紅い時間 … ←back □ next→


 

 

 

 

 −the 2nd DAY−Reverse

 

 

 やっかいなものを拾ってしまった、という自覚はある。

 意識を取り戻す前にさっさと彼自身のテリトリーに戻しておけば表向き問題も起きなかった、ということもわかっている。

 面倒なことにわざわざ自分から首を突っ込んだということは嫌というほど認識しているのだが、それを他人から指摘されるとへそを曲げたくもなるというものだ。

「あのですねえ、事の重大さがわかってらっしゃるんですか」

「わかってるよ……言われなくても」

 少なくとも、気を抜くとついため息がもれてしまう程度には。

「ということは、好きこのんでやっかいごとを拾っていらっしゃったというわけですね」

「別に好きで拾ってきたわけじゃないよ」

 運悪く、自分の前で彼が死にかけていたというだけだ。

「……わかりました、拾ってきたことは不可抗力と認めましょう。それなら、なぜまだ彼をここに置いておかれるのです?」

「本人が帰りたくないって言ってるからねえ」

 ああいうタイプは、思い詰めると何をしでかすかわかったもんじゃない。

「……レン様、ここは迷子の保護施設でもかけ込み寺でもないんですよ?」

 これみよがしにため息をついてみせるアラン・ガシューを横目でちらりと見て、レン・ムワヴィアは小さく息をついた。もちろん、自分に説教をしている相手には気取られないように、だ。

 いつもであればのらりくらりとアランの説教もかわすところだが、今日はさすがに自分のほうに非があることがわかっているのか言い訳も口にはのぼらない。めずらしく、心の中で呟くにとどまっている。……単に、言い訳をする気力がないだけかもしれないが。

 そんな今一つ生彩を欠くレンの反応が、物足りなく感じたらしい。アランは表情を真面目なものにあらためると、レンに嫌味を言うのはやめたようだった。

 手にしたファイルをめくり、書類の間から一枚のカルテを取り出す。デスクに頬杖をついたままため息をつきたそうな顔をしているレンの前にそれを置くと、内容を確認するように口を開いた。

「ロテール殿の外傷はもう問題ありません。ただ出血が多かったので、しばらくは貧血状態のままでしょう。それまでは、あまり歩き回ったりはしないほうがいいですね。まあ元々鍛えてあるので、そう時間はかからずに健康体に戻るはずです。早ければ明日には動けるようになっている可能性もあります。ほかに問題点としてあげられるのは……」

「精神的なものだろう?」

 おもしろくもなさそうにレンが口をはさむ。そんな上司の様子に、相当ストレスを溜めているなと心の中でだけ納得して、アランは何も気づかなかったかのようにあっさりと先を続けた。

 ここでそれを考慮して同情してもはじまらないし、そのストレスの種を自分が引き受ける気もさらさらない。どっちにしろ、レンが自分で拾ってきたやっかいごとだ。アランが表だって対処するわけにもいかない以上、レン本人になんとかしてもらうしか方法がない。

「そうです。そちらは私にはなんともしようがないので、レン様がフォローするしかありませんよ。私が顔を出すわけにはいかないんですから」

「ああ、君とあの子は面識あるんだっけね」

「一応、私の表向きの職務は近衛騎士団長である黒翠の聖騎士ですから」

「そうだっけ。忘れてたよ」

 頬杖をついたまま、レンがくすりと笑う。

「……ボケるのも大概にしてくださいよ……」

 どう考えても冗談として思えないレンのセリフに、アランはわざとらしく呆れた声を出してみせた。

 

 

 

 −the 2nd DAY−Obverse

 

 

 黒ずくめの青年はレンと名乗ったが、それ以外はなにも教えてくれなかった。ここがどこであるのか、彼がどういった職務についているのか、といったことである。

「君には関係ないことだろう?」

 そう言われてしまうと、ロテールには何も言い返すことができない。

 確かにロテールは死にかけていたところを偶然に拾われただけだし、帰るなら送っていくという彼の親切を蹴ってここに居座っている居候だ。それにレンは事情を察しているのか単に興味がないだけなのか、ロテールのことをなにも聞いてこない。そのかわり自分のことも詮索されたくないのか、何を聞いてもまともな答えが返ってくることはなかった。

「秘密」

「さあね」

「見たとおりじゃないのかい?」

「教えたからって、君の得にはならないよ」

 たった2日間で聞き慣れてしまった決して好意的とは言えない言葉が、レンのいっそ見事なまでに崩れない穏やかな笑顔から紡ぎ出される。しかも不本意ながらも拾ってしまった珍客には愛想を振りまく気もないのか、表情は穏やかでも口にする言葉はけっこう容赦がなかった。人当たりが良いようでいて、彼のまわりに張り巡らされている壁は厚い。

 そういうタイプかと納得して、ロテールはまるで王宮内における自分と同じであることに気がついた。

「少しくらい教えてくれたっていいだろう? どうせ、あんたは俺のことなんて、教えなくたって知ってるんだろうし」

「君のことを知らない王都の住人を捜す方が難しいだろうね」

「そういう問題じゃなくて……大体、ずるいじゃないか。あんたは俺のことを知ってるのに、俺はあんたのこともここがどこなのかも知らない」

「……君もなかなかしつこいね。他人のことなんてどうでもいいタイプだと思ってたんだけど」

 食事を乗せたトレイをベッドサイドに置いて、レンがこれみよがしにため息をつく。ロテールはその様子を横目で見ながら、他人のことがどうでもいいのはあんただろう、と心の中でひとりごちた。

 彼が顔を見せるたびに質問責めにしていたのはロテール本人だから、ため息をつかれるのもわからないでもない。それでもレンがまったく答える気がないという素振りさえ見せなければ、ここまで意地を張ろうとも思わなかったはずだった。

「別に、他人のことがどうでもいいわけじゃない。気に入らない相手のことは、確かにどうでもいいけど」

「ふーん。つまり、少なくとも俺のことは気に入らないわけでもどうでもいいわけでもない、ということかい?」

「まあ……そういうこと、か……な」

 正確には「どうしようもなく気になっている」と言い直すべきなのだが、なんとなくやめておいた。

 呼べばすぐにあらわれるし、頼めばずっと側にいてくれる。

 だがレンは、決して必要以上に近づいてこようとはしなかった。

 未だ接触嫌悪症が抜けていないロテールにそれは好都合で、しかも一人でいたくないというわがままな性癖には、とても居心地の良い空間でもあった。

 得体の知れない相手と共にいるというのに妙に安らいでる自分に気づき、それが何故かを考えたロテールは、該当する答えを弾き出して愕然とし、ついで苦い笑みをこぼす。

 答えは、簡単だった。レンが、自分に何も求めないからだ。

「君も変わってるよね。こういう正体不明の相手に出会ったら、有無を言わさず急所を一突きにでもしたほうが身のためだよ」

 物騒な内容と妙に明るい声のアンバランスさに、ロテールの意識はこちら側に引き戻された。

 レンがナイフを手に、林檎の皮を剥いている。さすがにもう死ぬ気はないとはいってもまだ時期尚早と思われているのか、彼が刃物を渡してくれることはない。

 ロテールにとってそんなことはどうでもよかったが、少しずつ長くなっていく紅い果実の皮を見ていたら、言わなくてもいいことまで口に出してしまった。

「だって、あんたは俺に何も求めないから」

 燐光の聖騎士に何かを求める者は何人もいる。何かを求めない者を探す方が困難だ。部下も、聖乙女も、国王も、市民も。

 ヴォルト伯爵家の当主に何かを求める者も、数え上げればキリがない。豊かな生活を求める領民は勿論、王都に来れば伯爵に沈黙を求める者、服従を求める者なども。

 すべての要求に応えられるほど、ロテールは身体がたくさんあるわけでもなく、お人好しでもない。ましてや国のため、家のためを思えば間違っても応じるわけにはいかない求めもある。

 今まで、勝手な要求ばかりを押しつけられてきた。だから。

「俺の立場や身分を知って、何も要求してこなかったのはあんただけだ」

「……『生きる』ことを要求したような気はするけど」

「死ぬことを要求されるよりは遥かにマシさ。それに……別に、何が何でも死にたいわけじゃなかった。あんたが生きろって言うんなら、きっと生きていける」

「ずいぶんと……買いかぶられたものだね」

「それだけ、あんたを信用してるってことさ」

「こんな得体の知れない奴を信用するなんて、君もどうかしてるよ。まあ、まだ16歳の子供を利用しようとは思わないけど……」

「……その16歳の子供を利用しようとする奴が、この国には腐るほどいるんだよ」

 利用されることには慣れている。だけど、利用されたい訳ではない。

 嫌なことばかりを思い出しそうになったその時、目の前に切り分けられた林檎が差し出された。

 

 

 明かりを消してひとりになった部屋で、天井を見つめる。

 レンは今まで出会ったことのないタイプの人間だから、どう関わっていけばいいのかわからない。興味ばかりが募って、でもそれが満たされることもなく、またジレンマに陥る。

 求められることにうんざりしていても、結局は求められなければ何もすることができない。そんな自分の非力さを見せつけられたようで、ロテールはそっと瞼を閉じた。

「あいつは、俺に何も求めない。俺を好きになんか……ならない」

 だけど。

 ただの16歳の少年であるロテール一個人を求める者は、誰もいない。

 


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