NIGHTMARE夢魔

by. 笠崎メイ

 

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 王宮や王都で、赤炎聖騎士団長レオンの憔悴ぶりが噂されるようになって数日が過ぎた。

「何か酒場でも酔っぱらってくだ巻いているみたいでさ、親父さんもほとほと困っているみたいなんだよ」

 嵐雷聖騎士団長ジャン・アンリ=ダッソーが言う。

「本当に、しょうがない人ですね」

 マハトは深いため息とともに言葉を吐き出した。 

 

「レオン、最近のあなたはどうしたというのです? ちょっとおかしいのではありませんか?」

 しんしんと雪が降る日の午後。レオンは騎卿宮のマハトの部屋でお茶を飲んでいた。

「おかしいって……何が?」

 レオンはそれまでずっとカップに落としていた視線を持ち上げ、マハトを見た。

「その顔色、普段通りの執務を続けているのが不思議なくらいに真っ青ですよ。酒場でもよく泥酔していると聞いていますし。一体、何があったというのです?」

「それ……は……」

「レオン、私とあなたは王立学院時代からの友人だったはず。その私にも話せないようなことなのですか?」

 慈悲深い翠の瞳が、静かにレオンを見つめている。

「最近……よく……眠れないんだ……」

「眠れない?」

「同じ……夢を……繰り返し……見るんだ……」

「それは、そんなに恐ろしい夢なのですか? どんなに強大な敵に対しても決して怯まない、赤炎聖騎士団長であるあなたが、そこまで怖がるなんて……」

「……」

 夢の内容なんて、絶対にマハトに話すわけにはいかない。毎晩のように夢の中へカインがあらわれ、口付けしていくだなんて……。今、この瞬間でさえ、ふと想い出すだけで、カインの唇の冷たい感触がまざまざと甦ってくるだなんて……。

 レオンは再び視線をカップに落とした。マハトはふと立ち上がり、棚から一冊の本を取り出してページを開いた。

「ナイトメア、つまり夢魔は、人に夢を見させて、恐怖を与える魔物と言われています。まあここ何百年も、アルバレア周辺に出現したという記録はありませんが」

「夢魔?」

 ここ数日、止まったも同然だったレオンの脳が突然働き出した。

(そうか……。きっとカインは……そのナイトメアに……魔物にとりつかれたんだ……。あんな……実験ばかりやっているから……)

 そう考えると、自分の身に起こったことが、すべてが納得いくような気がした。

(ならば……カインからその魔物を叩き出してしまえばいいんだ……)

 

*****

 

 次の日曜日の昼過ぎのこと。デュランダール家、つまりレオンの自宅を訪れた者がいた。

「カ、カイン様!」

「突然来てすまない。偶然、近くまで来たのでな」

「そんな……ど、どうぞ、お入りください!」

「どうした?」

「お兄ちゃん! カイン様が……」

「カイン?」

 ここ数日、レオンはカインを避け続けていた。なのに久しぶりに会ったような気がしないのは、毎夜のように夢の中で会っているかせいだ。

「……。実験の材料を探していたら、近くに来たので寄ってみたのだ」

 カインは軽く笑みを浮かべてレオンを見た。

「そうか……」

「お兄ちゃんたら、何て不景気な顔しているの! さあカイン様、外は寒かったでしょう! 早くお入りになって!」

「では、失礼する」

(……)

 暖炉の前に向かうカインの後ろ姿を見ながら、レオンは自分のグレードソードが暖炉の横にあるのを確かめた。

 

「降臨祭は、済まなかったな」

「そんな……カイン様、私もいけなかったんです。こんなお兄ちゃんに聞いたくらいで、胡桃なら大丈夫と思い込んだのだから……あっ、お湯が沸いている! あの……お茶はお嫌いですか?」

「いや……」

「じゃあ、すぐお茶の用意をしますね! あっ、どうぞ座って、くつろいでいてください!」

 ハンナはあたふたとキッチンへ駆け込んでいった。

「……」

 燃えるような赤い瞳がカインを睨め付ける。

「何しに……来た?」

「さっきも言っただろう? 偶然近くまで来たので、ハンナ嬢に降臨祭のことを謝りに来たのだ」

「本当に、それだけか?」

「俺を避け続けている赤炎聖騎士団長殿が、なぜそんなことを聞くんだ?」

「避けてなどいない!」

「ここ数日、おまえは俺を見かけただけであたふたと立ち去ったことが10回以上はあった。それでも避けていないというのか?」

「俺……は……」

 赤い瞳がその力を失い、あてもなく宙を彷徨う。

「……」

 カインは無言のまま立ち上がり、レオンの頬に手をかけた。

「顔色が悪いな……」

「寄る……っ!」

 二つの唇が重なる。これは夢ではない。その証拠に歯列が割られ、舌が割り込み、淫らに蠢いている。夢に出てくる口付けとは、明らかにその質が違う。躰中から力が抜けていくようだ。

 

「……!!!」

ガッシャーン!

 誰の耳にも明白な、陶器の割れる音。

「カイ……ン……様……」

 ハンナの双眸が、レオンとカインを見つめている。

「ハン……ナ……」

「……」

 カインは無言のまま、デュランダール家を立ち去った。

 

 

 ハンナは自室に閉じこもったまま、食事もとろうとしない。無論レオンと顔を合わそうともしなかった。

(俺は一体、どうすればいいんだ!!!)

 カインが魔物にとりつかれているのはもう明らかだ。あんな……膝が抜けるような口付けが、普通なら男同士でできるわけがない。

(待っていろよハンナ……。カインを、カインを魔物の手から取り戻してきてやる!)

 


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