[100]貴方というひと

【雨宿り】

 駅を出ようとした途端、肩に冷たさを感じる。しずくに濡れた肩を見やってから雲が垂れ込めた空を見上げて、彼女は眉をひそめた。
 つい先刻までは青空が広がっていたのに、今はすっかりどんよりとした雨雲に覆われている。ほんの少しの期待を込めて背負っていたリュックを覗いてみたが、やはり入れた覚えもない折りたたみ傘は入っていなかった。
「うう、やっぱりない。ああ、もう、天気予報なんて見てこなかったわよ、どうせ」
 たとえ見ていたとしても、彼女の性格からして、折りたたみ傘の準備をしていたかどうかはあやしいものだ。口ではそう言ってみたものの、それは彼女自身よくわかっていることでもあったので、それは八つ当たりに近いものがあった。
 ため息をついてもう一度、彼女は空を見上げる。
 雨は、まだしばらく止みそうにない。


 駅の改札を抜けた途端、彼の視界に見慣れた後ろ姿が映った。
 空を見上げて、地面を見下ろして、さらに持っている荷物を見て、ため息。傘を忘れて立ち往生していることは、誰の目にも明らかだ。
 足音を立てないように、注意して彼女へと近づく。前方にしか意識が向いていない彼女の背後を取るのは、グラスを割らないように洗うよりも簡単だった。
「今日、降水確率80%だっただろ?」
「きゃああっ!」
 呆れた口調を作って彼女の耳元で囁けば、予想と寸分違わない叫び声が上がる。笑いたくなるのを堪え、彼は軽いステップで数歩後ろへと飛び退いた。
 一方、驚きのあまり涙目のまま握り拳を作って勢いよく振り向いた彼女は、そこに両手で耳を塞ぐ見知った人物の姿を認め、慌てて自分の口を押さえる。そのまま周囲を見回せば、彼女と同じく駅前で雨宿りをしていた人や仕事中の駅員が、怪訝そうな視線を向けていた。
 痴話喧嘩だかなんだか知らないが、公共の場ではお静かに。嫌でも感じ取れる周囲からの無言のプレッシャーに慌てて愛想笑いを浮かべると、彼女は諸悪の根元を精一杯の険悪さで睨みつける。その直撃を喰らったはずの彼は、どこか感心したかのような表情で耳を覆っていた両手を外した。
「……元気だな、おまえ」
「な、な、な、な、な」
「な?」
「なにすんのよっっ!」
 あまり大きな声を出すと、また冷たい視線を浴びることになる。さすがにそれは御免なのか、真っ赤な顔でそう文句を言った彼女の声は、かなり控えめだった。
「梅雨だってのに天気予報も見てこない不注意なおまえに、忠告?」
「あんな忠告の仕方があるかっ!」
 普通、ない。当然、彼もそんなことが目的だったわけではない。
 だからそれには答えずに、彼は手に持っていた傘を掲げてみせた。
「まあ、そんな細かいこと気にするな。家まで送ってってやるからさ」
「そんなことでごまかさ……へ?」
「だから傘、忘れたんだろ?」
「う……それは、その、そうなんだけど」
 傘を忘れたからこそ、駅で恥をかくはめになった。その恥をかかせた張本人が、一緒に帰ろうと傘を差し出している。
 ひとつの傘で一緒に家路を辿っても、べつになにもおかしくはない。高校を卒業してしまってからは一緒に帰ることもなくなって、それが少し寂しかったのもたぶん気のせいじゃない。
 本当はいつだって一緒にいたい。それはきっと、彼も彼女もどちらも思っていること。
 なのに、こんな作られたようなシチュエーションでそれが実現しようとしているのを感じると、いたたまれなくなるほど恥ずかしいのはなぜだろう。
「まあ、おまえだったら雨に濡れて帰っても、風邪の方が逃げていきそうだけどな」
 恥ずかしさをごまかすために、軽口へと逃げるのはいつものこと。
「あんたのそーゆーデリカシーのないとこ、嫌い」
 すでに手の内は知られているのに、それに乗ってしまうのもいつものこと。
「ふーん?」
「……じゃないかも、しんない」
「俺は、おまえのその致命的に鈍感で色気がないとこ、好きだけどな」
 やっぱりごまかしきれなくなって、元へと戻るのもいつものこと。
「……ほめてるの、けなしてるの、それともケンカ売ってるの、どれ?」
「さあ?」
「んじゃ、ほめてることにしといてあげる」
 そう言って彼女は、彼が差し出した腕へと自分の腕を絡めた。
「……しばらく、雨止まないでもいいかな」
「……まあな」
 それは、どこにでもある恋人達の風景。


【CAST-100】
unknown

あー、適当に思いついたキャラを当てはめてクダサイ(ぉぃ)。
すんげぇガラじゃないもん書いた気がする。
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