T r u m b i l d

 



 

第三話

銀の乙女
ぎんのおとめ

 

2■

 

 アルバレア北方の北辰の砦にやって来てから一週間と少しが経っていた。

 十二月中旬にさしかかろうとする北の地は、雪の降る量も増してきている。ロテールが冗談まじりに言ったことではあったが、このままでは本当に王都に戻れなくなりそうだ。怪我のために落ちた体力もほぼ元通りになってホッとする。

 これなら二、三日のうちに帰れそうだな、という会話を部下としていた時にその知らせは飛び込んできた。

 

 

 

「燐光聖騎士団長が、目を覚まさないそうです」

「……は?」

 一瞬、何のことだか分からずに目を瞬いてしまう。

「ですから、ロテール様が眠ったままだと」

「え?」

 間抜けにもまた聞き返してしまったが、ようやく報告の内容を理解する。そういえば、怪我をしてからというもの毎日ずっと朝目が覚めたらロテールがいる、という状況だったのに。今日に限っていなかったのは変だとは思っていたが、どうしたというのだろう。

「いつも朝早くからいるのに、今日は見かけないと思っていたんだ。寝坊じゃないのか〜?」

 部下の一人が報告をしに来た者にからかい半分で答える。雪深い砦に閉じ込められていて、退屈な中の格好の面白い話だとでもいうかのように。

「いえ、それが……呼びかけても、揺さぶってもどうしても起きないらしくて」

「……? 良く状況がわからないんだが」

 部下が言った寝坊の方が考えられると思うのだが、困ったように状態を説明してくれる内容も少し気になる。

「取り敢えず、行ってみますか? 今、軍医が容態を診ていますが」

「あ、ああ」

 ロテールの側に自分から行くのは極力避けていたが、今はそう言っている場合じゃないと判断して案内に立つ騎士の後をついて行く。普段、砦のあちこちから聞こえてくる筈の騎士達の話し声や笑い声は聞こえず、長い廊下に二人分の足音だけが響く。そのあまりの無機質さに寒気がしてきた。

(嫌な感じだ……)

 ふと思ったが、どうしてそう思うのかはわからない。ただ、感覚的にそうだと直感が走って。

「ここです。……どうか、しましたか?」

 立ち止まって振り返った騎士に、はっとして立ち止まる。こちらの様子に何かあるのかと首を傾げた相手に、この感覚が自分だけに感じられるものなのだと理解する。

「……いや」

 気のせいかもしれないと軽く笑って扉のノブに手を置く。重い音がして扉が開いた。

「おや? 赤炎聖騎士団長殿か。まあ、入って下さい」

「その節はどうも、軍医殿」

「いやいや、こういう時活躍しなくては、医者とは呼びませんよ。魔法で怪我が回復できようとも」

 快活に笑って答える軍医は、部下というより少し年の離れた兄というような感じだ。

「ロテール……燐光聖騎士団長の具合は、どうなんですか? 眠ったままだと聞いたんですが」

「見た方が早いでしょう」

 そう言って、軍医は場所を譲ってくれた。軍医の背に隠れていたロテールの寝顔が目に入る。

「……!」

「言われるのと見るのとは状況が違うでしょう?」

 少し声のトーンを落とした相手の言葉よりも。

 ロテールの顔の白さに茫然とする。

 自分が知っているロテールは、申し訳ないがその辺にいる女の子達よりも肌が白くて、本当に男なのかと思うくらいであったけれど。

 今、目の前でベッドに横たわる彼の肌は普段以上に白い。

 

 白すぎて、まるで死んでいるような────。

 

「まさか、死──……!」

 あまりのことに声がかすれる。昨日までいつもと変わらなかったのに、突然のことで思考がまわらない。ロテールが死んだ、なんてとても信じられない。

「いいえ、死んではいません。……眠っているのです、これでも」

 静かに答える軍医の方へ顔を向ける。すると何を思ったのか懐から短剣を取り出して、ロテールの口元へ注意深く近付ける。それがどういう意味を持つのかわからなかったので、行動を素直に見つめていると、やがて刃がかすかに曇っているのに気付いた。こちらがそれを確かめたのを確認して、軍医は短剣をしまった。

「呼吸は見ての通り、わずかではありますがしているのです。生体活動としての最低限の量ではあるのですが。動物が冬の厳しい寒さを乗り越えるためにとる冬眠と似たような感じです。仮死状態とも言えなくはないのでしょう。どういうきっかけでこうなったのかは目下全力で調べておりますが……。しかし、これではまるで一週間前の貴殿のようですな」

「……え? 俺、ですか?」

「そうです。今の燐光聖騎士団長殿と同じように、半日くらい死人のようでしたよ。砦に運び込まれた時から半日は、少し血の量が足りない怪我人だっただけで他に要因となるものがなくて。砦中の騎士達が騒いでしまいましてね。大変でした」

「そ……んな状態だったんですか? 全然知りませんでした。ロテールはただ一日寝てたとだけしか言わなくて」

 軍医が苦笑いと共に話してくれたことにさらに驚く。あの時、微苦笑を浮かべていたロテールの表情を思い出す。確かに心配させたのだとは分かったが、そんなに凄い状況だったとは想像もつかなかった。そういえば今日ようやく砦の自室から出てみたとき、騎士達が予想以上に復帰を喜んでくれていた。あまりの反応に、ちょっとそれはひどいのではないかと思ってはいたが、折角喜んでくれているのに水をさしたくなくて黙っていたけれど。

「ロテール様は、本当に心から心配されていましたからね。そういう状況になったということを教えたくはなかったのでしょう。私など『原因が分かりませんだと!? 何のための軍医だ!』と怒鳴られましたよ。良い親友をお持ちですな」

「えっ……ええ、まあ」

 ほがらかに言われて返答に困る。こんな時、ロテールだったら何と返すだろうかとふと思ってしまった。その思考に自分自身を叱咤する。別にロテールのことなんか、どうでもいい……。

「とりあえず、様子を見てみましょう。貴殿と同じように一日で目を覚まして下さるかも知れません」

「そうですね」

 

***

 

 ロテールが眠りについたまま二日、三日と経ち、さすがにまずいのではと思っていた頃、軍医から呼び出されてロテールの部屋に出向く。

「原因はレオン様の時と同じく、不明です。前例もありません」

 二日経っても目が覚めぬロテールのために尽力したのが見て取れる、疲れたような青ざめた顔で軍医が報告してくれる。少し気の毒になって思わずロテールの方を見る。三日前と変わらぬ、生気の全く感じられない白い顔。

「そうですか……。どうして俺は一日で目が覚めたんでしょう」

「それがわかれば、ロテール様も目覚めるとは思うのですが……どうして起きたのかもわからない有り様で。お話した通り、この状態のままと同じレオン様が目覚めたときは、ロテール様だけが側におられたのですよ。後で聞いても『どうしてかわからない』と言われまして」

 同じようにロテールの顔を見つめた軍医が途方に暮れたように答える。そう言われてしまうと、起きたときに感じた何かが分かれば参考になったのに、とは思うがあの時は本当に体中が血の足りないせいでだるくて、普段以上に目覚めの気分が悪かっただけだった。これではまるで役に立たない。

「とりあえず軍医殿、少しは休んで下さい。その調子では昨夜寝ていないでしょう? 軍医殿が倒れられては、俺達が困ってしまいますよ」

 苦笑混じりに言ってみる。様子があまりにも悲愴なので休んでもらいたかったのだが、ただ命令を下しただけでは彼の努力を無にしてしまうようで。ロテールほど言葉を使うのに長けてはいなかったが、元気付けてやりたくて言葉を紡ぐ。

 それが通じたのか、かすかに軍医は微笑んだ。

「まったくもってそのとおりです。お恥ずかしい。では、お言葉に甘えて休んできますので、その間燐光聖騎士団長殿を頼みます」

「ええ」

 扉の閉じる音が背後で響く。

 自分とロテール以外いなくなった部屋は、急に温度が下がったように感じる。実際外は雪が静かに降り続けていて、一歩砦を出れば極寒を味わうことになるだろう。

 だけど暖炉の火は絶えず灯っているのに、寒い。小さく身震いして、寝台の側の椅子に腰掛ける。眠るロテールの顔をしばらく見つめて。

「どうして、こんなことになったんだ……?」

 静寂のあまりの重さに耐えられなくなって、思わずつぶやく。答えてくれる人はいないとわかっていても。

 伏せられた優雅な長い睫毛を持つ瞼が開くことはなく、あの優しい光を宿す菫色の瞳をその奥に隠したままで見ることはできない。

「俺は、まだどうしたらいいのかわからないのに……」

 砦に来る前までずっと避け続けていたが、このまま避けていてもロテールと出会うのは必然だ。会いたくなければ聖騎士団長をやめればいいのだが、夢にまで見た団長位をそうは捨てたくない。そう考えると、ロテールのことを本心から嫌ってないとは思うのだが……。

 嫌いだと言って、あんなことをしたことに対して彼を憎めれば楽だろうと思う。だけど、そう言い切ってしまうにはロテールのあのやるせないような切な気な瞳が心によぎってしまって、出来ない。じゃあ好きなのかと考えると、もっとわからない。

 だいたい、男同士なんて普通じゃない。

 常識的にはそうだと言えるのに、自分が男でも構わないと言ったロテールの言葉は本気だった。あまりの思いの強さに捕らえられて。どうしたらいいのかわからないまま、彼は何度となく同じ言葉を繰り返す。

 返る答えはないとわかっているのに、それでも微笑んで。

「どうして、あんな表情ができる……?」

 自分はどうすればいいのだろう。

「お前のせいだぞ……あんなことを言うから、こんな、よくわからないことになって……」

 つぶやくと、だんだん悔しくなってくる。今のこの状況に追い込んだのはロテールで、なのにその本人は、眠ったまま起きる気配すらしない死人のようだ。

「教えろよ、どうしてこんなことになったのか……っ! 言ったお前が逃げるなんて、ずるいぞ」

 知らず涙が零れて自分でも驚く。

 ぬぐった右手を見ると、暖炉の炎に照らされて光った。それを見て、右手を強く握り締める。

「馬鹿野郎……」

 

***

 

 砦の中にいる騎士達がそこかしこで噂をしている。

 少し耳にしただけでも、「燐光聖騎士団長はすでに死んでいるのでは?」「燐光聖騎士団は解散か?」というものばかりでむっとする。さすがに自分が側に来ると止むが、これでは目の届かない部下は何を言っているのか。考えて頭が痛くなる。

 

 ロテールが目覚めないまま、一週間が過ぎていた。

 

 

 

「え? マリア様に?」

「はい。報告していただいて、ここまでいらしていただくしかもう手は残されておりません。このままでは生命力が尽きてしまいます」

 つらそうに軍医はそう言って目を伏せる。

 突然出てきた聖乙女という言葉に目を瞬かせる。その様子に気付いた軍医が補足してくれる。

「……聖乙女様は、我ら騎士の力を増幅させて下さる。ならば、生命力の火が小さくなってしまっている燐光聖騎士団長殿の生命力を少しは増幅していただいて、回復のきっかけをつくってみた方が良いかと思われます」

「そうか」

 軍医の言うことは最もだったのでうなずく。それでロテールのこの状態が少しでも良くなるなら試してみる価値はある。王都にいる聖乙女には申し訳ないが、事の次第を話して御足労いただこう。

「わかった、伝令を出そう」

 すぐに部下を呼び、伝令を王都に出すよう伝える。「極秘」として信頼厚い部下に赤炎聖騎士団長の名でサインした手紙を持たせて向かわせる。

「こんな状態になっていることをマリア様はすでに気付かれているかも知れない」

「不思議な力を秘めておられますからな。聖乙女様は……」

 ぽつりとつぶやいたこちらの言葉に軍医が神妙な顔をして答える。

 疲れたような感じが混ざる声質に、ロテールの寝顔を見つめていた視線を軍医の方に向ける。四日前よりひどくはないが、精神的疲労は相当なものだと思わせる表情だ。緊張のしっぱなしで神経の方が参ってしまっているのではないか。ロテールの事を心配しているだけの自分とは違って、回復させる方法を毎日たくさんの書物から探そうと努力している軍医に頭が上がらぬ思いだ。

「そろそろ休んで下さい。まだ軍医殿には頑張ってもらわなくてはならないんですから。大丈夫、ロテールは殺そうったってそう簡単に死ぬような奴じゃないです」

「そうですな……。ではいつも通り、ロテール様を見ていて下さい」

 何がおかしいのか、小さく笑って軍医がうなずいた。

 薪がパチッとはじける音が静かな室内に響く。

 ベッドの横の椅子に座ってこうしてロテールを見るのは五日目くらいか。

 相変わらず蝋人形のように白い肌で、生きているのかすら疑わしい。その様子に不安が増してくる。死んでいるのでは……?

 思わず、そっと布団をあげて、服越しにロテールの胸に耳を当てる。体は冷え切っていて生きているものの体かと驚くほどだったが、かすかな心音が耳に伝わってきた。本当にわずかではあるが聞こえてくるそれに内心ほっとする。布団を元に戻して再びロテールの顔を見る。

 死人のような顔に、生きている証の心臓の鼓動。

 誰もどんな説明もしようのない不可思議な状態に陥っているロテールをみつめたまま、溜め息をつく。

「お前は、どんな気持ちだったんだ……?」

 同じような状態だったという自分。その時は一日で目が覚めたというがロテールは眠り続けたままもう一週間が経とうとしている。

 起こす術がないまま。

 

***

 

 はっと気が付くと、何もない真っ白な所に自分は立っていた。

 見渡す限り何もない。ただ白いだけの世界に眉をひそめる。

 嫌な感じが背筋に走る。それは、ロテールの部屋の前で感じたものと同じで。寒気こそ起きないが異質な雰囲気に戸惑う。

 頭を振って、ここがどこだか確かめようと一歩踏み出した時だった。

『あらぁ? 貴方、わざわざ来るなんて、そんなにここが気に入ったの?』

 かん高い女の声が辺りに響く。妙に耳に残る声だけど、あまりいい感じはしなくて好きにはなれない。そう思いながら再び辺りを見回しても、やはり誰もいない。首を傾げていると。

『ふふっやっぱり貴方、面白いわぁ。あたしの力が効かないなんて』

「誰だ!? 姿を見せろ!」

『いいのかしら? あたしは構わないけど、今度こそは帰れなくなるわよ?』

 嬉しそうに言う相手に顔をしかめる。まるで自分が前にもここに来たことがあるような言い方だ。嫌な感じがさらに増す。ここにいてはいけない気がする。

『帰ってもいいのよ? 贄はいるのだから』

「なにっ!? お前、モンスターか!」

『さあぁ? どうかしらね。あたしにも良く分からないわぁそんなこと。帰るの、帰らないの?』

 問われてムッとする。贄という単語が引っかかって、このまま帰ってしまうには無責任すぎた。例えその贄というものが動物だろうと、この声の主に捕まっているというのなら助けなくてはならないと思う。

「帰らない。だから姿を現せ!」

『嬉しいわぁ、そう言ってくれると』

 嬉々とした声。一瞬後、闇が爆発したように辺りに広がる。慌てて身構え様子を見ていると、ふとある一点にだけ光る何かがあるのが見えた。白だけの世界からすっかり暗い星のない夜の世界に放り込まれたことに困惑しながら、そちらに向かってゆっくり歩いていく。

『いらっしゃい』

 笑い声がして、突然目の前にふわりと白い女の姿が浮かび上がったので立ち止まる。銀の糸を束ねたような髪に水色の瞳、白い透けるような肌の中に唇だけがやけに赤く見える十六、十七くらいの美少女だ。

「お前が、さっきからの声の主か?」

『そうよ。ここは気に入って?』

「贄って何だ!?」

『せっかちねぇ。少しは付き合ってくれないと、女の子に嫌われるわよ?』

 強く尋ねたこちらに動じずに、少女は肩をすくめて笑う。強くにらみつけてやると、仕方ないわね、と小さくつぶやいたようだった。

『見えるでしょ? あそこまで行ってご覧なさい、自分で』

「言われなくとも」

 少女の横を通り抜けて、最初にこの黒い世界で見えた光を目指す。

 背後で楽しそうに少女が笑うのが聞こえたが無視する。

 距離感が全くつかめない空間で、果たして近づいているのかすらわからない。大分歩いてよく目をこらすと、その光の中心は人の形をしていた。

 はっとして駆け出す。

 確かめなくても。

 それがロテールだと直感した。

「ロテールっ!」

 見間違う筈のないあの淡い金髪と濃い蒼紫の服。何故出会った時の服を着てこんな所にいるのかという所までは頭がまわらなかったが、間違いない。

 あと少しで側まで行けるという所で。

 いきなり先刻の少女が現れて、ロテールを抱きしめた。

 思わず足を止めてしまう。

『ダメよぉ。これはあたしのなんだから』

 にっこり笑われて、どうしたらいいのか困る。

 よく見ると、ロテールは意識がない眠った状態には違いなかったが、あの死人と思われるような白すぎる顔色ではなく、生気のある彼であるようだった。そのことに安堵する。

「本当にお前誰なんだ? それに、ここは?」

『まあぁ、憶えてないの? 嫌だわぁ。あ、でも貴方は深い眠りについていたし、仕方ないのかも』

 こちらの答えに心底驚いた後、口に指をあてて含みのある笑みを浮かべる相手に困惑する。覚えていないとは?

『あたしが誰なのかなんてあたしにもわからないわぁ。ここだって勝手にできたんだし……どうやったらこうなるのか、くらいはわかるから利用はさせてもらっているけど』

 動揺に気が付いているのか、笑いながら答えてくる。今更だがよく見ると、彼女の姿はわずかだが透けているようだ。モンスターにしては人間の姿をしているし、知恵もあるし本人も分からないと言っているが。

「ロテールを、どうしたんだ?」

『ロテール、というの? これ』

 間の抜けたような答えが返ってくる。これというのはロテールのことか。

 ロテールが起きて説明してくれればいいのにとちょっと思うが、ここでも起きる気配はない。

『覚えてないんなら仕方がないけど。貴方のほうが先にここに来たんだから。貴方の生命力は消えかけていたけれど、とてもおいしそうな生命だったわぁ』

「先に……? おいしそう?」

 うっとりとこちらを見る少女に何を言っているのかわからず戸惑う。だいたいおいしそうな生命とはどういうことなのか。

『あたしはね、あなたたちみたいなのからエネルギーをもらって生きているの。代わりに望みのままの夢を見せてあげられるのよ。皆、みぃーんな、喜ぶのよ。思いのままの夢が見れて』

「なっ……!」

 それは、マリア様とロテールの話していた《銀の乙女》と同じなのでは。

『本当は、貴方にしようと思っていたのよ。今回の食事は……だけど、このロテールって人が来て「俺がかわりになるから」って言うからぁ、離してあげたの。一週間の期限付きでね』

「えっ!?」

『確かに貴方は生命力が尽きかけていたから、それよりは同じくらい魅力的な生命力の輝きを持った方が嬉しかったけど。こうして見ると、やっぱり貴方のほうがおいしそうよねえ。まあここに来たのだから、どっちにしろ同じだわぁ』

「ロテール……が?」

 笑いながら付け足す少女の言葉はほとんど聞いていなかった。それよりも、ロテールがそんな交換条件を出して自分を救ってくれたということの方が驚きだった。いまだ目覚めぬ彼。そうした原因が自分にあったとは。そういえば目覚めたとき、どうしても聞きたくて尋ねた答えに俺のためだったら死ねるとか言っていたのはもしかしなくても。

『でも、強情よねぇ、まだ抵抗しているのよ。ここから逃げられないっていうのに、夢を望まないんだから。エネルギーが採れないじゃない』

 少し悔しそうに言った少女に目を戻す。抵抗しているということは、ロテールはまだ少女の手に落ちていない……?

「当たり前だ! 誰がモンスターにエネルギーを与えるような真似をするか!」

 可愛い少女の姿をしているが、やはりモンスターなのだと判断を下す。人であるなら人間の生命を「おいしそう」だとか、エネルギーにしようとは言わない。

『あなた達だって、食事をするでしょ? それと同じだわよ』

 こちらの言い様にムッとして少女が言い返してくる。にらみつけてきているのだが、その美貌が損なわれることはない。

『だいたい、貴方どうしてあたしの力が効かないのぉ!? 前は意識がなかったから気が付かなかったけれど、おかしいわよ! この世界はあたしの世界だから、こういう風に眠りについてしまうはずなのに』

「そんなこと俺の知ったことじゃない」

 まるでこちらの方が悪いといわんばかりの言葉に困る。術が効かないと言いたいのだろうが、自分が魔法の抵抗力に強いなんてカケラにも思っていない。そりゃあ団長をやっているのだから人並み以上であるのかも知れないが、少女が言ったようにロテールが眠りについているのなら自分もそうなってもおかしくはない……と思う。

「とにかく! ロテールを離せ!」

『ダメよ。だって約束したんだもの、貴方の代わりにって。でも、貴方がここに来ちゃったんなら同じかもねぇ……そうよ、ここからは逃げられないの。あたしの力が効かなくても、いずれは同じことなんだわぁ』

「……っ! 冗談じゃない、俺は帰ってみせる。ロテールを連れて!!」

 再び嬉しそうにクスクスと笑う少女に怒鳴りつけて。

 大きく腕を上げる。慣れた図式、その構成。指先が光って文字を型どっていく。

『あら、魔法? 使えるんだぁ、貴方』

 緊張感のない相手に一瞬躊躇するが、最後の印を結ぶべく腕を振り下ろす。

「ラグナ・フォーラ!!」

 自分の中で扱える最大クラスの炎が走る。

 が。

「何っ!?」

 揺らめいた炎が、次の瞬間跡形もなく消え去る。

 そこには、前と変わらずロテールを抱きしめた少女がいる。

 茫然とするこちらを見て少女はにっこり笑う。

『ここはあたしの世界。魔法なんて効くわけないじゃない、残念ねぇ。貴方には少しおしおきが必要のようだわぁ』

 楽しそうに手をあげた少女に身構えるヒマもなく。不可視の力が周囲に走る。体のあちこちに鋭利な刃物で切り裂かれたような傷ができる。どれも浅いものではあるが。素早く回復呪文を唱えたが、それも発動する気配が無い。

 少女はクスクス笑っている。

 その様子に唇をかむ。相手の強力な結界内では、その結界を張った本人以外は能力に制限を受けると言うが、少女の言う「世界」とはそれに準ずるものらしい。

 このまま彼女に捕らわれたままでいるしかないのか。

 本当に手だてはないのか!?

「レオ……ン」

 小さい、本当に小さく自分の名を呼ぶ声に、条件反射のように顔を上げる。

『え、何これ!? うそぉっ!?』

 側にいる少女の方がうろたえる。抱きしめたロテールが目覚めていることに。

『抵抗してたって、眠りの力は効いていたはずよ……っ! どうして!?』

 混乱する少女を少し見つめた後、ロテールがこちらを向いた。久しぶりに見た紫色の瞳は、自由を奪われている体とは裏腹に強い光が宿っていた。

「レオン、エリアル・フロウだ!」

 今度こそ、はっきりと名を呼ばれてはっとする。

 言われたことを理解し、図式を描くため構成を編む。

『そ、それはっ……やめて!』

 呪文の印だけで何かわかったのだろう。先刻の余裕とは逆に目に見えて慌てている。ロテールの判断は正しいのだと確信する。

「残念……だな、こんなに可愛いのに。旅人など人間を大勢とらえていた君は、人間にとって害あるものなんだよ」

『どうして!? あたしは生きたいだけよ!!』

 ロテールがつらそうにつぶやいた言葉に、少女は悲痛な叫び声を上げる。生きたいだけ……魔物は人さえ襲わなければ退治されることはないのだろうが、ロテールの言うとおりやはり人にとっては害あるものなのだ。

 泣きそうな少女の顔から目をそむけ、最後の印を胸の前に結ぶ。

「エリアル・フロウ!」

 呪文に呼応するように少女を中心にして、六芒星が描かれる。

『いやああぁー!!』

 叫びが辺りに響くが、ここで中断してはこちらに反動が返ってくる。それは、呪文の発動とは比べものにならないくらい強大なエネルギーで。

 目をつぶって右手を天に振り上げる。

 瞬間。六芒星の星の各頂点から天に向かって聖光の柱が六つ屹立する。暗い闇を目をつぶっていてもわかる、聖なる光が切り裂く。あるはずのない風が魔法によって生み出され、前髪をなぶる。

 唐突に光も風もおさまり、ゆっくり目を開けると。

 空間は最初と同じように白の世界にかわり、ロテールと自分しか存在はいなくなっていた。倒れているロテールに駆け寄り抱き起こす。

「ロテール!」

「レオン……」

 呼びかけにうっすらと瞼を開いて弱々しく答えてくる様子に眉をひそめる。そういえば生命力をエネルギーとしてもらっていると彼女は言っていたが、それに抵抗していたのならかなり精神力を消耗していたのか。

「大丈夫なのか?」

「ああ、体が動かない以外は」

「それ……って大丈夫って言わないぞ」

 心配しているこちらをよそにロテールが微笑する。久しぶりに見るその微笑みに心臓が高鳴る。

「エリアル・フロウ、できるようになったみたいだな」

「あ、うん」

 聞こえないふりをしてくれたのか、本当に聞こえなかったのか、ロテールは別のことをゆっくりとつぶやいた。そう言われてみるとしっかり発動していた気がする。心の中で歯車がきっちり噛み合ったような感じで。あれがコツをつかむ、ということなのだろう。

「何で炎の魔法は駄目だったんだろう?」

「……闇の属性を持っているみたいだったからな。この属性は特殊で、他の四元素の力を弱める魔法もあると聞く。彼女の結界にはその力が特にあらわれていたんだろう」

 ぽつりとつぶやいたことにロテールが答えてくれる。体の力が入らないというのは本当らしく、腕の中で体を預けたまま目を伏せて動こうとしない。

「あれってやっぱり《銀の乙女》だったのかな?」

「さあなぁ。少なくとも、お前は彼女の術にかかっていなかったみたいだけどな」

「眠りの術ってやつか?」

「それもそうだけど、一番は誘惑の魔法だろ?」

「えっ!? そうなのか?」

 驚いた自分に、ロテールが深く溜息をついた。あきれたように。

「本当に鈍いな、お前は……」

「な、何だよ、それは。お前はかかっていたんだろ?」

「彼女の結界内だから、それはもうしっかりと。眠りの中で必死に抵抗してみたけどね」

「そ、それは凄いな」

 眠っていて抵抗できるなんて。

「それより、どうしてここに来た? 危険をおしてまで来てくれるとは嬉しいが」

「は? 何が危険なんだ? それに、ここって何なんだ?」

 ロテールの言葉に目を見張る。すると、逆にロテールが驚いたようにこちらを見つめて、次に本当にあきれた。

「お前……ここをどこだと思っていたんだ? 精神世界、簡単に言えば《夢の中》ってことだが、俺達は精神体でここに来るんだ。けれど精神と肉体は根底でつながっている。ここで傷を負えば肉体にも傷を負う。肉体で受ける数倍の傷を……ってお前! 今気付いたが、怪我をしたのか!?」

「え? あ、これはさっき彼女に」

 丁寧に説明してくれるロテールの言葉をおとなしく聞いていたので、ロテールの反応に少し遅れる。ところどころに切り傷ができていて着ている軍服に血の色が滲んでいるのに気付いたんだろうけれど、そんなに驚くほどひどい怪我じゃないと思う。

「……エリアル・フロウごときじゃなくて、俺のジハドで倒してやるんだったな。レオンに怪我をさせるとは」

「別にこれくらい平気だぞ」

 静かに、しかしものすごく怒っているロテールにちょっとびっくりする。

「馬鹿、今は平気だろうが肉体に戻ったらすごいことになってるぞ。この体で受けるダメージは、肉体で受けるのとは比べものにならないくらい大きいんだ。見た目はかすり傷でも肉体では大怪我だ。体に受ける傷とは根本的に違うから、ここでの回復魔法は意味がない」

「そ、そうなのか?」

 ロテールの説明に焦る。あちこち受けているのはかすり傷だけど。

「無知も時には恐ろしいな……それで、肉体から精神体に『なる』ってことは特殊な呪文が必要なんだ。時には失敗して死ぬことだってある。呪文だけでも危険で、さらに傷を負ったら命を落としかねない方法なんだが……それを知っていたようには見えないが、どうやってこれたんだ?」

「……気が付いたらここにいたんだけど」

 おそるおそる答える。そんなに凄い呪文が必要だったのかと考えるが、いかんせん何もしないでここにいたのでどうしようもない。

 自分の様子に本当だと理解したのだろう。溜息をついてロテールは目を伏せた。

「一回彼女に引き寄せられているから、無意識下で覚えていたんだろう。失敗しなくて、本当に良かったが」

「う、うん」

 ロテールの言うことはもっともだったので頷くしかない。でも不可抗力だったと思うし、わかっていてもどうしようもなかっただろうし、なによりロテールを見つけられた。死人のようなロテールを見ているなんて、嫌だ。

 何もロテールが言わないので考え事の方に集中していたら。

「でも、偶然の産物とはいえ来てくれて嬉しかったよ。ありがとう」

 そっとつぶやかれてロテールの方を見ると、優しい光を浮かべた瞳がこちらを見つめていた。ドキッとして慌ててそっぽを向く。あまりに不自然な行動だったが、そうせずにはいられなかった。こちらの行動に小さく笑ったロテールに少し腹がたって、そのついでにあることを思い出す。

「そういえば、俺の身代わりに彼女につかまったって」

「ああ、聞いたのか……。まあ、そうだ。俺は彼女と取引をした」

「どうして! モンスターだってわかってたんだろ!?」

「……お前が俺と会いたくなさそうだったから、さ。死ぬ気なんてなかったがお前が死ぬよりいいと思ったし、それでお前が救われるというならそれでもいいかなって……」

 ぽつぽつと語る言葉に驚く。避けていたのは本当だったけど、ただ、どうしたらいいのかわからなくて。死人のようなロテールを前にしてこのまま死んで欲しくないと強く思った。ロテールが死んで救われるなんてことは絶対にありえない。

「俺の身代わりで死んだってことを俺は知らないままで!? そんなの嬉しくない!」

「お前が死ぬことの方が俺には死よりつらい」

 怒って叫んだことに対して返ってくる言葉。それは、本気で。

 困惑して、腕に抱くロテールを見る。視線を合わせてロテールが淡く微笑んだ。

「愛してる、レオン」

 胸がつまるほど優しい響きを持つ声で言われて。ゆっくりと片腕を持ち上げて首に回し、それを支えに起き上がったロテールが残った片手を頬にあててくる。ロテールの菫色の瞳から目がそらせぬまま彼の行動を見つめている自分がいる。

 そして、求められるまま口づけを交わす。

 ぼうっとしてしまって、いつロテールが解放してくれたのかわからない。吐息がからむほども間近でロテールが寂しそうに微笑んだ。

「俺を憎むのはわかる。……あんなことをしたんだからな、当然だ。だけどお前に避けられるのはやっぱりつらい。唯一の救いは、お前が変わっていなかったことだ。お前は、お前のままでいてくれ。そうでないと俺は俺自身が許せない」

「そ、そんなこと……俺は、どうしていいのかわからないんだ。ロテールのことを憎んだことなんて、ないよ……」

 あまりに哀し気なほどに優しい瞳の色彩に戸惑う。ロテールの言葉は聞いているだけで胸に痛みが走る。どう言えば伝わるのか自分にはとてもわからなかったけど、思っていたことを正直に話す。

 するとロテールは目を見開いて、そして柔らかく微笑んだ。

「望みがないわけでもなさそうだな」

「何が……?」

「いや、何でもない」

 クスッと笑ってロテールは言葉を濁す。ロテールの言うことは自分にはわからないことばかりで。教えてくれない彼に少しむっとする。

「とりあえず、ここから戻ろう。心の中に光をイメージしてその中に扉を描くんだ。扉を開くことができたら目が覚める。ここで見ていてやるから、お前から戻るんだ」

 

***

 

「う……っ」

 体中に走る痛みと共に意識が現実に戻ってくる。成る程、ロテールが焦っていたのがよくわかる。かすり傷はかなりの激痛をともなってさらに覚醒をうながされた。

 どうやら、看病しているうちに眠ってしまったらしい。痛みをこらえつつゆっくり起きる。

 はっとしてロテールの方を見ると、あの生気の全く感じられない白い肌ではなくなり、頬に赤みも差している。呼吸もしっかりしていてもう大丈夫だと安堵したとき、息をついてロテールがうっすらと瞼をあげた。

「ロテール……」

 そっと呼ぶと、焦点の合っていなかった視線が少しさまよった後こちらをしっかりと見た。それだけで嬉しくなってしまう。

「レ……オン」

 囁くほどに小さく名を呼んだ彼を見つめて微笑んだ。

 これならほどなく彼は回復するだろう。動かず何も言わない死人のような彼より、どんなにからかわれてもこっちの方がずっといい。

 扉をノックする音がして、振り返る。すると赤炎聖騎士団員の一人が入ってきた。

「申し訳ありません、レオン様。少し前に見張りが北東の山中から不思議な光の柱が上ったといって至急取り次ぎを申し入れていて、燐光聖騎士団長の御寝所で礼を欠いてはおりますが報告に参りました……! ろ、ロテール様! お気付きになったので!?」

「ああ、そうだ。もう心配いらない」

 しっかり説明している騎士が自分の後ろで目覚めているロテールに気が付き慌てたのを見て、当然なのだが思わず笑って答えてしまう。

「そ、それは良かった! はっ、レオン様、その傷は!?」

「え? ああ、これ? 説明すると長くなるんだけど……その前に法術士を呼んでくれないかな、痛いんだ」

 すでに血は乾いて固まっていたけれど全身に無数に走る傷はどれも激痛を発していた。苦笑して騎士の方に向かってわかるように手を動かしてみせるだけでも相当こたえる。動いた拍子にどこかまた出血しているかも知れない。

「そ、そうですね。すぐ呼んできますから!」

 急いで身を翻して扉の向こうへ走っていく足音は少しあわてていて頼りなかったが、大丈夫だろう。

 ロテールの方を見ると、体を起こして口元に手を当てて笑っていた。

「もう動けるのか? 無理はするなよ」

 なにせ一週間も仮死に近い状態だったのだ。体力も精神力も底をついているのではないかと心配して言うと。

 ロテールが優しく微笑んだ。

「やはり、現実の方が夢で見るより何倍もいいな……」

「……? 夢の方が現実よりはいいものじゃないのか?」

 つぶやきに不思議に思って答える。《銀の乙女》であったのかわからないあの少女も、夢を見る方が人は喜ぶと言っていたけれど。

「お前って……鈍すぎるぞ」

「な、何なんだよ、教えろよ」

「はっきり言って欲しいのか?」

「当たり前だろ。いつも俺にはわからないことばかり言って」

「わかった、大きな声が出ないからもっとこっちに来てくれ」

 言われて、痛む体を押して側に近寄る。手招きされて血で汚れないよう気をつけながら、ベッドに腰掛けた。淡く微笑んだロテールが首に手を回して耳元に顔を寄せてくる。決して力強くはないが、その行動に内心焦ってしまう。吐息が耳にかかってくすぐったい。

「……夢の中で見ていたお前と、こうして側にいてくれるお前とでは全然違うって言いたかったんだよ、わかった?」

 囁かれて困惑する。頬が熱くなるのがわかったが、どうしようもない。

 振りほどこうとする前に、ロテールの方から手を放してくれる。

 紫の瞳が真剣にこちらの瞳を覗き込んでくるので離れようとした動きを止められてしまう。

「どうしたらいいかわからないって言っていたよな? お前は俺に対してどうしていいかわからないって」

「……うん」

 確かにそう言ったのかと確認するよう静かに問われて、うなずく。本当にわからないことだらけでそのことを考えると、頭が混乱してくる。ロテールの言っていることは分かってはいるのだが、自分の心はどうなのかと問われれば良く分からないとしか今は答えられないのだ。だから『どうしたらいいのかわからない』という結論にたどりついてしまう。

「……多分、人を……」

「え?」

 よく聞こえなくて、聞き返そうとしたら優しく微笑まれて言葉を飲み込む。ロテールはクスッと笑って。

「お前は『恋』を知らないんだな」

 


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