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惑星異聞【白】 1-10

「うわッ」
 別に、特別強い力で引っぱられたわけではない。普段であれば意にも介さないような軽い力だったのだが、たまたま重心が逆に傾いていたせいで声をあげる羽目になった。
 それにしても、わざわざこんなタイミングでジャケットを引っぱったのはどこの誰だというのか。八つ当たりすら不発に終わったことにむかっ腹を立てたシヴァは当然それをそのまま胸に秘めておくような性格はしていなかった。
「なんだっつーんだよ! オレになんか用だっつのか、違うとか言いやがったら……あん?」
 地面に足をバランスを取り、その勢いのまま後ろを振り返ってみれば。
「……えと?」
 そこには、まったく見覚えのない白い髪、濃い緑の瞳を持った女の子がいた。……しかもシヴァのジャケットを握りしめたまま、膝まで噴水の水に漬かって。
 彼女はシヴァの顔を見つめると何度か瞬きを繰り返し、ゆっくりと首を傾げる。そして、ぱあっと晴れやかな笑顔を見せた。
「あのね、こんにちは」
「……おう」
 あまりに嬉しそうに挨拶をされてしまったせいで毒気が抜けたのか、拍子抜けしたような表情でシヴァが比較的まともな返事をする。そのちゃんと相手をする気があるのかないのかわからないような応対に、噴水の中の少女はもう一度シヴァのジャケットを引っぱった。
「ねえ、そうだよね?」
「なにがそーだって? つーか、誰だオマエ」
 意味が、わからない。
 そもそも、この少女は誰なのか。見た感じでは、15歳前後のどこにでもいそうな女の子だ。だが普通の女の子が不機嫌オーラを漂わせているシヴァに堂々と近付いてくるなんて、シヴァ本人も思っていない。あまり自覚はないが周りに散々言われ続けたせいで、さすがにそれくらいは覚えている。それじゃなくても外見印象が怖いシヴァが不機嫌だと、とにかくあまり近寄りたくない雰囲気が漂うのだ。
 それに、なぜ彼女は噴水の中にいるのだろう。幼児や児童といえる年齢の子供ならともかく、どう見ても目の前の少女はその程度の常識は持っているような歳に見える。
 見えるだけで本当に持っているかは謎だが、とりあえずシヴァは最初に感じた疑問をストレートに口にしてみた。だが、返ってきた答えはこれまた首を傾げたくなるもので。
「うん。だれだろ?」
「だああッ」
 まったく、話にならない。
 このまま少女を放置してどこかへ逃げたい気分になったが、そこでふと思い出す。シヴァはこれでも一応、ここで仕事相手を待っている身だった。しかも、相手の顔すら知らない。つまり相手が見つけてくれるまでここから動けないということで、当然のことながらここで敵前逃亡を図るわけにはいかない。とはいえ、シヴァに名前も知らなければどうにも事情がありそうな目の前の少女と円滑な会話をすすめる能力は欠片もなかった。
「ねえ、ねえ?」
「あーもー、なんでもいいからオレにわかること話しやがれ」
「……えと?」
 半分自棄になったシヴァのセリフに、少女がもう一度首を傾げる。それから数度瞬きをしたと思ったら、今度はふわふわと安心したような笑みを浮かべて大きく手を振った。
「リーン、こっち。こっちー」
「あ〜、いたいた。メイ、一人であんまあっちこっちフラフラしちゃダメって……あれ?」
 声につられて振り返ると、少女に応えるかのように小柄な少年が小さく手を振っている。これまた見たことあるようなないような気がして複雑な気分になっていたシヴァだったが、近付いてきた彼が銀の髪をしていたことに気づいて小さく舌打ちした。自分をこんな状況にたたき込んだ張本人の狸上司も、見間違いようがないくらい見事な銀の髪を持っていたからだ。
 そんな複雑なようで単純なシヴァの心中を、今やってきたばかりの少年が知るはずもない。いつの間にかすぐ側へとやってきた少年は、少女にジャケットを掴まれたまま仏頂面を披露する大男の姿を確認すると、納得したように頷いた。
「なんだ、メイが見つけてたんだね」
「うん。えらい?」
「まあね。でも、一人で出歩いちゃダメ」
「うー……」
 しかめっ面を作って少女の頭を小突くと、少年はくるりとシヴァの方に向き直る。それからにこりと笑顔を浮かべた。
「メリー・ウィールのシヴァ・アーリンさんですよね? 初めまして、今回お仕事をお願いしたディー・リーンです。こっちが連れ……というか、迷子の張本人のメイ・ロウ。よろしくお願いします」
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[010]トランキライザー(抗鬱剤、精神安定剤)

【声】

 白い。否、黒い。
 強すぎる光は、色彩を不明瞭にさせる。白とも黒ともつかない、もしかしたらもっと他の色かもしれない。そんな色とも言えない色があふれた空間を、何をするでもなくたださまよっている。
 なぜ、どうして。聞いて答えが返ってくるのなら、質問責めにもする。口を開いてくれないというのなら、実力行使を考えないでもない。だがそれは、あくまでも問い質すべき相手がいる場合にとることができる行動だ。状況を説明してくれそうな人どころか見渡す限りものすら見あたらない場合は、前提条件からして違う。
「まあ、たぶん夢だし」
 なるようになるだろう。
 これ以上なく現実的といえば現実的、いい加減といえばいい加減この上ない結論を出すと、霞上樹那は自分自身を納得させた。
 なぜ納得させなくてはいけなかったのかは、わからなかったが。
「大体、夢のくせになんでこんなハッキリしてんのよ。いや、なんてゆーの? 舞台設定はメチャメチャだけどさ」
 夢なのに。夢だとわかっているはずなのに、夢独特の感覚がない。それが樹那には不思議さと、同時に不審さを感じさせている。
 そもそも夢なのに、ちゃんと考えないと話が進まないところが変だ。日頃、目覚めた後もおぼろげに覚えている夢で繰り広げられている光景は理不尽かつどこまでもアバウトで、それこそ樹那が夢を見つつツッコミを入れる隙間もないくらい、夢を見ている本人そっちのけで進むというのに。
「まあ、でも。夢だし」
 いつもとはまったく違う、頭を使わないといけない夢も、アリなのかもしれない。
「普段頭使ってないのに、夢で頭使うってのもなんかもったいな〜……」
 ブツブツとそう呟くと、樹那はもう一度あたりを見回した。
 表現しがたい色に埋め尽くされた空間。何もなく、誰もいない。樹那以外には、誰も。
 なぜ、誰もいないんだろう。今まで、一人になったことなんてなかった。もしかしたらあったかもしれないが、覚えてはいない。少なくとも樹那が覚えている一番古い記憶には、人の良い兄と、やっぱり人の良い母がいた。母はもう、いないけれど。
「…………おにーちゃん?」
 ただ一人残された、家族をそっと呼んでみる。
 反応は、ない。かわりに、聞き慣れない声が聞き慣れない音を発した。
『────』
 聞きたくない、名前を。
「なに、それ。聞こえない」
『────』
「ちがう、あたしはそんな名前じゃない。そんな人知らない、あたしの夢の中でそんな人探さないで」
『────』
「だから、思い出させないで。あたしがあたしじゃなくなるから……え?」
 ……思い出す。
 自分の口をついで出た言葉に、樹那は首を傾げた。
 思い出す。それはつまり、忘れているだけで本来は知っている、ということ。
 自分は何を知っていて、そして何を忘れているというのか。見当もつかないが、今の樹那にわかるのは───どうやら自分はそれを思い出したくないらしい、ということだけだった。
 だって、自分でそう言っている。
『────』
「だから、知らないってば」
『────』
「だから、その人がどーしたってのよ!?」
 いくつもの感情が入り乱れて、つい出した大声はなんだか悲愴なものに聞こえた。空間に響いた自分の声に樹那は一瞬驚き、そしてそのまましばらく凍り付くことになる。
『───ねぇ』
 聞き慣れない声が、聞き慣れた声にいつのまにか変わっていた。色があるのかないのかわからない空間に、やや舌足らずな───幼い自分の声が響く。
『ひとりに、しないで』
 小さい頃の自分が泣いている。姿が見えなくても、声でわかる。でも、樹那は一人にされたことなんてない。そんな泣き声を聞いたこともない。なおになぜ、知っているような気がするのだろう。
「……あなた、誰?」
『……? だれ、だろう?』
 無意識のうちに口からこぼれ落ちた問いかけに、聞き慣れた、でも知らない声は不思議そうにそう答えた。

 ───その後は、覚えていない。


「つーか、なんなのよ」
 覚えてはいないが、目覚めは最悪だった。
 目覚ましが鳴る前に起きたなんて、それこそ何年ぶりだろう。これで心身共にさわやかであれば言うこともないが、今の樹那に爽快という単語はまったく縁がなかった。
「オチがない夢なんて、アリ!?」
 実際はオチなんて関係ないのだが、とにかく文句をつける。それだけではどうにもイライラを解消できなかったので、腹立ちまぎれに手元にあった枕を思いっきり投げてみた。
 深く、考えず。適当な方向に。
「なに騒いで……うぎゃ」
 ぼす。
「……あ」
 そして。それはじつにすばらしいタイミングで、部屋のドアを蹴り開けた人物の顔に命中した。
 投げたのが枕で幸いだ。これが目覚まし時計だったら、目も当てられないことになっている。
「俺が何をしたとゆーのだ……」
 当然そんなことを知るはずもない、いきなり枕にお出迎えされる羽目に陥った霞上輝柊は、枕に潰された鼻をさすりながら恨めしげな声を上げた。その枕を投げつけた張本人である樹那としては、もう笑って誤魔化すしかない。
「あ、あはははは。どしたの、おにーちゃん。早いじゃん」
「あのな、樹那。女らしくしろなんて無理難題は要求せんから、せめて朝っぱらから暴れんな」
 諦めたように、輝柊がため息をつく。まったくもってその通りなので、樹那には効果的な反論ができない。なので、じつに情けない言い訳をするだけに留まった。
「暴れてないもん。ちょっと夢見が悪かったから、ストレス解消に枕投げただけだしっ」
「投げんなよ……てか、夢見ぃ? あー、わかった。デザートコースを食おうとしたとこで目が覚めたとか、そんなんだろ?」
「そんなんじゃないーっ! けど、そっちのほうがもっと悔しいかも……」
 つい条件反射でその光景を想像する。こういう時の想像力というのは素晴らしいもので、食べたかったデザートやケーキの数々が一瞬のうちに脳裏に広がった。……これが目の前にあるというのに食べられなかったとしたら、意味不明な夢を見た後とは比べ物にならないくらい腹が立つだろう。
「ならいいじゃんよ。大体、おまえの脳味噌ならイヤなことはすぐこぼれて落ちるだろ? ザルなんだし」
 そして樹那がそのままデザートづくしに思いをはせていたら、枕を投げ返してきた輝柊がさらりととんでもないことを口走った。投げ返された枕を構え直して、樹那も即座に言い返す。
 すでに、夢のことなんて忘れかけていた。
「あのね。さりげにひどいこと言ってませんか、おにーちゃん? かわいい妹をとっつかまえて」
「任せろ、そんなとこは兄妹そっくりな自覚が十二分にある」
「つまり、おにーちゃんもザルなんだね」
「ザルじゃねーよと主張してみたいが、んなこと言ったって即却下するだろ?」
「うん」
「てゆーか、枕に当たり散らしてる場合じゃねーぞ、樹那」
「なんで?」
「時計見ろ、時計」
「時計? 目覚まし鳴る前に目が覚めたから余裕……って、ぬああああ!?」
 デジタル表示の時計が示す時間は、バイトに行くために家を出る時刻。
 もしかして、もしかすると。無意識のうちに目覚ましを止めた後、樹那は二度寝していたのだろうか。
 それなら、輝柊が起きているのも頷ける。なんて、のんきにそんなことを考えている場合ではなくて。
「やーばーいーっ、遅刻ーっ! おにーちゃん、このへん片づけといてっ!」
「って、また枕投げてくなっ! ついでにレンジに突撃かますな!」
「あたしがぶつかったくらいじゃ壊れないって! たぶん……」
「おーまーえーなー」
 ブツブツと文句を言いつつ、結局、兄は妹が散らかした後を片づけている。そんな輝柊の姿を視界の隅で確認して、樹那はなんとなく安堵の笑みを浮かべた。
 何が不安だったのかも忘れたけど、そんなものはどこかにいってしまった。いつも通りの朝の光景に、夢のせいでささくれていた精神が癒されていくのを感じる。
 きっとこの先なにがあっても、家族がいるから。一人しかいないけれど、誰よりも自分のことを知っていてくれる人がいるから。
「うわー、ま、間に合うかな。行ってきまーすっ!」
「いーから前向け! 前向いて走れっ!」
 一人じゃないから平気な気が、した。


【CAST-010】
●霞上樹那(かがみ・じゅな)
●霞上輝柊(かがみ・きしゅう)

ほのぼの兄妹話in『惑星異聞』(オリジナル)。
血の繋がってない兄妹恋愛物も好きですが、健全200%に兄妹仲が良いだけの話も好きです。
でも自分で書く場合、いちばん好きな男女ペアものは「恋愛色がかけらもなく、さらにくだらないうえに低レベルな口喧嘩」かもしれません……(あほ……)。
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惑星異聞【白】 1-9

 サハスという通称で知られているフォレスティの第一街区には、待ち合わせ場所としてよく使われている市街公園の中央広場がある。中央広場とはいっても噴水があるだけでさほど広い場所でも目立つ場所でもなかったが、環境柄なのかお気楽な気質を持っていることが多いフォレスティの住人たちにとっては十分集まりやすい場所となっていた。
 そんな穏やかな昼下がりの噴水横に、どうにもそんな雰囲気にそぐわない仏頂面の青年が一人。
「……わかんねぇじゃんよ」
 シヴァだ。
 物は壊すし記憶力には欠けているしと基本的に乱雑なシヴァだが、方向感覚は優れている。迷うこともせずスムーズに依頼人との合流場所へたどり着いたのはいいが、ここでひとつ問題が発生していた。依頼人の顔を、まったく覚えていなかったのだ。
 もちろん、上司であるアレーンはそのデータをきちんとシヴァに渡している。データが収められたディスクそのものを確認しないかもしれない可能性も考慮したのか、依頼人の顔画像をプリントアウトまでしてファイルと一緒に手渡していた。ただ、それをシヴァがまったく見ていなかっただけだ。依頼の概要だけは確認したものの、日頃はパートナーに任せっぱなしにしている依頼人の顔を確認しておくという手順そのものを、シヴァはきれいさっぱり忘れ去っていた。
 それに、たった今気がついたのだ。しかも気がついた時にはすでに遅く、ファイルやデータ一式はまとめてメトロのステーションに置いてきてしまった。取りに行けばいい話ではあるが、待ち合わせの時間も目前だ。それに、いちいち戻るのもまた面倒くさい。どちらが切実な理由かといえば、シヴァにとっては後者だろう。
「まァ……向こうがわかってんだろ、きっと。ったく、めんどくせぇ」
 分かっていなかったらどうするのか?
 そんなことは微塵も考えずに、シヴァは噴水を取り囲む石造りの段差へと乱暴に座り込む。何かにつけスムーズに進まないが、どう考えても自分が悪いので責任転嫁のしようもない。
 せめて八つ当たりをしようと苛立たしげに地面を蹴り飛ばしたその時、着ていた革のジャケットを後ろに引っぱられてシヴァは情けなくもバランスを崩した。
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