NIGHTMARE夢魔

by. 笠崎メイ

 

←backnovel-top→

 

*****

 

(また雪か……)

 カインは寝室の窓辺に佇み、音もなく降り積もる雪をぼんやりと眺めていた。

 雪は雨の化身とはいえ、力の源にはならない。ただ中途半端にたぎる己の躰が呪わしい。

(こんな夜は……)

 わき上がる欲望を穏便に処理する方法を知らないわけではない。だが今日はなぜかそうする気分にならない。

(そろそろ……限界かもしれないな……)

 

 

 同時に聖騎士団長に就任するまで、レオンのことはほとんど知らなかった。赤炎聖騎士団にそういう名の剣の達人がいると、人の噂で聞いたことがあるくらいだった。

 だが聖騎士団長就任式でレオンに会ったとき、衝撃を受けた。

(こいつは……俺とは全く正反対の人間だ……)

 実際、レオンはカインとは真反対の人生を送ってきていた。両親の愛を体中に受けて育ってきたのだろう。その感情表現は真っ直ぐ過ぎて、聖騎士団長としては時として危なっかしいぐらいだ。聖騎士団に入ることだけを目標にして、王立学院に入学したらしい。そして騎士から聖騎士団長へと、確実に昇進してきた。剣の腕は超一流。アルバレア国内どころか、周辺諸国を見回しても、確実にレオンに勝てる剣の腕を持つ人間を探すのは難しいくらいだった。

 一方のカインはどうかというと、まず両親はいたものの、愛情を受けたと感じたことはただの一度もない。それは両親というものを最初から知らない人間より、ある意味では辛いことだった。今でこそ聖騎士団長と呼ばれるが、この地位にいることに常に居心地の悪さを感じている。よく『人付き合いが悪い』『とっつきにくい』と言われるのは、他人に対してどう接していいのかがわからないからだ。剣はそこそこ扱えるものの、より遠距離から攻撃できる弓のほうが得意だ。もっと得意なのは魔術。これなら他人に接近する必要はないし、しかも理論が整然としている。魔導の実験をしている間は、他人と接触しなくてもいい。

(あまりにも正反対過ぎたから興味を持った。だが……)

 レオン自身にここまで固執するようになるとは、自分自身も予想していなかった。とはいえどう贔屓目に考えても、レオンが自分を受け入れてくれるとはとうてい思えない。それゆえ徹底的に隠し通すつもりだった。その真正直な言動に、茶々を入れる程度のことで満足できていたはずだった。

 そう、あの降臨祭の一件さえなければ……。いや、レオンが『ハンナのことをどう思っている?』などと言い出さなければ……。

(一度出口を見つけた奔流を止めることが、こんなにも難しいことだったとはな……)

 欲望は日増しに強くなる。

(聖騎士団長を辞める……潮時かもしれないな……)

 

 使用人が急な来客を告げる。

(こんな夜更けに誰が……)

 絶対に来るはずのない者の姿を想像し、自分で打ち消す。

(そんなはず、あるはずがない……)

 だがやってきたのは、その人物だった……。

 

 レオンは戦闘に赴く際の正装、つまり鎧を身につけていた。一方、カインは既にローブのような夜着をまとっている。

(面倒だ……このまま応対するか……)

「こんな時間に……何の用だ?」

 カインはレオンを寝室に招き入れた。

「おまえに巣くう、夢魔を退治しにきた!」

 言うやいなや、レオンは愛用のグレードソードを構えた。

「夢魔……? 夢魔だと? ハッハッハッハッハッ」

 今まで聞いたこともないカインの高笑いに、レオンは唖然となった。

「夢魔か……。確かに、魔物のせいにしてしまえれば、それが一番楽だろう」

「何だと?」

 予想していたのとは異なる展開に、レオンは戸惑いを隠せないでいる。

「俺の中の禍々しい感情はすべて、俺にとりついている魔物のせい。そう考えてしまえば、どんなに楽だろうかと言いたいのだ」

「黙れ! おまえ、魔物に乗り移られているんじゃないのか!」

「……ある意味では、そうかもしれないな……」

 カインは惚けたような視線をレオンから逸らし、窓の外に向けた。相変わらずレオンは剣を構えているというのに、ちらとでもそれを気にする様子を見せない。そのことがレオンを苛立たせる。

「だが……そう言うおまえはどうなんだ?」

「俺がどうしたというんだ!」

「夜毎夢にあらわれては俺を誘う……。おまえこそ……夢魔なのではないのか?」

「何……だって?」

「……」

 カインは無言のまま、レオンに向き直る。その蒼い瞳は何物も……レオンでさえも映していない。あるのはただ……底知れぬ虚無だけ。

「俺が夢魔……だと? 俺が夢の中でおまえを誘う……だって?」

 レオンは剣を床に突いて跪いた。頭が混乱して、何も考えられない。脳裏にカインの言葉だけが響き渡る。

『おまえこそ……夢魔なのではないのか?』

「違う! 俺は……夢魔ではない! 魔物などにとりつかれてはいない!」

「……」

「カイン……俺に……俺にどうしろと言うんだ……」

「どうとでも、おまえのしたいようにすればいい……。その剣で俺に斬りかかるなり、火の魔法を使うなり……。そうすればもしかしたら、俺の躰から魔物が飛び出てくるかもしれない……。運が悪くても俺が死ぬだけのことだ……」

「……」

「安心しろ。どの道そろそろ聖騎士団長を辞めようと思って、各方面には手を打っていたところだ。さほど混乱は起こるまい。まあ、おまえの手にかかって死ねるのなら、むしろ本望かもしれないしな……」

「……」

「……やらないのか?」

「……俺……は……」

「なら、俺は俺のやりたいようにするぞ……」

 

 カインの腕がレオンに向かって伸びる。

 

 

 たぶんこれは夢の続き……。

 熱くなった肌に触れる冷たい唇や指が、こんなにも心地よいものだと初めて知った。

 汲んでも汲んでも尽きることのない泉のように、躰中から快感が溢れ出てくる。

 

 

 たぶんこれは夢の続き……。

 この世でただ一つだけ手に入れたいもの、だが決して手に入ることはできないと諦めていたものが、今この腕の中にある。

 しかもそれは己の行為に、生真面目すぎるほど確実に反応を示してくれている。

 

 

 たぶんこれは夢の続き……。 

 こんなことまで……という羞恥心が全くないといえば嘘になる。

 それを敏感に察した者が、くすりと小さな声で笑い、自分でさえ触れることがほとんどない部分に指を這わせてくる。

 

 

 躰を引き裂かれるような痛みが、一瞬、我が身を現実に連れ戻す。

「カ……イン……」 

 

 

 たぶんこれは夢の続き……。

 甘やかな声が確かに己の名を呼んでいる。

 お礼に、降るような口付けを捧げよう……。  

 

 

 たぶんこれは夢の続き……。

 

 

 

 

 カインが蒼流聖騎士団長の職を辞して旅に出たのは、その翌日のことだった。

 

*****

 

 三月とはいえ、風はまだ冷たい。レオンは一人、セーリア河にかかる橋に立っていた。

 一時に比べれば、顔色はだいぶよくなってはいた。そのせいか、その表情に浮かぶ寂しげな暗い影に気付く者はあまりいない。

「お兄ちゃんっ」

「あっ……」

 振り向くとハンナが立っていた。市場での買い物帰りらしく、両手に大量の荷物を抱えている。

「カイン様、いなくなっちゃったね……」

「あ、ああ……」

「きっとお兄ちゃんのこと、本気で……好きだったんだね……」

「えっ」

「何か初恋の相手をお兄ちゃんにとられたみたいで癪だけど、ま、しょうがないかっ。初恋って実らないものだっていうしね!」

「ハ、ハンナ……」

「さっ、もうお夕飯の支度しなきゃならないから帰るわよ! 荷物持ってね!」

「あっ……」

 

 

 荷物を持って自宅へ向かおうとして、レオンは一瞬だけ橋を振り返った。

 一夜の思い出だけを残して消えた恋人の姿を、確かに……見たような気がした。

 

 

 たぶんこれもまた夢の続き……。

 


END

←虚構文書