったことが一度もない。遠慮を知らず外面など気にもしないくせに常識と良識にはうるさいこの幼なじみは、無駄に頭が切れるし舌の回りも抜群だった。明るさと前向きさと無謀さにしか自信がないイーズは、もう最初から気分的に負けている。
 しかも勝とうとしていないのだから、仕方がない。イーズにとってなによりも優先すべきことは、バカが嫌いなはずのフェイゼルに見捨てられないようにすることだった。
 目が慣れてきたのか日差しの向きが変わったのか、今は穴の底にいるイーズからもフェイゼルの顔が見える。その表情はどうひいき目に見ても機嫌がよさそうには見えなくて、イーズは助けを求めるかのように辺りへと視線をさまよわせた。
 ……当然、助けてくれるものはみつからなかったが。
「なにしてるのかなー……」
「知るか。僕に納得できるように、最初からきちんと説明してみろ」
「納得って、そんなムチャな」
 説明すれば起こった事実を理解はしてもらえるだろうが、納得してもらえるとは思えない。反射的にそれをそのまま口にしかけて、イーズはあわてて口をつぐんだ。
 だが、少し遅かったようだ。フェイゼルのことさら冷たい視線が、イーズに頭から突き刺さる。錯覚かもしれなかったが、フェイゼルのこめかみが微妙にひきつったようにも見えた。
「挑戦する前から考えもせずに無茶、だと? 少しはその乏しい脳味噌を使ってみようという気にはならないのか? ああ、そんな建設的なことを考えるようであれば、今頃こんな状況に陥ってはいなかったな。すまない、僕の考えが甘かった」
「あの、その、フェイ?」
 話の焦点が余計に嬉しくないほうへとずれている。少しでもマシなほうに軌道修正しようとしたイーズは、その瞬間に失敗を悟った。
 つい、口が滑ったのだ。そしてフェイゼルがそれを聞き逃してくれるはずもなく。
「そのどこかの街の通称もどきな呼び方はやめてもらおうか。僕にはフェイゼルというちゃんとした名前がある」
 案の定、頭上の気配がますます冷たくなる。こうなってしまうと、もうイーズにできることはひとつしかない。
「すいませんごめんなさいもう言いません」
「……その台詞を口にするのが通算何度目になるか、教えてやろうか。まさか鳥頭のお前が覚えてるわけはないだろうしな」
「忘れてるに決まってるー!!」
 イーズがフェイゼルのことを『フェイ』と呼んでいたのは、まだフェイヨンという街のことも知らなかった幼い頃のことだ。イーズの世界もフェイゼルの世界も小さくて、住んでいたプロンテラの街の外のことはほとんどなにも知らなかった。
 それにプロンテラは、ルーンミッドガッツ王国の首都としてかなりの規模を誇る街でもある。小さな子供たちの遊び場としては広すぎる街には、外へ関心を向ける余裕すらないほど知らないことと不思議が満ちていた。
 その頃から頑固でわがままなくせに、悪さやいたずらといった遊びとは無縁だったフェイゼルは、やはり知的好奇心旺盛な知りたがりの子供だった。イーズはフェイゼルについていくのが精一杯で、でもフェイゼルが楽しそうであればそれだけで自分も嬉しい、これまた極端に単純な子供だった。
 プロンテラで得られる知識だけでは満足できず、先に外の世界へと飛び出したのもフェイゼルだ。『フェイ』と呼ばせてもらえなくなったのも、それと同時だった。
 イーズには、フェイゼルが何を考えているのかはわからない。ただ、置いていかれたくも見捨てられたくもなかった。なぜかと聞かれても「好きだから」としか答えられないくらい、もしかしたら刷り込みによる条件反射なのかもしれないくらい、イーズの本能的な部分に根差した欲求だ。
 置いていかれまいと焦りすぎて大きな墓穴を掘ったこともあるが、それはあまり経験として活かされてはいない。
「で? その鳥頭はなぜそんなところにいる? 穴の底にレアアイテムでも落ちていたか」
「えーと……ポリン見て和んでたら、落とし穴に落ちました」
「馬鹿か、お前は」
 間髪入れず、フェイゼルが予想通りの冷たい反応を返してくる。
 自分でもそう思ってしまっているイーズには、当然なにも反論できない。できることと言えば、話を逸らすことくらいで。
「さっき拾ったポリンカードあげるから、怒らないで?」
「……古代の聖霊よ、集いて汝が前の敵を討て。ソウルストラ……」
「わー、ごめんなさいごめんなさいー!! つーか念は痛いって! 俺、モッキン装備してんだから!」
「鎧に属性カードを挿してなければ平気だろう。それより、驚いたな。ソウルストライクが念属性ということを覚えていたのか」
 今さらなことに気を取られて感心したせいか、完成直前でフェイゼルの魔法詠唱が止まる。額に浮かんでいたり背を伝ったりしている冷たい汗のことはあえて気づかないふりをして、イーズは必死で首を縦に振った。
 ソウルストライクは、一次職であるマジシャンが覚えられる魔法のひとつだ。主に四大精霊を操ることになる魔法士魔法の中では少し特殊で、念という属性に系統づけられている。念とは実体を持たない幽霊や悪魔に属するものであり、通常の物理攻撃は通用しないかわりに、同じ念属性の攻撃には弱いのだ。
 これは逆のこともいえて、普通の人間を代表する無属性というカテゴリの相手には念属性の攻撃は効果が低い。だから通常であればイーズがフェイゼルのソウルストライクをくらっても大したダメージは受けないのだが、アサシンのような回避力を重視する職業の冒険者は高確率でモッキングマフラーやモッキングマントといった防具を装備している。回避力を上げるためのカードを挿した防具で、これは回避力を上げるかわりにその念属性の攻撃に弱くなるという欠点を持つものだ。
 もっとも、少々弱くなっても元が念に強い無属性のままならさほど切実ではない。小さなダメージが5割増しになっても、大して痛くはないからだ。だが、鎧に挿すことができるカードには、その防具を装備している人物の属性そのものを変えてしまうものがある。強い属性魔法を使う敵がいるような場所へ行くときはそういった防具を使い分けることもあり、運悪くイーズは今、水属性になる鎧を装備していた。昨日まで、フェイゼルと一緒にバイラン島の海底洞窟にいたからだ。
 水属性に念属性の攻撃は、軽減されたりすることなく普通に効く。そしてアサシンであるイーズは魔法防御力の基本となる知力などまったく持ちあわせておらず、しかも念属性攻撃に弱くなるモッキングマフラーを装備している。さすがに死にはしないだろうが、こんな穴の奥底で重傷を負いたくもなかった。しかも、味方の八つ当たりに近い攻撃で。
 自他共に認める単細胞のイーズが、めずらしく知的なことを口走ったせいだろう。フェイゼルは詠唱を中断したまま、複雑な表情で穴に背を向けた。
「素直に蝶でもハエでも使え。そうすれば出られるだろう」
 イーズが口にしたことはこれまでにフェイゼル自身が繰り返し説明してきたことなのだから、知っていてもまったくおかしくはない。ただフェイゼルにとってイーズは物覚えの悪い最悪の生徒でしかなく、その問題児がひとつでも教えたことを覚えていたという事実そのものが嬉しかったのだ。そして、そんなことで嬉しがっている自分に気づいて、憮然としている。
 もちろん、相変わらず穴の中から出られないイーズがそれを知るはずもない。命惜しさに叫んだ内容を自分が本当に理解しているのかどうかすら、わかってはいない。
「あ。……どっちも持ってない」
「やっぱりヘブンズドライブで埋めてやる」
「うわー、頼むから出してー!!」
 真剣に泣きそうな顔で叫べば、ひらひらと蝶の羽が一枚、イーズの頭の上に落ちてきた。


「その落とし穴に突っ込んだ情けないパートナーをわざわざ迎えにいくあたり、イゼル兄さまもどーかと思うんですの。しかも残り1枚だった蝶の羽をイー兄さまにあげちゃったすぐ後に天使に襲われるって、運よすぎですの」
 そう言って腕に止まっている鷹を愛しそうに撫でたのは、フェイゼルの妹アーリアだ。
 やたら深い穴に落ちたという間抜けなアサシンを探しに行った兄に呼びつけられ、兄の横に突然現れたエンジェリングご一行の殲滅を手伝わされたかわいそうなハンターでもある。エンジェリングはフェイゼルくらいの冒険者にとってはさほど怖い敵でもないが、魔法が効かないためウィザードにとってはかなりの強敵なのだ。
 なお蝶の羽を使って落とし穴から脱出したイーズはすぐにポリン島へと舞い戻ったものの、ふたたびたどり着いたときにはすでにアーリアがエンジェリングを片づけ終わっていた。セーブポイントが予想外に遠い場所だったため、時間を食ったらしい。
 アーリアにとって兄であるフェイゼルはもちろん、生まれたときから兄と一緒にいたイーズも等しく家族だ。冒険者という同じ道を歩んでいるせいもあって、アーリアがイーズとフェイゼルのコンビにつける点数は必要以上に辛い。
「心配だったんだよ、きっとね」
 不満げなアーリアに向かって優しい笑顔を向けたのは、フェイゼルの印象をそのまま柔らかくしたようなプリーストの青年だ。彼はフェイゼルの兄で、名前はファイエルという。
 同じような顔でもここまで変わるかというほど、フェイゼルとファイエルは色々な意味で似ていなかった。
「結局、イゼル兄さまもイー兄さまも、らぶらぶなんですの。リアの手をわずらわせないでほしいんですの」
 ファイエルが味方をしてくれないので、アーリアとしては面白くないらしい。そのせいか半ばやけくそ気味に口走ったのは、イーズはともかくフェイゼルが耳にしたら青筋を立てて怒りそうな、そんな台詞だった。
 だが。
「まあ、いいじゃないか。仲が良いのは喜ぶべきことだよ? 少しくらい手助けしてあげないと」
 意味がわかっているのかいないのか、ファイエルは顔色ひとつ変えない。それどころか、諭されてしまった。
「エル兄さま、それ本気で言ってるですの?」
「うん」
 おそらく、わかっていないということはないだろう。何も考えていないようなふりをして、この聖職者はかなり聡いのだ。
「……さすがですの。やっぱり大物ですの」
「そうかな」
 尊敬する長兄がまったく気にしていないというのに、自分がこだわってしまっているという部分がアーリアにとってはいかんともしがたく悔しい。
「そうですの。とりあえずそれ、イゼル兄さまには言っちゃダメですの。リアが怒られますの」
「ああ、うん? そうしておこうか」
 微妙な敗北感にうちのめされるアーリアに気づくことなく、ファイエルは庭へと視線を移した。
 ファイエルの趣味で手入れされた庭には、花よりも緑鮮やかな低木が多い。その中でもいちばんお気に入りなのは、初夏に紫の花をつける庭木だ。
 その花の影に、弟みたいなアサシンと本物の弟であるウィザードの姿がある。馬鹿は嫌いだと公言している反面、この上なく馬鹿なイーズから離れることはできず葛藤しているフェイゼルのことを、ファイエルはよく知っている。
 知っているからこそ。
 そんないつも通りの光景に安心したのか、ファイエルはそっと微笑んだ。


【CAST-096】
イーズ(アサシン)
フェイゼル(ウィザード)
ファイエル(プリースト)
アーリア(ハンター)

かなり日常のヒトコマinラグナロクオンライン。
ポリン島の穴が元ネタな、ヤマもオチも意味もない話。
言うまでもありませんがこんなキャラは実在しません。
たぶんそこはかとなくホモでしょう。むとさんのコピー誌のゲスト原稿でした。
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[060]轍

【螺旋】

「轍を追っていけば、そのうちたどりつくんじゃねぇ?」
 そう言って吸いさしの煙草で道を示したのは、アレックスという名を持つ昔なじみのブラックスミスだった。
 うららかな午後、読書に没頭していたセリアスを現実へと引き戻した男でもある。なにやら重い物を引きずるような音をたてて部屋へと入って来ると、アレックスは無言で引いていた商売用のカートを指差したのだ。
 いぶかしく思いながらも中を覗き込めば、そこにはなぜか丸まっている満身創痍のプリーストがいる。痛みを堪えるかのように眉を寄せたそのプリーストの顔を、セリアスは嫌というほど知っていた。
「……レアード?」
 声を掛けてみても、返事はない。
 それでも声は聞こえたのか、レアードが必死に起きあがろうとしている。それをやや乱暴に阻止してもう一度カートへと沈めると、セリアスはカートの持ち主へと視線を向けた。
 セリアスがまとっている雰囲気は、アサシンという生業のイメージからはやや外れている。それが、ほんの少しだけ鋭いものになった。
 かけていた眼鏡を外しながら、セリアスがなんでもないことのように口にすれば。
「これは一体、どういうことかな?」
「耳打ちで呼び出されただけだ。んなモン、オレが知るか」
 煙草に火をつけながら、アレックスは器用に肩をすくめて。
 なんでもないことのように、轍のことを付け加えた。


 カートの中で唸っているレアードに、死者をも蘇らせる回復力を持つイグドラシルの葉を飲ませて。
「ちょい待てい! こんなどーにもならん怪我人を置いてくのかっ、おまえはっ!?」
「それだけ騒げるなら十分だな。ついでになんでそんな目にあったのか、言ってみろ」
「え……ええーっとぉ、そのぉ、もののはずみ?」
「……そのまま一生寝てていい。聞いた僕が馬鹿だった」
「ぐぎょげ。……ひ、ひど……」
 次いで起きあがれるようになった途端に騒ぎ出したレアードを、もう一度やや乱暴におとなしくさせて。
 そうして今、セリアスはカートの轍を逆にたどっている。
 アレックスに教えられた轍は、街の西口から始まっていた。そのままずっと伸びて、道から外れた方へと続いている。その先に、レアードがあんな目にあった場所が存在するのだろう。
 レアードはいい加減としか表現しようのない少々難がある性格をしているが、あれでもプリーストだ。知恵や知識、祈りの力よりも己の腕力や素早さに重点をおいた修行を積んではいても、癒しの力は持っている。さらに魔法に頼らずとも最低限自分の身は自分で守ることができるレアードのことは、仲間たちもあまり心配しない。
 だから今日、相方であるレアードが一人で出かけてくると言ったときも、セリアスはなんの疑問も持たなかった。セリアスが読みかけの本を早く読んでしまいたがっていたのはレアードも知っていたし、それゆえの心遣いなのだと思っていたからだ。
 だが気がついてみればレアードは瀕死の状態で、しかも他の仲間に運ばれて帰ってきた。何の説明もしてもらえないまま耳打ちで呼びつけられた、とぼやいていたアレックスが嘘をついているとは思えない。
 さらにどちらかと言えば口が軽く、言わなくていいことまであっさり口を滑らせるレアードがそうまでして口を閉ざしているという事実も気になる。秘密の一つや二つは誰でも持っているものだとわかっていても、レアードらしからぬ行動ばかりでじっとしていられない。
 そこまで考えて、セリアスはふと苦い笑みをもらした。結局のところレアードのことが心配なだけなんだと、そんな事実に気がついたからだ。


 ようやくたどり着いた目的地には、何もなかった。
 人気のない森のはずれには冒険者どころか、獣やモンスターですら寄りつきそうもない。風だけがたまに思い出したように吹いて、緑の葉を少しだけ騒がせている。そんな穏やかといえば、このうえなく穏やかな場所だ。
「さて。レアードはこんなところで何をやらかしたんだか」
 小さく呟けば、それも森の木々に吸い込まれる。静寂に包まれた森は、どこか不思議な雰囲気を漂わせていた。
 育ちすぎた下草に阻まれて、もう轍はすぐに見つけることはできない。唯一の手がかりであり目印を見失うわけにはいかないと、セリアスは顔をしかめつつ下草を掻き分ける。
 しばらくそれをくり返していたセリアスの視界に、ふと気になるものがひっかかった。
 乾いた血の跡。そして森の奥へと続く、消えそうな獣道。
「……行ってみるしかないな」
 両腕に装備した愛用のジュルをそっと確かめると、セリアスは獣道へと足を踏み入れる。そのまましばらく歩くと、今度は大きな岩がある開けた草地へと出た。
 森の中にぽっかりと開いた草地は、陽の光を浴びて明るい。森の暗さに馴染んだ目が慣れるまでに少し時間がかかったが、それさえ乗り越えてしまえば特に何があるわけでもない場所だった。
 やや白みがかった大岩は磨けばそれなりの価値を生むものに化けそうではあったが、まさかこれが原因でレアードがあんな大怪我を負ったとは思えない。草地をよく見てみれば血の跡は確認できたが、岩そのものには傷もなければ血痕も残ってはいなかった。
 ハズレ、だろうか。表情には出さないまま、セリアスは心の中で舌打ちする。
 魔物や人間にやられたのだとすれば、いつまでも加害者がここに残っているとは限らない。現場に行けば少しは手がかりが残っているかと思ったが、この場からは何も得られそうになかった。
「もっと先、かな?」
 森の出口の方角を確認し、帰り道を見失わないように記憶へと刻んでから、奥へ向かって足を踏み出す。
 その時。
「この先は行かないほうがいいよ」
 聞いたことのない声が、セリアスのすぐ後ろから聞こえてきた。
 突然かけられた背後からの声に、セリアスは反射的に表情を引き締める。
 アサシンとは、暗殺者。闇に紛れ、気配を絶って行動することを得意とする者たちがそう呼ばれる。
 己の気配を殺す訓練を積んでいるアサシンは、気配を探るのも上手い。そのアサシンであるセリアスが、声をかけられるまで存在に気づかなかった。
 警戒心を抱くなというほうが、無理だ。
「この森、誰も関心を払わないようにしてあるはずなんだけどな。なんで入ってきちゃったの? ねえ、ちょっと、聞いてる?」
 声の主は、未だ背を向けたままのセリアスに向かって話しかけている。その内容は害意があるとは思えず、だが善意だけとも言い切れなかった。少なくとも善意のみであれば、気配を消す必要などどこにもない。
 いつでもジュルを構えられるように用心しながら、振り返る。そこに未だ気配を消したままの声の主の姿を認めて、セリアスは目を瞠った。
 気配を消していたわけでは、ない。
「あはは、驚かせちゃったかな? ごめんね、こればっかりは僕にはどうしようもなくて」
 白い大岩にもたれるようにして、ウィザードの装束に身を包んだ少年が無邪気にすら見える笑みを浮かべている。どこにいても違和感など感じない、それこそプロンテラの街でいつすれ違ってもおかしくないような人物だというのに。
 そのウィザードの身体を透かして、なぜか背後にあるはずの白い岩肌が見えていた。


「……つまり、きみはレアードの痕跡をたどって、ここにたどり着いちゃったというわけか」
 半透明の身体を持つ気配を持たないウィザードは、ユージンと名乗った。
 セリアスよりだいぶ背が低いユージンと立ったまま視線を合わせるのは、かなり困難だ。首が疲れるから座ろうという提案には、セリアスも異論はなかった。
「まったく、あのバカ。なにやってんだか、もう」
 ぶつぶつと呟くユージンは、その仕草のせいかどこか子供のようにも見える。だが続いた言葉に、セリアスはもう一度驚くはめになった。
「なんで僕の弟なのに、あんなにどうしようもないかな」
「お……弟、だって?」
 確かに兄弟だと言われれば、外見は似ていないこともない。だがセリアスから見れば、どう考えてもレアードのほうが年上に見えた。
 身長のせいもあるだろう。セリアスには及ばないものの、レアードはさほど背は低くない。だがユージンは、成長期途中でぴたりと止まってしまったかのような雰囲気を持っていた。
「そうだよ。僕が兄、レアードが弟」
「逆じゃないのか?」
「あんな頼りない兄さん、やだよ」
 そうきっぱりと言い切って。
「まあ、そう見えても仕方ないね。僕、もう十年くらいこのまま成長してないから」
 セリアスの心を読んだかのように、ユージンは悪戯っぽく笑った。


 昔、この森にはセージとプリーストの夫婦が住む館があったという。
 その夫婦には、子供が二人。幼少時から冒険者を目指した子供たちは、すでにウィザードとアコライトとしての資格を取得していた。
 家族4人での、少々風変わりではあっても平穏な生活は、ずっと続くかと思われた。だがセージキャッスルの書庫から発見された古い書物を解読中の夫婦が、解読したばかりの古代魔法のひとつを擬似的に再現してみたとき、事件は起こった。
 それは、相の違う世界を繋ぐゲートを生み出すというものだったという。解読が間違っていたのか手順が狂っていたのか、それとも本来そういう効果を持つものだったのか、それはもう今になってはわからない。おそらくワープポータルの元になっていると思われるその古代魔法は、再現されると同時に大きな空間の歪みを作り出し、周囲を崩壊させながら取り込んでいったという。
 好奇心に負けて儀式を行ってしまった夫婦は、開いてしまった空間の穴を塞ぐために命を捨てた。ウィザードだった兄は、なまじ持っていた強い魔力が仇となってそのまま相の違う世界の狭間へと取り込まれた。アコライトだった弟はかろうじて難を逃れたものの家族を一度に失い、自分を庇って世界の狭間へと閉じ込められた兄を救い出すために生きると決心することになった。
 今はもう、知る人もほとんどいない。舞台となった館も、その穴に飲み込まれて消えてしまった。
 それは十年ほど前、この森で起こったことだという。


「今日レアードが大怪我してたのは、相の境界を無理矢理破ろうとしたからだよ。まだ無理だって言ったのに、ムチャするよね」
 ユージンの本体が今存在している場所は、この世界とは相、そして世界を構築する理が違う。世界の狭間という独特な場所は、時間の流れというものが存在しないのだと、ユージンは言った。
 だから、彼は成長しない。閉じ込められたまま、たまに世界と世界が近づいたときに、こうやって幻影を元の世界へと送ることしかできない。
 アサシンであるセリアスは、魔法のことにさほど詳しくない。ユージンから聞いた話のすべてを理解することはできなかったが、それでも大体の事情は把握できた。
 そうすると、今度はまたひとつ疑問が生まれる。
「なんでそんなことを僕に話すんだ?」
 最初にユージンは、この森には誰も関心を払わないようにしてあると言っていた。そんな小細工をしてまで伏せていたことなのに、なぜセリアスに話してくれたのか。
 だがセリアスにとっては不思議なことでも、ユージンにとってはなんでもないことだったようだ。意外なことを聞かれたとでも言いたげに瞬きをすると、にこりと笑った。
「だって、レアードのこと心配して、こんなとこまで来てくれたんでしょ? 兄として、お礼みたいなものだよ。それに」
 続く言葉のほうが、重要なのだと。そうセリアスに言い聞かせるかのように言葉を切って、ユージンは続ける。
「歪みの穴は消えたけど、僕が幻影飛ばせるくらいだからまだ何が起こるかわからないんだよ、ここ。あんな話聞いたらそうそう近寄ろうとは思わないだろうし、ついでにレアードのムチャも止めてくれるかなって思って」
「そのご要望には応えられそうにないな。諦めてくれ」
「えー? 困った子だなぁ」
 ここに来るなという言葉も、レアードを止めてくれという願いも、セリアスに受け入れることはできない。おそらくセリアスがこれからやろうとすることは、そのどちらにも反することだ。
 どうやって目の前の駄々っ子をなだめようかと、ユージンはそんな思案顔をしている。釘をさされる前にセリアスがもう一度同じことを繰り返そうとしたら、何かに気づいたユージンが音もなく立ち上がった。
「ああ……ほら。お迎えが来たよ」
 くすくすと笑いながら、ユージンが遠くを指差す。その先には、おぼつかない足取りでそれでも走ろうとしているレアードの姿があった。
 つられたように立ち上がり、セリアスはそちらへと視線を移す。自分の表情が少しとはいえ驚いたものになったのを感じ取って、心の底で小さく舌打ちした。
 そんなセリアスの胸中に気がついたのだろう。半透明のウィザードは、今さら笑いを堪えようともしなかった。
「一日に二回もレアードにあれこれやかましく言われるのはごめんだからね。早く、行ったら?」
 ユージンの声色は、面白がっているようにしか聞こえない。だがセリアスには、その表情にかすかながら優しげなものがかすったように見えた。
 ユージンに問えば、気のせいだと一蹴されるだろう。だからセリアスは、あえて口にしないことにした。
 疑問にも思わず、そうなんだと勝手に信じてしまえば。そうすればきっとこのウィザードは、その信用を裏切ることができない。
「今度はレアードにばれないように覗きに来るさ」
「あははは。いつでもヒマだからね、待ってるよ」
 ひらひらと手を振って笑うユージンは、セリアスの言葉を信じているようには見えなかった。
 それがなんとなく悔しくて、セリアスは半透明の身体へと手を伸ばす。相が違う場所にいるユージンには、触れることができない。
 それを少しだけ惜しく思いながら、セリアスはユージンの額にそっと唇を寄せた。
 触れることはできないけれど。気持ちだけは、伝えたかったから。
「じゃあ、これが約束の印ってことで」
「……あのね、きみ」
 呆れた表情で見上げてくるユージンに向かって、セリアスは悪びれず笑ってみせる。少しばかり普通じゃない手段を使った自覚はあったが、口で言ってもわかってもらえそうもない以上仕方がない。
「べつに、冗談でもなんでもないさ」
 完全に信じてもらうことはきっと無理だけれど、それでも少しくらいは希望を持っていて欲しかったから。
「いつか、そこから連れ出してみせるから」
 気がつけば真顔になって、セリアスはそんなことを言っていた。
 早まったとは思わない。期待だけを持たせるつもりもない。口にした以上、セリアスはそれを現実にするつもりだった。
 ユージンがどう思ったかは、セリアスにはわからない。しばらくセリアスの目をじっと見上げていたユージンは、目をそらしたあとにため息をついただけだ。
 それと同時に、二人の周りに白い霧が立ちこめる。遠くに見えていたレアードの姿は、濃い霧にかき消された。
「あーあ、時間切れ」
 つまらなそうなユージンの声が聞こえる。目の前すらもよく見えない霧の濃さのせいだけではなく、その姿は薄れかけていた。
 咄嗟に腕を掴もうとしても、すり抜けてしまう。そんなセリアスの行動を呆れた表情で眺めていたユージンは、最後に少しだけ柔らかい笑みを見せた。
「あてにしないで待ってるよ」
 呟きだけが霧の中に残る。
 急に濃さを強めた霧が晴れたとき、そこにはもう声の主の姿はなくて。
「……セリアス!」
 思ったより早く近づいてきていた声に、セリアスは微笑を浮かべた。
 この先、たぶん忙しくなる。まずは、わざわざここまで出向いてきてくれた相方を問い詰めるところから始めるべきだろう。
 霧の名残は、もう跡形もない。来たときと同じように、たまに風が吹くだけだ。
 もう一度、セリアスは先刻までこの森に囚われたウィザードがいた場所を見つめる。夢でも幻でもないことは、己がいちばんよく知っていた。
「遅かったな、レアード」
「遅いって……あのねーっ、俺をぶん殴って沈めてったのはどこの誰ー!?」
「悪い。でも、聞きたいことができたからさ」
「う……やっぱり?」
 レアードからは歯切れの悪い返事しか返ってこないけれど、セリアスには一歩も譲るつもりはない。
 なにかを企んだような笑顔のまま踵を返して、セリアスは未だ本調子とは思えない相方の元へと歩き出した。


【CAST-060】
セリアス(アサシン)
ユージン(ウィザード)
レアード(プリースト)
アレックス(ブラックスミス)

ただの日常(日常……?)のヒトコマinラグナロクオンライン。
ラグナロクネタにする意味があったのかどうかは謎。ついでにこんなキャラは当然実在しません。さらにホモでもありません(たぶん)。
虚構文書 > 100のお題 | - | -

[100]貴方というひと

【雨宿り】

 駅を出ようとした途端、肩に冷たさを感じる。しずくに濡れた肩を見やってから雲が垂れ込めた空を見上げて、彼女は眉をひそめた。
 つい先刻までは青空が広がっていたのに、今はすっかりどんよりとした雨雲に覆われている。ほんの少しの期待を込めて背負っていたリュックを覗いてみたが、やはり入れた覚えもない折りたたみ傘は入っていなかった。
「うう、やっぱりない。ああ、もう、天気予報なんて見てこなかったわよ、どうせ」
 たとえ見ていたとしても、彼女の性格からして、折りたたみ傘の準備をしていたかどうかはあやしいものだ。口ではそう言ってみたものの、それは彼女自身よくわかっていることでもあったので、それは八つ当たりに近いものがあった。
 ため息をついてもう一度、彼女は空を見上げる。
 雨は、まだしばらく止みそうにない。


 駅の改札を抜けた途端、彼の視界に見慣れた後ろ姿が映った。
 空を見上げて、地面を見下ろして、さらに持っている荷物を見て、ため息。傘を忘れて立ち往生していることは、誰の目にも明らかだ。
 足音を立てないように、注意して彼女へと近づく。前方にしか意識が向いていない彼女の背後を取るのは、グラスを割らないように洗うよりも簡単だった。
「今日、降水確率80%だっただろ?」
「きゃああっ!」
 呆れた口調を作って彼女の耳元で囁けば、予想と寸分違わない叫び声が上がる。笑いたくなるのを堪え、彼は軽いステップで数歩後ろへと飛び退いた。
 一方、驚きのあまり涙目のまま握り拳を作って勢いよく振り向いた彼女は、そこに両手で耳を塞ぐ見知った人物の姿を認め、慌てて自分の口を押さえる。そのまま周囲を見回せば、彼女と同じく駅前で雨宿りをしていた人や仕事中の駅員が、怪訝そうな視線を向けていた。
 痴話喧嘩だかなんだか知らないが、公共の場ではお静かに。嫌でも感じ取れる周囲からの無言のプレッシャーに慌てて愛想笑いを浮かべると、彼女は諸悪の根元を精一杯の険悪さで睨みつける。その直撃を喰らったはずの彼は、どこか感心したかのような表情で耳を覆っていた両手を外した。
「……元気だな、おまえ」
「な、な、な、な、な」
「な?」
「なにすんのよっっ!」
 あまり大きな声を出すと、また冷たい視線を浴びることになる。さすがにそれは御免なのか、真っ赤な顔でそう文句を言った彼女の声は、かなり控えめだった。
「梅雨だってのに天気予報も見てこない不注意なおまえに、忠告?」
「あんな忠告の仕方があるかっ!」
 普通、ない。当然、彼もそんなことが目的だったわけではない。
 だからそれには答えずに、彼は手に持っていた傘を掲げてみせた。
「まあ、そんな細かいこと気にするな。家まで送ってってやるからさ」
「そんなことでごまかさ……へ?」
「だから傘、忘れたんだろ?」
「う……それは、その、そうなんだけど」
 傘を忘れたからこそ、駅で恥をかくはめになった。その恥をかかせた張本人が、一緒に帰ろうと傘を差し出している。
 ひとつの傘で一緒に家路を辿っても、べつになにもおかしくはない。高校を卒業してしまってからは一緒に帰ることもなくなって、それが少し寂しかったのもたぶん気のせいじゃない。
 本当はいつだって一緒にいたい。それはきっと、彼も彼女もどちらも思っていること。
 なのに、こんな作られたようなシチュエーションでそれが実現しようとしているのを感じると、いたたまれなくなるほど恥ずかしいのはなぜだろう。
「まあ、おまえだったら雨に濡れて帰っても、風邪の方が逃げていきそうだけどな」
 恥ずかしさをごまかすために、軽口へと逃げるのはいつものこと。
「あんたのそーゆーデリカシーのないとこ、嫌い」
 すでに手の内は知られているのに、それに乗ってしまうのもいつものこと。
「ふーん?」
「……じゃないかも、しんない」
「俺は、おまえのその致命的に鈍感で色気がないとこ、好きだけどな」
 やっぱりごまかしきれなくなって、元へと戻るのもいつものこと。
「……ほめてるの、けなしてるの、それともケンカ売ってるの、どれ?」
「さあ?」
「んじゃ、ほめてることにしといてあげる」
 そう言って彼女は、彼が差し出した腕へと自分の腕を絡めた。
「……しばらく、雨止まないでもいいかな」
「……まあな」
 それは、どこにでもある恋人達の風景。


【CAST-100】
unknown

あー、適当に思いついたキャラを当てはめてクダサイ(ぉぃ)。
すんげぇガラじゃないもん書いた気がする。
虚構文書 > 100のお題 | - | -

[010]トランキライザー(抗鬱剤、精神安定剤)

【声】

 白い。否、黒い。
 強すぎる光は、色彩を不明瞭にさせる。白とも黒ともつかない、もしかしたらもっと他の色かもしれない。そんな色とも言えない色があふれた空間を、何をするでもなくたださまよっている。
 なぜ、どうして。聞いて答えが返ってくるのなら、質問責めにもする。口を開いてくれないというのなら、実力行使を考えないでもない。だがそれは、あくまでも問い質すべき相手がいる場合にとることができる行動だ。状況を説明してくれそうな人どころか見渡す限りものすら見あたらない場合は、前提条件からして違う。
「まあ、たぶん夢だし」
 なるようになるだろう。
 これ以上なく現実的といえば現実的、いい加減といえばいい加減この上ない結論を出すと、霞上樹那は自分自身を納得させた。
 なぜ納得させなくてはいけなかったのかは、わからなかったが。
「大体、夢のくせになんでこんなハッキリしてんのよ。いや、なんてゆーの? 舞台設定はメチャメチャだけどさ」
 夢なのに。夢だとわかっているはずなのに、夢独特の感覚がない。それが樹那には不思議さと、同時に不審さを感じさせている。
 そもそも夢なのに、ちゃんと考えないと話が進まないところが変だ。日頃、目覚めた後もおぼろげに覚えている夢で繰り広げられている光景は理不尽かつどこまでもアバウトで、それこそ樹那が夢を見つつツッコミを入れる隙間もないくらい、夢を見ている本人そっちのけで進むというのに。
「まあ、でも。夢だし」
 いつもとはまったく違う、頭を使わないといけない夢も、アリなのかもしれない。
「普段頭使ってないのに、夢で頭使うってのもなんかもったいな〜……」
 ブツブツとそう呟くと、樹那はもう一度あたりを見回した。
 表現しがたい色に埋め尽くされた空間。何もなく、誰もいない。樹那以外には、誰も。
 なぜ、誰もいないんだろう。今まで、一人になったことなんてなかった。もしかしたらあったかもしれないが、覚えてはいない。少なくとも樹那が覚えている一番古い記憶には、人の良い兄と、やっぱり人の良い母がいた。母はもう、いないけれど。
「…………おにーちゃん?」
 ただ一人残された、家族をそっと呼んでみる。
 反応は、ない。かわりに、聞き慣れない声が聞き慣れない音を発した。
『────』
 聞きたくない、名前を。
「なに、それ。聞こえない」
『────』
「ちがう、あたしはそんな名前じゃない。そんな人知らない、あたしの夢の中でそんな人探さないで」
『────』
「だから、思い出させないで。あたしがあたしじゃなくなるから……え?」
 ……思い出す。
 自分の口をついで出た言葉に、樹那は首を傾げた。
 思い出す。それはつまり、忘れているだけで本来は知っている、ということ。
 自分は何を知っていて、そして何を忘れているというのか。見当もつかないが、今の樹那にわかるのは───どうやら自分はそれを思い出したくないらしい、ということだけだった。
 だって、自分でそう言っている。
『────』
「だから、知らないってば」
『────』
「だから、その人がどーしたってのよ!?」
 いくつもの感情が入り乱れて、つい出した大声はなんだか悲愴なものに聞こえた。空間に響いた自分の声に樹那は一瞬驚き、そしてそのまましばらく凍り付くことになる。
『───ねぇ』
 聞き慣れない声が、聞き慣れた声にいつのまにか変わっていた。色があるのかないのかわからない空間に、やや舌足らずな───幼い自分の声が響く。
『ひとりに、しないで』
 小さい頃の自分が泣いている。姿が見えなくても、声でわかる。でも、樹那は一人にされたことなんてない。そんな泣き声を聞いたこともない。なおになぜ、知っているような気がするのだろう。
「……あなた、誰?」
『……? だれ、だろう?』
 無意識のうちに口からこぼれ落ちた問いかけに、聞き慣れた、でも知らない声は不思議そうにそう答えた。

 ───その後は、覚えていない。


「つーか、なんなのよ」
 覚えてはいないが、目覚めは最悪だった。
 目覚ましが鳴る前に起きたなんて、それこそ何年ぶりだろう。これで心身共にさわやかであれば言うこともないが、今の樹那に爽快という単語はまったく縁がなかった。
「オチがない夢なんて、アリ!?」
 実際はオチなんて関係ないのだが、とにかく文句をつける。それだけではどうにもイライラを解消できなかったので、腹立ちまぎれに手元にあった枕を思いっきり投げてみた。
 深く、考えず。適当な方向に。
「なに騒いで……うぎゃ」
 ぼす。
「……あ」
 そして。それはじつにすばらしいタイミングで、部屋のドアを蹴り開けた人物の顔に命中した。
 投げたのが枕で幸いだ。これが目覚まし時計だったら、目も当てられないことになっている。
「俺が何をしたとゆーのだ……」
 当然そんなことを知るはずもない、いきなり枕にお出迎えされる羽目に陥った霞上輝柊は、枕に潰された鼻をさすりながら恨めしげな声を上げた。その枕を投げつけた張本人である樹那としては、もう笑って誤魔化すしかない。
「あ、あはははは。どしたの、おにーちゃん。早いじゃん」
「あのな、樹那。女らしくしろなんて無理難題は要求せんから、せめて朝っぱらから暴れんな」
 諦めたように、輝柊がため息をつく。まったくもってその通りなので、樹那には効果的な反論ができない。なので、じつに情けない言い訳をするだけに留まった。
「暴れてないもん。ちょっと夢見が悪かったから、ストレス解消に枕投げただけだしっ」
「投げんなよ……てか、夢見ぃ? あー、わかった。デザートコースを食おうとしたとこで目が覚めたとか、そんなんだろ?」
「そんなんじゃないーっ! けど、そっちのほうがもっと悔しいかも……」
 つい条件反射でその光景を想像する。こういう時の想像力というのは素晴らしいもので、食べたかったデザートやケーキの数々が一瞬のうちに脳裏に広がった。……これが目の前にあるというのに食べられなかったとしたら、意味不明な夢を見た後とは比べ物にならないくらい腹が立つだろう。
「ならいいじゃんよ。大体、おまえの脳味噌ならイヤなことはすぐこぼれて落ちるだろ? ザルなんだし」
 そして樹那がそのままデザートづくしに思いをはせていたら、枕を投げ返してきた輝柊がさらりととんでもないことを口走った。投げ返された枕を構え直して、樹那も即座に言い返す。
 すでに、夢のことなんて忘れかけていた。
「あのね。さりげにひどいこと言ってませんか、おにーちゃん? かわいい妹をとっつかまえて」
「任せろ、そんなとこは兄妹そっくりな自覚が十二分にある」
「つまり、おにーちゃんもザルなんだね」
「ザルじゃねーよと主張してみたいが、んなこと言ったって即却下するだろ?」
「うん」
「てゆーか、枕に当たり散らしてる場合じゃねーぞ、樹那」
「なんで?」
「時計見ろ、時計」
「時計? 目覚まし鳴る前に目が覚めたから余裕……って、ぬああああ!?」
 デジタル表示の時計が示す時間は、バイトに行くために家を出る時刻。
 もしかして、もしかすると。無意識のうちに目覚ましを止めた後、樹那は二度寝していたのだろうか。
 それなら、輝柊が起きているのも頷ける。なんて、のんきにそんなことを考えている場合ではなくて。
「やーばーいーっ、遅刻ーっ! おにーちゃん、このへん片づけといてっ!」
「って、また枕投げてくなっ! ついでにレンジに突撃かますな!」
「あたしがぶつかったくらいじゃ壊れないって! たぶん……」
「おーまーえーなー」
 ブツブツと文句を言いつつ、結局、兄は妹が散らかした後を片づけている。そんな輝柊の姿を視界の隅で確認して、樹那はなんとなく安堵の笑みを浮かべた。
 何が不安だったのかも忘れたけど、そんなものはどこかにいってしまった。いつも通りの朝の光景に、夢のせいでささくれていた精神が癒されていくのを感じる。
 きっとこの先なにがあっても、家族がいるから。一人しかいないけれど、誰よりも自分のことを知っていてくれる人がいるから。
「うわー、ま、間に合うかな。行ってきまーすっ!」
「いーから前向け! 前向いて走れっ!」
 一人じゃないから平気な気が、した。


【CAST-010】
●霞上樹那(かがみ・じゅな)
●霞上輝柊(かがみ・きしゅう)

ほのぼの兄妹話in『惑星異聞』(オリジナル)。
血の繋がってない兄妹恋愛物も好きですが、健全200%に兄妹仲が良いだけの話も好きです。
でも自分で書く場合、いちばん好きな男女ペアものは「恋愛色がかけらもなく、さらにくだらないうえに低レベルな口喧嘩」かもしれません……(あほ……)。
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