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第二話 夢の終わり
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田畑の黄金も姿を消しはじめた。 かわりに丘を占める木々の枝にこぼれんばかりの果実があらわれる。 各地から様々な実りの便りが市場に姿を見せはじめると、街はいつもにも増して賑やかになり、人々は口々に今年の祭りはどんな出し物があるのか、着ていく服はどうするのかという質問をそこかしこで語り合う。
祭りが近づいていた。 学校が休みになるその日を子供たちは指折り数えて待ち、大人たちは催しのチェックに余念がなかった。 街全体が、浮かれていた。
「どこからこんなに人がわいて出てくるんだか」
あまりの人出の多さに辟易してロテールはぼやいた。 「収穫祭はめでたいが、この人の多さにはちょっと、な」 ただでさえ滅入っている気分のまま、祭り好きの女性たちにつきあってこの騒がしい祭りを見物する気にもなれず、ふらふらと外に出てきたが……。 (ここも気分的に嫌だが、カインのように部屋にこもりっぱなしで実験というのも性に合わないしな) 熱気に当てられて人込みから逃れるように少しでも人の少ない場所を探す。 「岬なら人もいないか」 たまには一人で静かに潮の満ち引きを見ているのも悪くはないかもしれない。ちょっとした考えにめんどくさそうにしながらも、岬の方に向けたロテールの足どりははずんでいた。
岬に至る道中の悠珂の橋も、人でごった返していた。 普段は馬車の通るこの道も今は露店で埋め尽くされて、その中から子供たちの明るい笑い声が聞こえてくる。 中央広場ほどではないだろうが、空気が埃っぽく感じられて少し顔をしかめる。この分だと岬は本当に静かなのかどうか疑わしい。行ってみて、人が多くいるようならそのまま帰ろうかと思いはじめていた矢先。 ざわめきにまぎれて何かが水に落ちるような音がした。
「きゃーーーー!!」
絹を引き裂くような悲鳴と、それに重なるように子供が落ちたという声が聞こえる。 「ちっ」 聞いてしまった以上ほおっておくわけにはいかない。 小さく舌打ちして欄干へと駆け寄ろうとしたとき、もう一つの水音がした。 「赤毛のにーちゃんが飛び込んだぞ!!」 「あれは、騎士様だよ!」 「なんだと!?」 周りの人達の言葉に、すかさず下流に向かって駆け出した。 岸へと着実に泳いでくる人影に目を凝らす。 赤銅色の髪に赤い瞳。 レオンだった。 岸に辿り着いたレオンは、息を切らせながら偶然側にいたロテールを見つけると川に落ちた子供を手渡す。 「ロテール、この子を早く火の側に!!」 「わかった」 腕に抱く子供の冷たさに慌て、自分のマントをはずしてくるむ。 そのまま橋の上まで戻ってくると、すでにたき火が焚かれており心配そうに子供の名を呼ぶ母親らしき女性の手にロテールは子供を預けた。 「ありがとうございます!」 母親は安心したように子供をしっかりと抱きかかえる。 「あ、あの方は?」 「あいつは俺の知人で体力だけはあるから、大丈夫。心配はいりませんよ」 にっこり笑って気が動転している母親をなだめる。 ロテールのマントにくるまれた子供が激しく泣きはじめた。 その様子を見たロテールは安心して踵を返し、同僚の元へと急ぐ。 「子供は大丈夫でしたか?」 勢い込んで尋ねるレオンにロテールは微笑みかける。 「大丈夫だ。今、意識を取り戻した所だ」 「良かった……!」 さすがにこの時期の水泳はきつかったのか、レオンは深く息をついた。 「お前こそ、大丈夫か?」 「大丈夫です」 心配そうにするロテールに軽く右手を上げてアピールするが、その手は心なしか震えている。唇の端も紫がかっていた。 野次馬の一人が英雄を称えて硝子の小瓶を一本投げてよこしたのを器用に受け取めて、栓をひねる。中身を確かめ、それをロテールはレオンに差し出す。 「酒だ。一口でもいいから、気付けに飲め」 「いや、俺は」 本当に平気ですから、という言葉を酒を押し付けて黙らせる。 「良いから、飲め。唇が真っ青だぞ。好意は有り難く受け取っておけ」 「でも……」 それでも言い募ろうとするレオンに、少し腹を立てる。 「これも、俺達の勤めだろ?」 と、脅す。 周りの人々の喝采に少し照れくさそうにしながら、レオンは酒を一口ふくんだ。
ずぶぬれのままほおっとくわけにもいかず、レオンの腕を掴んでその場を離れる。 人々の制止の声も「人との約束があるので」とやんわりかわして野次馬の間を通り抜けていく。 周りに人がいなくなった所をみはからって、レオンがロテールに声を掛けた。 「どこに行くんですか?」 「俺の私邸だ」 「え……」 「寒中水泳までして子供を救った英雄を濡れたままほおっておけというのか、俺に?」 「別に英雄じゃないですよ、助けたいと思っただけで。それにこんなの騎卿宮に帰れば済むことですから」 「そんな所に戻っている間に、お前は立派な風邪引きだ。聖騎士団長がそんなことになったら下の者に示しがつかんぞ。それに、騎卿宮より俺の私邸の方が断然近い」 「確かに、そうですが。ロテールの私邸に入るのは俺の身分では」 「聖騎士団長が何を言うか。人の好意を無にするな」 少し躊躇するレオンに立て続けにまくしたてる。 言葉を上手く操れない彼は、流されるままに納得させられてしまっていた。
少しして白い壁と石畳が続く道に出た。それづたいに進んで行くと、アーチ状の門が見えてくる。 門には家紋が象られていたが、周りの模様と無理なく調和し優美さがある。下の方には緑の蔓薔薇が絡まり所々に紅い火のように花を付けていて古風さが漂い、壁で閉鎖的な感じがしながらも周辺の建物に溶け込んでいた。 中に入ると瀟洒な建物が紅葉をし始めた庭木に囲まれて建っているのが見える。 よく刈り込まれた木々の間から、細い茎に大きな花を付け風が吹くと今にも折れそうな花が咲いていた。 庭の一角にだけ咲いた紫がかったピンクと白の花は落ち葉の中に彩りを添えている。 「あの花……」 つぶやいたレオンの視線を追って、花に気が付いたロテールは応えを返す。 「ああ、あれは親父が道楽でどこからか手に入れてきたこの王都ではめずらしい花で確か、名は」 「コスモスです。あれは、俺の故郷の花なんですよ。嬉しいなあ、こんな所で見れるなんて」 「へえ、そうなのか」 幸せそうに輝いた瞳を見つめて、ロテールも心なしか自分まで嬉しくなってしまう。 が。 唐突にレオンの今の状況を思い出す。 「おい、そうじゃないだろう。早く湯浴みをしてこい!」 「あ、そうでした、すみません。本当にお借りしてもいいんですか?」 髪から水滴のこぼれる姿のままのくせにまだ気兼ねしているレオンの額を小突く。 「馬鹿、何のためにここまで連れてきたと思っているんだ。早く入ってこい」
暖炉の火の勢いに薪がはぜる。 祭りのために、いつもいる使用人はほとんど姿が見えない。いるのは自分が幼い頃からこの屋敷を預かっている執事夫妻くらいなものだろう。 何の気なしに暖炉の火かき棒をとりあげて薪にふれると、灰と化したのか炭はもろくくずれた。火が弱ったのに気が付きロテールはさらに薪をくべた。
「この王都で温泉の風呂ってはじめて見ました。凄いですね」 「……親父の道楽でな、金にあかせて引かせたらしい。まあ重宝しているが無駄なことに金を使っていると言われたら言い返せないな」 振り返って、毛の深い柔らかな絨毯に座り込んでいるレオンに答える。 彼の服はすぐには乾かないため、ロテールの貸した厚手の白いガウンを着ていた。 「無駄だなんて、言いませんが驚いたのは本当ですよ。風呂だって一部屋くらいあって大きいし、湯気までいい薫りがするし」 「ああ、それは香だな。貴族の嗜みの一つってやつ。別になくとも俺は構わないんだが、執事がうるさくってな。『ヴォルト伯ともあろうものが』だって煩わしくってしょうがない」 年頃の女の子たちなら匂いでなんとなくわかるものなのだが。やはりそういうことには縁遠いらしい彼は、ふーんそういうものなのかという顔をしてこちらの話を聞いている。 問われて答えを返してから、彼から仄かに薫る香りが何なのか思い至った。 少し、ぼうっとしていたらしい。 「それに面白い部屋ですね、ここ。靴をぬいで入ると言うから驚きましたが、この絨毯ふかふかしていて気持ちいいですね」 絨毯に手を置いて素直に感心しているレオンにロテールは苦笑するしかない。 「これでも客間の一室なんだが、冷えた躰には一番良い部屋だと思うぞ。どうだ? まだ寒いか?」 「いいえ、逆に暑いくらいですよ。お世話をかけてすみません」 暖炉の火の明かりと相まって、レオンの頬はほんのり上気したように赤く見えた。 その様子に内心ホッとする。 「やっぱり、凄いなあ。こんな広い屋敷に一人で住んでいるんですか?」 「まあな。使用人はいるが住んでいる、というのなら俺一人だけだ」 「家族はどうしているんですか?」 「弟が領地の方にいるが」 「一人で寂しく……あ」 言いかけた言葉を途中で飲み込んで口を押さえた相手に、ロテールは首を傾げた。 「ん? 何だ?」 問われてレオンは困ったような顔をして答える。 「……だから、女の人と一緒にいるんですか?」 余りに突然すぎたその言葉の鞭にロテールは息を呑んだ。 最近余裕が出てきたのか、よく城下街に出掛けるレオンを見かけていたのだが。逆に言えば、それは同じように出掛ける頻度の高いロテールと街中で出会う可能性が増していた、ということで。 女と一緒に歩いているのを偶然目撃される、なんてあって当然のことだった。 この、レオンの反応からしてロテールの噂の一つくらいはもう知っているだろう。 女癖の悪い自分がいけないと言えばそれまでだが。 さすがに心が凍り付くほど、堪えた。 その言葉を投げつけたのがレオンであったから。 他の誰でもここまでロテールに反応に困らせることは出来ないだろう。 ちょっとした質問のつもりで聞いたことに黙り込んでしまったロテールを見て。 レオンは慌てた。 今更今のはナシ、ということは出来ない。 こういうことは普通は聞いてはいけないのかな? と冷や汗をかきながら、取り繕おうと必死になる。 「あ、あの、悪い意味ではなくて、その……俺たちじゃダメですか?」 「……え?」 レオンが焦っているのはわかってはいたが、良い言葉を探して安心させることもできずにいたら。 慌てて勢いのついた彼のセリフにおうむ返しに応えることしか出来なかった。 「ほら、騎士団って何か家族みたいな感じがするじゃないですか」 一応、ロテールの反応が返ってきたので少し安心したのだろう。自分の言ったことにはにかむように微笑んで付け足す。 「マリア様や、俺とマハトのような聖騎士団長なんて毎日顔を合わせていて、なんだか親や兄弟みたいなイメージがしてしまって……馬が合わない奴とかもいるけれど、しょうがないかっていう気持ちになるし。……こんなこと考えるのって、俺くらいかなあ」 思いつきで出てきた考えであったろうが、語るにつれて上手に表現できなかった心の中の気持ちを整理できたのだろう。レオンは、しっかりとこちらを見つめて一片の悪気も嫌味もなく、まぶしいくらいに純粋に笑い掛けた。 その無防備な微笑みは、ロテールには清らかすぎて。 同時に見舞われたもう馴れた筈の、太陽の奔流かと見間違うほどの閃光とともに。 思わず結んでいた視線を逸らしてしまった。 そうしないと自分はどうしていいかわからなくなりそうで。 あの、恐ろしく昏い闇に心が囚われてしまいそうで。 どうして彼の光でなければならないのか。まだその意味も自分で掴み切れていないというのに。 喉の奥からせり上がってくる、この辛く苦しい気持ちは何なのか。 こんなにもいたたまれぬ思いを抱かないではいられないのか。
「やっぱり、駄目ですか?」 あまりにも哀しい響きに。 はっとして顔を上げてみれば。 間近にレオンの瞳があった。 応えを返さない自分に心配になったのだろう。落日色の瞳が不安気に揺らめいている。
見てはいけなかったその光を。 心に宿してしまった。 否。 全ては、出会った瞬間からはじまっていたのかも知れない。 ずっと心で追っていた光。 そして、わかっていたのだ。 自分の心の昏い闇が、あの光を欲していることくらい。 闇を知らない無垢な魂を壊してしまう自分を恐怖したのだ……心の底から。
だが。
目前にいるのにその存在はあまりにも遠くて。 それを手繰り寄せて手に入れたい、と思う心が。 考えるより先にロテールを動かしていた。 「……そんなにたくさんはいらない……お前だけでいい」 右手がそっとレオンの左頬に触れる。 「え……? 俺だけ、ですか?」 唐突なロテールの言葉と眼差しの真剣さに、レオンはきょとんとして問い返す。 「そうだ。お前だ……」 左頬にあてている手から温かい気が伝わってくる。 戸惑っている彼を逃がすつもりはなく、瞳を見つめて呪縛する。 「俺だけでいいんですか? ……それじゃあ、家族みたいには」 そらせぬ視線にどうしたらよいのかわからず言葉を紡ぐ彼に。もう一度強く繰り返す。 「俺は、お前がいい。そのほかは……いらない」
そうして。 からめ取った視線を釘付けにしたまま。
そっと口づけた。
あまりに自然な動きに、レオンは何が起こったのかわからなかったに違いない。 軽い、触れるだけの接吻で。 顔を近づけたまま赤い瞳を覗き込んだ。 ビックリした表情のまま固まっている彼にクスッと笑う。 「接吻の時くらいは目を閉じるものだぞ、レオン」 つぶやいた言葉で、レオンは我に返った。 「えっ? ええっ!? い、今のって……っ!! き、キスですよね!?」 「それ以外の何物でもないな」 慌てている様子が可愛いので真面目に答えてみる。 「ふ、普通、女の人とするものですよね!?」 「なんでそう思うんだ?」 「何で……ってっ!! ふざけて俺をからかっているんでしょう!?」 顔を真っ赤にして怒っている彼は、いつものことだとばかりに反論する。 「……」 ロテールは何も言わずにレオンの瞳を真っ直ぐ見つめた。 「じょ、冗談、ですよね……? いつもの」 予想外に強い瞳に捕まってしまい、レオンはたじろぐ。 弱々しい問いかけに、ロテールは自分でもわかるほど鮮やかに微笑んだ。 レオンの気勢をそぐには実に効果的な方法だと狡猾に計算している自分がいる。 「冗談でこんなことができるか……」 そうつぶやくと、動けなくなったレオンを引き寄せて今度は幾度も探るように口づける。レオンがどうしたらよいのか分からず混乱しきっているのを知っていて、激しい接吻を仕掛ける。 口づけの息苦しさをどう逃がせば良いのかもわからないレオン。キスの初歩の行動すらできない彼に、たまらなく惹き付けられて惑わされていく自分を感じる。 そっと接吻を解いて優しく抱きしめる。 「俺は、どうあってもお前が欲しいんだ……例えそれでお前を穢してしまったとしても」 肩に額を預け、腕の中で荒い息継ぎを繰り返している彼の耳元で囁く。 赤銅色の髪から香の良い薫りがした。 「お、俺……はっ! 男、なんですよっ!!」 「わかっているよ、そんなこと」 途切れ途切れにようやく抗議したレオンにあっさりと返す。 「わ、わかっている……って」 あまりに早く返った答えに驚きと不安の混ざった表情を浮かべている彼に。優しく語りかける。 「とうの昔にわかっていたさ。だが、この気持ちは変わらなかった…。どうしてなんだろうな?」 「……あなたは、女の人がたくさんいるじゃ……ないですか…。何故……そんなことを考えるんですか」 「女なんか関係ない。おそらく、俺はお前に出会ったときからお前の魂にどうしようもなく魅了されていたんだ」 「た……たましい?」 「ああ。心、でもいいぞ?」 困惑に、レオンの瞳が揺れる。 曖昧すぎるロテールの言葉はおそらく理解できないだろう。 自分は卑怯だと思う。意地が悪いのも知っている。 レオンに時間を与えずに言葉を投げつけて。少しずつ自分の手管に落とすために。 「愛しているよ……」 甘い声音で囁くように語りかける。 その言葉に、抱きしめたレオンの躰が震えた。 「嘘……だ」 「どうして嘘だと思うんだ?」 「どうして……って」 口を開こうとして言葉が見付からなくて迷う。答えて否定しなければいけないのに、何と言ったらいいのかわからない。すでにペースはロテールの方に流れているが故に。 「俺も自分が良く分からないよ。お前が好きだなんて……そう思うのが、どうしてなのか」 本当に、自分はどうしてしまったのだろう? あれほどわからなかった自分の心が今では手に取るようにわかる。 ロテールは自嘲的に微笑んだ。 「わかりたいから、教えてくれよ。俺がお前に惹かれたわけを教えてくれ。俺のことも教えてやるから……」 「何で……」 「考える必要があるのか? こういう感情に? 理由なんてきっといくらだってつけられる。そして、結局たどり着くのはおなじ結論だ」 これは、ロテールの理論だ。この場合はレオンの事なんて考えていない。 「愛している」 言葉でもレオンを捕らえていく。 汚い手だ、と自分でも思う。狡くてもどんな手を使ってもレオンが欲しいと思うこの気持ちを止められなくて。
──手に入れて、救われたいと願ってしまう。
きっと、この後自分がどうなるかなんてレオンはわからない。一度知ったらその後引き返すことすら出来なくなる世界だとレオンは少しも知らないのだ。
そうして。 微睡みの夢は終わりを告げる。 目覚めと共に違う世界を与えるために。 新しい夜明けと共に……。
冬が来る。
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