T r u m b i l d

 



 

第三話

銀の乙女
ぎんのおとめ

 

1■

 

 どうして。

 こんなに大勢の中からあの存在を簡単に探し出せるのだろう。

 重なる金属の音と怒号の中でさえも、くっきりと耳に届く涼やかな声。

 動く都度、光によってきらめく髪。瞬く瞳は星の輝きをとじこめたような色彩。

 例え背を向けていたとしても。

 どんなに遠くても、かの姿は確固たる存在感でもって目を奪う。

 

 ふと、こちらを見つめた瞳が驚愕に見開かれる。

「レオン! 後ろだ!!」

 はっとして振り返った時には。

 聞き慣れた鈍い肉を斬る音と、時間差で襲われた自身の体の異変。

 真白の世界に鮮やかな朱の華。

 強い目眩と共に膝まで積もる雪に足をとられて倒れ込む。

 意識を失う寸前に見たものは。

 視力を奪うかと思われるほどの、力を持つ光の渦。

 

***

 

 目が覚めたら、あたたかい布団の中にいた。

 はっきりしない意識の中でも近くに誰の気配も無くて安堵する。

 全てが気怠くて、そのまま眠りたい誘惑にかられたが。

 気力を振り絞って起き上がる。寝起きはいつも良いはずだったのだが、今日に限ってはとてもつらくてそのまま躰を二つ折りにして上掛けに突っ伏す。

 しばらくして、爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。

 そっと上げた視線の先で目に止まったものは。

 小さいテーブルの上に置かれた硝子のグラスに入った橙色の飲み物と、白い小さな花をつけた木の枝。

 

 だるい躰をおしてベッドからおりてグラスを手に取る。手絞りのものらしく、つぶつぶの感触がするそれはオレンジのジュースだった。まだはっきりしない気分に心地よい香りが嬉しい。

 ふと、側の椅子にたたみ置かれた自分の制服の上にある紙片に気が付く。

 優美な書体で書かれた文字は、それだけで誰の筆跡だかわかった。ためらった後、紙に目を落とす。

『昨日はすまなかった。俺は仕事で王宮に行くが、お前は休んでいろ。休日届けは出しておいてやるから。食事も用意させてあるから適当に使用人に声をかけろ──ロテール』

 簡潔な内容で少し拍子抜けした。その他に書くことなどないのだが。何かを期待しているような自分に気付いて困惑する。

 どうして、こんなことになったのか。

 はっとしたら、騎卿宮の自分の部屋の前までふらりと戻って来ていた。どこをどうやって帰ってきたのかわからなくて眉をひそめる。いつもの自分らしく、ない。

 そのまま外に出るのもおっくうだったので、ベッドの上に横たわる。

 何もすることがなかったのが災いしたのか。

 昨日のことが思い出そうとするまでもなく今し方の出来事のように甦ってくる。最初の方は覚えているが、途中から記憶がないのが不安を煽る。

 囁かれた言葉が耳元でくすぶっているようで。

 どうして男である自分にそこまで言えるのか。望まなくともどんな女の子でも彼のために振り向くのに。それだけの美麗な容姿を持ち、地位も名誉もあるというのに。一時の気の迷いみたいなものじゃないのか。そう考えると、逆に心に不安な思いがよぎる。男にあんな仕打ちを受けてしまった自分はこれからどうすればいいというのだろう。完全に忘れるには躰がどうしようもなく熱くて、許されない。

 あんな風に躰が反応するなんて、自分が自分じゃなくなっていくようで怖い。ロテールに触れられた感じがまだ残っている気がして、震えた躰を落ち着かせようと自分で自分の躰を抱きしめる。

 心が混乱してもう何も分からない。

 きつく目を閉じて枕に顔を埋める。

 そうしていないと、心も躰もどこかへ行ってしまいそうでたまらなく不安になる。

「馬鹿、野郎……」

 

***

 

 王都に雪がちらつく十二月はじめの定例団長会議はいつもとは違っていた。先に配布される各地からの報告の中で、聖乙女マリアの名で重要度の高さを示す書類があったのだ。配られた資料だけではおぼつかず、全員そろうのがいつも以上に早かった。

「では、先に伝えた報告の詳細を説明します。冬に入ったこの時点で北の地の雪山の遭難者が例年以上になっているとのことで、騎士団の出陣要請が出ています。これについての意見を」

 前置きもなく、マリアが本題に入る。

 挙手をしたロテールに乙女が無言で頷く。

「今まで十年に一度くらい似たような事件が起きています。あの辺りに怪物の巣らしきものはないのに、定期的に人が大勢いなくなる……今回の件はその年、ということになるのでしょう」

 下調べをしていたらしい資料の束を片手に説明をしているロテールの言葉が、遠い。

 

 あれから何かしら忙しいこともあって、ロテールと会う機会は全くなかった。回廊で見かけることはあったが無意識に避けていた気がする。

 だから、こんなに間近にロテールを見るのは半月くらいということになるのだが。

 彼を見ている限りいつもの優雅な物腰と流暢なしゃべり方は変わっていない。そのことが何故かしら気に触る。

 ぼうっと考え事をしていたら、いつのまにか会議が終わっていた。あわてて目の前の資料をまとめて席を立とうとすると、いつも以上の資料を抱えたロテールが会議室を出る所だった。

 思わず、ロテールの後についていってしまう。三メートルくらい先の背中が妙に気になって、自分が向かっているのが騎卿宮でないことに気が付かない。

 人気の無い王宮の中庭に面する回廊に出てから少しして。

 突然ロテールが振り返った。

 何の心の準備もなくロテールの菫色の瞳を見つめてしまい、立ちすくむ。

 自分がひどく緊張して動けなくなっているのがわかる。

 その場から逃げ出したい衝動に駆られるのに躰がいうことをきかない。

 ロテールが苦笑いして、ゆっくりと近づいてきた。

「無意識で俺の後を追うくらい、俺のことが気になる? 嬉しい反応だが、会議中まで考えているのは困りものだな……」

 全くこちらの方を見ていなかった筈なのにそう言われてむかっとする。

「誰が、お前なんかを!」

「これから陛下に報告に行く俺についてきてるのが、すでに気になっている証拠だろ? それとも他に用事があるとでも?」

 問われて言葉に詰まる。

 言われてはじめて王宮内部のこんな所にまで来ていたことに気が付いた。自分のうかつな行動に、今更ながらに冷や汗が出る。

 手をのばせば触れられる所まで近づいて足を止めたロテールが、深く溜め息をついた。

「もう少し感情をコントロール出来るようになった方がいいな。このままだと俺はいいとしても、お前が困るだろう」

「困る?」

 言われたことがつながらずにおうむ返しにたずねる。

 感情をコントロールすることに何の意味があるのか──?

 すると、ロテールが微笑んで耳元に顔を寄せてきた。吐息の感触がくすぐったくて、押し退けようとした右手は簡単につかみとられてしまう。

「……俺が好きだって顔に書いてあったりしたら、変な噂が立つだろう? それは、嬉しくないことだと思うんだが。俺にとっては嬉しいが、さすがに他人にまで教えてやる趣味は持っていないな」

「なっ……! 好きだなんて死んでも顔に書くわけない!! だいたい……」

 言い募ろうとした言葉は、ロテールが唇に優しく当てた指先によって止められる。

「こんな所で、大声で……言いたいことは騎卿宮で聞いてやるから。落ち着け」

「……別にもう言うことなんて、ない」

 言われたことが最もなので声を押さえる。騎卿宮のロテールの部屋になど近寄るつもりもないので、納得いかなくても我慢する。

 こちらの反応に小さく笑ったロテールが、つかんだままの右手に書類を押し付けてきた。

「じゃあ、これは宿題だ。先刻の怪物退治の件の報告書だからしっかり読んでおけよ……次に呼ばれるまで」

 

***

 

 定例団長会議の数日後、マリアの名で呼び出される。

 何事かと思いつつ聖乙女の部屋まで足を運んだ。

「失礼します、マリア様」

 ノックをして入ると、いきなり飛び込んできた色彩に目をしばたたかせる。

「お入りなさい、レオン」

「あ、はい」

 うながされて、扉を閉めてソファーの方へ近づく。

 先に来て座っている人物が振り向いて微笑んだ。

「早く座れよ」

 無言でロテールの隣りに座る。どうしてこういう展開になったのか、その謎はすぐに解けた。

「騎士団での実戦はレオン、カイン、マハトとも初めてなので、もう少ししてから嵐雷聖騎士団と燐光聖騎士団を中心にして行おうと思っていたのですけれど。今回の雪山遭難者の原因究明にロテールの燐光聖騎士団と、立候補したレオンの赤炎聖騎士団の二つで出陣してもらってレオンの実戦訓練に換えます」

「!」

 立候補したなんて憶えはない。

 聞き返すのも失礼なので思わずロテールの方を見る。

 こちらの動揺に気付き、いたずらっぽい微笑みを浮かべられて。

 はめられた、と思った。

 会議の後に渡された報告書の束を思い出す。きっとあれが今回の実戦のための資料だったのだ。

「ロテール、『銀の乙女』に関しての報告はどう思いますか?」

 マリア様の言った、聞きなれない単語に意識が話の方に向く。

 モンスター退治のはずなのに何があるというのだろう。

「銀の乙女って何ですか?」

 一瞬の沈黙に聞いてはいけないことだったのかと焦ったが。

「……ああ、レオンは確か南方の出だったか。それなら知らなくても無理はないかもしれない。『銀の乙女』というのは雪山にいるという美女の姿をしたモンスターの一種だ。旅人などを凍らせてから捕らえ、夢を見せながら生気をじわじわと吸い取るものらしい」

「らしい?」

「実際にそんなモンスターの報告はない。いわゆる迷信、おとぎ話の部類に属するものだと思えば間違いではないだろう。人って奴は、自分のわからないことを何でも具象化してわかりやすく理屈を付けたがる生き物なのさ。そうして生まれるモンスターなど山といるだろう。だいたい『乙女』だから美男子を狙って襲うという話自体、モンスターなのに獲物を選り好みするはずはないと思うぞ」

 説明するロテールにマリアが頷いて肯定した。

「おそらく、何らかの周期でモンスターが出没するのでしょう。原因をつきとめるのが困難である限り、モンスターの危険だけでも排除しなくてはなりません」

 毅然として話すマリア様は、聖乙女の気品と自信に溢れていてとても綺麗だった。思わず見惚れてしまう。

「そのために付近の住民への配慮も兼ねて『銀の乙女』に相応しい美男子を用意していくのですから、心配には及びませんよ」

「そうですね……でも、無理はいけませんよ? 何かあったらすぐに報告して下さい」

 軽く笑って自信たっぷりに言うロテールに、聖乙女も微笑んで出陣を許可する。

 

 こうして就任して初めての実戦は、雪の舞い散る王都からさらに雪深い北方の地へと向かうことになった。

 

***

 

 混濁した意識のまま覚醒していく感覚に。

 気持ちが悪くなってうめいた自分の声でさらに目が覚めていく。

「目が覚めたのか? レオン」

 優しく自分を案じる声のした方へ顔を向ける。頭がもうろうとしている上に体に力が入らずかなりぎこちない動きであったが、今の自分にはそれが精一杯だった。

 声の主である目に眩しい金髪を持つロテールが、寝台の側の椅子に腰掛けて心配気にこちらを見つめていた。

「ああ、無理をするな。傷は塞いだが、流れた血液はどうにもならないんだ」

 言われて状況をゆっくりと理解する。

 そうだ、自分はモンスターにやられたのだ。

 他に気を取られていたとはいえ、団長にあるまじき失態だと溜め息をつく。これでは団長を今すぐ降ろされても文句は言えない。

「あのあと……戦況はどうなったんだ?」

 気休めに聞いてみる。自分がこの砦の中でこうしているのだから、大丈夫だったのだろうとはわかるが。

「訓練にならないだろうと思って使ってなかったんだが、ジハドを使った」

「ジ、ジハドって? あの光の最強魔法か!?」

「そうだ」

 あっさり言う相手に二の句が継げない。そういえば気絶する寸前、まぶしい光を見た気がしたのはもしかしなくても気のせいじゃなかったのかと唖然とする。

「とりあえず、この辺りのモンスターは一掃できただろうから心配するな。それより北辰の砦に運んでから一日も目が覚めない方が余程心臓に悪い」

「え? そんなに寝てたのか、俺」

 ロテールの言葉を疑う気はなかったが、たかが負傷で一日も眠っていたというのは驚きだ。

「『銀の乙女』にとり憑かれたかと思ったぞ。体調はどうだ?」

「気分が悪い」

 微苦笑しているロテールに心配を掛けたのだとわかって素直に具合を伝える。眠り続けていたのも大変なことだが、まだ頭がくらくらしていて体全部がだるくて動かない。

「水は、飲むか?」

 ぼうっとした感じがどうにも嫌で、ロテールの問いかけに有り難く頷く。

 すると、すぐにわきにあるテーブルの上のグラスに水を入れてくれる。受け取ろうかと鈍い感覚の右腕を持ち上げかけたら、何を思ったのかロテールは手にしたグラスの水を自分の口に運ぶ。

「?」

 何をするのかと首を傾げて問いかけるより早く、口づけをされた。唇を通して冷たい水が受け渡される。喉を通るひんやりとした感触は確かに嬉しいのだけれど。

 接吻を解いたロテールを力一杯にらむ。

「男に口移しされるのは、普通は嬉しくないと思うんだが」

「グラスを手にする力もないくせに、文句を言うな。ま、役得だったことは認めるけど」

 クスクスと笑って返す答えは半分がやはり文句は言えないほど真実だった。腕に力が入らなくて、彼を押し退けることができなかったのだから。

「水はまだ要るか?」

「もう、いい」

 水を飲むのにまた接吻されてはたまらない。

 微笑んでテーブルにグラスを戻したロテールが、こちらを見て少し考え込む。

「顔色は、悪くないな。元気そうだし……あとで体力のつくものでも持ってこよう。一週間くらいで体力を戻さないと、雪に埋もれてこの砦から王都に帰れなくなるぞ。俺はそれでも構わないんだけど、ね」

 からかうようなセリフにむっとするが、押さえる。

 怒るより聞いてみたいことがあるから。

「……どうして、俺なんだ?」

「え?」

「俺のような性格の女の子なんて探せばいるだろう? 俺は男だし、男に口説かれても嬉しくない。お前だって……女の子と一緒にいる方が多いくせに……どうして俺に、あんなことを……っ!」

 自分で言っていて思い出してしまい、語尾に力が入る。冷静に話そうと考えていたのに心は嘘をつけなくて。手を痛くなるほど握りしめる。合わせていた視線は途中でそらしてしてしまっていて、ロテールが今どんな表情をしているのかなんて分からない。

「馬鹿だな……」

 冷めたようなその呟きにかっとなる。

 こんなに苦い思いを味あわせた当の本人に言われたく、ない。多分、にらみつけるような表情をしていたのだと思う、自分は。思わず上げた顔の先に。間近に哀しげな揺らめきをたたえた紫の瞳があってドキッとする。

「どうせお前のことだから、俺が遊びでお前を抱いたのかとか思っているんだろう?」

「……っ!」

 遊び、という単語に思わず反応してしまう。それでなくとも今のは過激な発言だった、気がする。

「そりゃあ、女の子なんて探せばいくらでもいるだろうな。お前みたいな性格の子なんて確かに可愛いかもしれない」

 面白そうに言う相手に少しずつ怒りがわき上がってくる。体が動かなくて今すぐ殴れないのが、とても残念だ。

「だったら、どうして……」

 怒りを込めてつぶやくと。

「お前だったからだ」

「え?」

「姿形なんて関係ない。お前という人格、心、その全てを決定している魂の輝きが、俺を魅了する。お前がお前である限り、俺の気持ちは変わらないさ」

 淡く微笑んだロテールがそっと囁く。言葉に嘘がないのがはっきり感じられて、怒りはあっさり消えやはり困惑してしまう。

「わから、ない。魂なんて見えるものじゃないだろう? どうしてそこまで言い切れるんだ」

「そうだな……目に見えるのではなくて、心で感じているのかもしれないな。他の誰にも見えなくとも俺にはお前の魂の輝きがはっきり見えるよ。忘れられない、とても魅力的な光がね」

「そんなの、お前のまわりにいる女の子たちにでも言ってやれよ。きっと喜ぶぞ」

 あまりに優しい光を宿す瞳は痛いほど心に突き刺さってきたけれど。どうしていいのかわからなくなって、適当に口に出した言葉に自分で驚く。何を言っているのか、自分は。

「馬鹿だな……」

 先刻とはまったく違う、呆れたような苦笑いを含んだような響きだった。

「欲しいと思ったのはお前だけだ。そうでなければ誰が好んで男なんか抱くものか。お前だけだ……俺の心を奪ったのは」

 繰り返し強く言われて、体が震える。どうしようもないくらいに心が締め付けられる。ロテールの思いがこわくて思わず紡いだ言葉は。

「信じられ……ない、お前なんか」

 自分でも力のない、弱々しい声だったと思った。そのままでいると捕らえられてしまいそうな紫水晶の瞳から無理矢理目をそらす。

 だから。

 ロテールの瞳をよぎった一瞬の強い煌めきには気付かない。

「ああ、信じろと言う方が無理かもしれないな……。だがこれだけは覚えておいてくれ。俺のすべてはお前のものだ。心も、体も、生命さえも……お前のためだったら死んでやれる。そして俺を殺せるのは、お前だけだ……」

 低く響きの良い声で囁かれて、さらにロテールの方を見れなくなる。心の痛みは増してゆく。

 どうすればいいのか、もう何もわからない。

 そらした視線の先にある窓から、白い雪が舞っているのが見えた。

 降り積もるその色が全ての人の心の色であったなら。

 こんな思いを抱かなくても済んだのかもしれない。

 雪は何も語らず降り積もってゆくだけ……。

 


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