□  夏の雨音  □

 

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 秘畢の丘は、いつでも春先のような心地よさを保っていた。

 空に浮かぶ太陽の輝きはたしかに夏らしいものなのに、照りつける日差しは柔らかい。そのアンバランスさのせいで、まるで太陽が作りもののように見えるほどだ。

 天候や気候を調節する術は、さほど珍しいものではない。さすがに街全体に効果を及ぼすほどの大がかりなものを使える者はいないが、過ごしにくい暑さをしのぐために屋内の温度と湿度を下げる術や空気中の水分を集めて雨として降らせる術などは、戦場でしか役に立たない攻撃魔術よりはよほど身近なものだ。

 だが、それは壁で外の空間と中の空間が完全に隔てられているからこそ、できることだ。森に囲まれているとはいえ、この一面花が咲き乱れる外の空間だけを完全に切り離して春先の温度を維持するのは、普通であれば不可能である。

 だけど、ここには一年中花が咲いている。季節の移り変わりのない、常春の地。まわりが四季を持っている以上自然現象でこんなことが起きるはずはないのだから、誰かが魔法を使って調節しているのはあきらかだった。

 でも、それは普通の人間には不可能なこと。それなら、一体誰が何のためにこんなことをしているのか?

 この花園の管理人とでも呼べそうな人物がいるにはいたが、おそらく彼がまともな答えをくれることはないだろう。もしかしたら、彼も本当の答えは知らないのかもしれない。

 

 

 めずらしく昼寝を決め込まずに読書をしていたレンがふと顔をあげると、ちょうどロテールが秘畢の丘にあらわれたところだった。

 いつものようにレンの傍らまでやってきて、当然のように隣に座を占める。口には出さないが「かまってほしい」と表情で訴えられて、レンはくすりと笑いながら彼の髪に手を差し入れた。

 どうやら先ほどの夕立に遭遇したらしい金髪は、少ししめっている。乾いているときはさらりと逃げていく髪が、今日は微妙に指にまといついてきた。

 ロテールは安心したのか、レンに頭を預けたまま目を閉じてしまっている。しばらく何も言わずに優しい表情で金の髪をいじっていたレンだが、ふと何かに気がついたのか口を開いた。

「ロテール……忘れてたけど、今日って水曜日じゃなかったっけ?」

「そーだよ」

「……なんでここにいるんだい?」

「来たかったから」

「・・・・・・・仕事は?」

「今日は早番でもうあがり。なまじ時間の余裕なんかがあったもんだから、雨に降られて散々だ」

 はじめは眠いのかのんびり喋っていたロテールの口調が、少しずつ不機嫌なものになっていく。それを聞いてレンは、要するに思いもよらない大雨で今後の予定が狂ったので、ふてくされて愚痴を言いに来たのだと判断した。

 そのままとめどなく、ロテールの口からは意味があるのかないのかわからない台詞が次々と溢れてくる。どうやら半分以上は本人にとってもどうでもよいことらしく、絶えることなく喋り続けているわりには表情が「心、ここにあらず」と告げている。

 そして時折思い出したようにこちらをちらりとうかがう様子から、要するにロテールには何か言いたいことがあるらしい、と気づいた。

「……わかりやすい性格してるよね」

「何か言ったか?」

「いや、何も……」

 やることなすこと派手なわりには、こういった部分でロテールは躊躇することが多い。レンにしてみれば、日頃あれだけわがままっぷりを発揮していながら何を今更、というところだ。

 レン自身、ロテールに寛大すぎるという自覚はある。ただこうもロテールが切り出しにくそうにしているところを見ると、さすがに少々身構えておく必要がありそうだった。

 それでも知らないふりを決め込まずにさりげなく喋らせようとするところが、レンの甘さなのだろう。

「それで? 何か言いたいことがあったんじゃないのかい?」

「な……なんで?」

 途端に、あからさまに動揺するところがまた正直なことこのうえない。レンは呆れ半分、おかしさ半分で笑みをもらす。

 ポーカーフェイスは得意らしいのに、レンに対したときのロテールは表情だけで雄弁に心情を語っている。取り繕う余裕がないのか、最初から取り繕おうとすら思っていないのかはわからないが、とにかく面白いほど反応・行動ともにストレートだ。

 人の心の動きや感情を察する術に長けているレンからすれば、これほどわかりやすい相手もいない。もっともそれはロテール本人も自覚していることらしいので、口に出したことはなかった。

「君の行動パターンくらい、いい加減把握できるようになるよ」

 結局、肩をすくめてレンが口にした台詞は、本当の感想をかなり押さえたものである。それでも面白くないのか、ロテールは拗ねた表情を見せた。

 ふてくされたまま、視線をさまよわせる。そしてやっと覚悟を決めたのか表情を改めて口を開きかけ……そのまま閉じてしまう。

 しばらくそれを繰り返していたロテールだがやはり決心がつかないのか、結局口をぱくぱくさせたまま黙り込んでしまった。

「……ロテール?」

 先を促すように呼びかけてみても、何が足りないのか複雑そうな表情を見せるだけである。さすがにこれではレンも何が何だかわからず、途方に暮れて首を傾げるしかない。

 そのまましばらく言葉もなしに見つめあい、というには色気のないにらめっこが続いていたが、やっと何かを吹っ切ったらしいロテールがそれを断ち切った。前触れもなにもなく、唐突にぎゅっとレンの首に抱きついたのだ。

 ……やっぱり、よくわからない。

 瞬きを繰り返してますます途方に暮れた表情になったレンは、それでもロテールの背中に手を回す。そのままなだめるようにぽんぽんと背中を叩いていたら、首にかすかな重さを感じた。

 なんだろうと思って首をひねってみると、ロテールがレンの首に、銀の細い鎖をかけている。どうやら鎖の先には何かがついているようだ。ペンダントらしい。

「……これは?」

「……雨宿りに入った道具屋で見つけたんだ。あんたの瞳の色だったから、つい買っちゃってさ」

 何かを確かめるようにそう言って、ロテールがゆっくりとレンから身体を離した。自分でレンの首にかけたペンダントを見て少しロテールの視線が揺れたが、レンにはそれがなぜだかわからない。

「俺が持ってても仕方ないから、あんたにやるよ。受け取ってくれ」

 持っていても「仕方がない」からプレゼントするわけでなく、レンに「持っていて欲しいから」プレゼントすると言えないところがある意味ロテールらしいと、レンは思う。

 そんなことは、ロテールの顔を見れば一目瞭然だ。レンのために買ったものであれば、確かにロテール本人が持っていても意味はないだろう。

 銀の鎖をつけられ、黒い制服の胸元を飾るペンダントヘッドを手に取る。黒曜石の台座にはめ込まれたアメジストは、ロテールの瞳の色というよりは、レンの黒髪に隠された瞳の色をしていた。

「へぇ……嬉しいね。ありがたくいただいておくよ」

 太陽の光を受けて、控えめに石が輝く。別に、断る理由もない。レンは素直に受け取って礼を述べた。

 好きな人から貰ったものは、なんでも嬉しい。それが自分のために選ばれたものであれば、なおさらである。なぜこれを切り出すまでにあそこまでロテールが逡巡したのかはわからないが、とりあえずレンにとってはもうどうでもいいことになった。自然に、笑顔が浮かぶ。

 レンの素直に嬉しそうな反応を見て、少しだけまた不安そうな、何か隠し事があるような後ろめたそうな表情を見せたものの、ロテールもまた嬉しそうに微笑んだ。

 


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