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第二話 夢の終わり
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「また、女を変えたの? 今月何人目かしら?」 「変えた、とは心外だな。俺は博愛主義者だぜ?」 あきれた様子を見せている相手に意外だとばかりに目をみはる。 すると、女は鼻で笑った。 「博愛主義、ねぇ。その性格でもめ事を起こしたことはないの?」 「ない。……俺は深くは立ち入らないからさ」 言い切って美麗なグラスに注がれた最高級のワインを傾ける。 「上手だこと。本当に、どんな娘が好みなわけ?」 余程何かを自分から引き出したいのか、女は減ったグラスに酒を継ぎ足した。 「女の子なら、誰でも。でも、どうしても、といわれるなら心優しくて、俺を束縛しない人。当然俺に見合うほどの良い女だろうな」 「まあ大変なご都合主義ね。それって……言い換えれば、誰かを愛したことがないともとれるわよ」 模範的回答をしてみたのだからそう言われても仕方ないが。あまり気にしていないのだという方が正しいのかもしれない。花街で出会う女達に選り好みなどしていなかったし、好みの女とかいう基準で女を選んだこともなかった。 「俺は君を愛しているのに?」 「嘘ばっかり。そんなつもりもないくせに」 試しに言ってみれば。あっさりと見破られる。 「どうして?」 「いつも寂しそうな瞳をしているから、かしら」 苦笑いして尋ねると女は少し首を傾げて考えながらゆっくりと答えた。うまく言えないけれど、と小さく付け足して。 「そうかな?」 「そう。誰かに愛されたいのに、一歩引いている感じ。だからかしら……相手の心を聞くのは無粋なはずのこの花街で、あなたの本心が聞いてみたくなっちゃうわ。ああ嫌だ、一人だけ年とったみたいで。こんな傷心の女を放ってどこかへ行くなんて、言わないわよね? も・ち・ろ・ん」
いつだったか。 大分前に、花街の中でも好んでよく行く遊女屋の顔見知りの女に言われたものだ。たあいのないおしゃべりだと、ずっと忘れていたのにふと思い出したその言葉が胸に黒い棘のように刺さる。
この俺が、人を愛したことがない……?
戯れ言だ、と考えを一蹴する。 そう反発することこそが弱さを認めているということに気付きもしないで。
樹々が一斉に自身を艶やかに、華やかに飾りたて始めた。 見る者の目を和ませたすべての緑は、一部を除いて色とりどりのヴェールやドレスで着飾る貴婦人のように変化していく。 王都はやわらかい清楚な色合いから、激しく情熱へと変わる女たちのように燃えるような赤へと姿を変えようとしていた。
今はそんな季節のサイクルに、心から腹が立つ。 いつもは、周りの景色などたいして気にも止めないのに。 視線を逸らしても目に飛び込んでくる鮮やかな真紅。 忘れられない、あの輝きを嫌でも思い起こさせる。 別に聖騎士の執務に差し障りがあるとかではないわけなのだが。 何故腹が立つのか、どうして気になるのか。 答えは未だ出ていない。
暇な休日の午後、退屈なのもあったが疲れて滅入る気分を取り戻そうと、城下町に足を向ける。 向かう場所は言わずと知れている。 城下町の一角、他とは格段に雰囲気の違うそこも昼間は妖しげな露天商やら客引きもなく、淫猥な街に陰湿さはなくむしろ明るくあっさりしていた。そのため昼ならば女でも歩けるくらいで、買い物をする女の子達が妖しい店の前で騒いでいる姿も見れる。ここに来るのは男も女も似たような数であった。 『花街』 ここはそう呼ばれている。 門をくぐり、メインストリートを歩くと流石に気付いたのか、ちらほら女の視線が集まってくる。 それをさりげなく無視して、何事もなかったかのように馴染みの酒場へと入っていく。扉を開けると、まだ陽も高いのに中からむせかえるような女の香りと、汗の匂いがした。 扉を開けて入ってきた人物を見て、一瞬静まった女達がそこここで密やかに囁き出す。カウンターの中で休んでいた女がこちらに気付いてやってきた。 「あら、いらっしゃい。こんな時間にめずらしい……って、今日は休日よね、当然か」 「まあね」 勧められるままに、席に腰を下ろす。 相手は付き合い長いこの酒場で一番気立てのいい歌姫である。 「このところよく来るのね。前はそうでもなかったのに」 「そうかな、結構来ていると思っていたんだけど」 「あなたは、有名だからどこに行ってもすぐ噂になるわ。あたしたちは噂好きな生き物なのだからどんなに隠そうとしてもダメ。前はそんなでもなかったのに、この所のあなたの噂ときたら……何か嫌なことでもあったの?」 「そんなに、噂になっているのか? 知らなかったな」 窺うように首を傾げる相手に、苦笑しながら話題を変えようとする。 噂の方は多少耳に入ってはいるが、行動のほとんどが知られているというのは凄い。 「知らないのは本人だけね、きっと。こんなにいい男、そうはいないから話の種にはもってこいなのよ。あたしは自覚してやってるんだと思っていたんだけど?」 「いい男ってのは認めるけどね。いくらなんでも話の種になるつもりでは来てないよ」 肩をすくめて、本心から答える。 すると、相手はあきらめたように溜息をついた。 「あなたってそういう人よね。もう、自信がありまくるのも困りモノよ。そういうところが、いいんだけど」 「お褒めにあずかり、光栄です。姫様」 そういって、ロテールは光を放つかと思われるほどの極上の微笑みを浮かべた。 「今日は飲みたい気分なんだ。付き合ってくれるかな?」 「あら、おごって下さるの?」
朝の光が狭い隙間から鋭く差し込む。 それに気付き起きようとして、頭に走る痛みに顔をしかめた。 昨日はかなり強い酒を出されていた気がする。そんなに飲む気はなかったのに、途中から記憶がないのはかなり飲んだ証拠だ。二日酔いにまでなるまで飲むなんて、と自己嫌悪する。 少し頭の痛みが収まったのでゆっくり起きあがると、いつもと違う風景が目に入ってきた。それだけであのあと自分がどういう行動をとったのか理解してさらに溜息を付く。 自分の横には、人の気配。 酔っていたので何も覚えていなかったが、どんな女だったのかと思い痛む頭をおしてそちらに顔を向ける。
瞬間、心臓が止まるかと思うほどの衝撃を受けた。
思わず息をのんで身じろぎしたロテールに、寝ていた女が目を覚ます。 「……あら、お目覚めね。色男さん」 そう言って微笑んでくれた相手にはわからなかったが、言葉はロテールの頭の中を素通りしていた。 さらなるショックに、思考回路がまわらなくなっていたのである。
少し身を起こした女の瞳は、真紅。 赤毛に金髪の混じった豪奢な髪は短く切り揃えられていて、艶やかな雰囲気とは裏腹になぜか女にはよく似合っていた。 少なく見積もってもいい女の部類に入るだろう。
だが。 問題はそんなところには無かった。 「どうしたの?」 凍り付いているロテールに、さすがに気が付いた女が眉をひそめて尋ねる。 かけられた言葉をゆっくり頭に取り込んで、ようやくロテールは我に返った。 「あ、いや、昨日は結構酒を飲んだので記憶があやふやだと思ってね。おまけに、ひどい二日酔いだ」 内心はまだ大嵐のさ中のようだったが、黙っているのも変だとつとめて冷静なふりをしてみる。記憶があやふやなのでなく全くないのも本当なら、二日酔いも本当だった。 すると、その様子に女がクスクスと笑う。 「その調子じゃあ、私を口説いたときのことは覚えてないわね。何て言っていたか言える?」 「な、なんて言ったんだ?」 いたずらそうな光を宿す瞳を見つめ続けることは、今のロテールには苦痛以外の何物でも無かったが、言われたことの内容の方が重要だと思って、耐える。 「赤い髪と瞳の色をとても誉めていたのよ。まるで思い人がいるかのよう。……いい人でも、いるのかしら?」 意図的に言っているのではないだろうが、にこやかに微笑まれて言葉に詰まる。 何と言って返したらよいのかとっさに思い浮かばなかった。 それを肯定ととってか、女は目を細めて笑った。 「当たり? その人って私に似てるのね」 「……まあ、ね」 言い訳しても誤解を解くことにならないと判断し、素直に認めておく。 混乱している心が存外にも自分の思い道理にならず、いつものような言い返しができないのだ。 焦る気持ちばかりが先走る。 「あなたの心を掴んでるのはどんな娘なのかしら。興味、あるわ」 「ははは…。その辺は追求しないで欲しいな」 自分でもわかるほど乾いた笑いをして、好奇心に目を輝かせる女の追求をかわした。
似ている相手が男だなんて、死んでも言えるはずがなかった。 どうしてこんなことになったのか、こちらが教えて欲しいくらいなのだから。 心が、現実(ここ)にない感覚。 自分が自分でなくなっていくようでいつになく苛立つ。 とりあえず何とかその場を誤魔化して辞す。 二日酔いの頭に爽やかな秋の陽光は眩しすぎる程だ。 それでも執務をこなして騎卿宮の私室に戻り、ベットに体を投げ出した。 心身ともに疲れ果てていたのだ、ロテールは。 だが、女の言葉が頭に残っていてどうにも休めない。
思い人がいるかのよう……とは。
まるで自分がレオンを好きであるかのようではないか。 前にも思ったが、いくらロテールだってそういう感情くらいはわかる。仲間として、なのだと思うのに。何より相手は男だというのに。 驚き呆れるほどに存在が気になる。 何故こんなにもあの光を求めているのか。 魅惑的な光が心から、離れない。 そして。 自分自身、もっと恐怖を感じたのは。 気付かない振りをしていた筈の。 気付きたくないと願っていた筈の。
闇
昏い欲望
巡る思考に、果てしない心の闇に堕ちていく錯覚を覚えて目眩がする。 自分の中にこんなにも深い闇があるとは。 ともすれば気の狂いそうなほどに昏い深淵は、どんなに否定しても己の中で今まで育ててきてしまったものだと理解できる。 闇の中で恐怖心を抱かないのは自分の中に同じ闇があるからなのだ。 そしてそれだけの闇を自らの内に飼っている自分だからこそ。 光の魔力が自在に操れ、恐ろしいまでの威力を持つのだ。与えるダメージは似たようなものなのに、他者の光の魔法とは歴然とした差を見せ付ける自分の中の光。
影の無い光はない。 その逆も、また。
そのことを今、はっきりと認識した。
この考えに辿り着き、顔を少ししかめてロテールは目を閉じる。 あの光……純粋無垢でありながらも力強い意志に彩られた魂の輝きが、瞼を閉じても暗闇に浮かび上がった。 凍れる寒い冬の夜明けに差し込んだ最初の暖かな春の陽射しのような。 自分の持つ昏い影の上に成り立つ光とは趣きを違える光。 興味を覚えた本質は、子供のような純粋で無垢な皓(しろ)い魂なのだ。 あの輝きを思い浮かべるだけで、柔らかい刺の蔓に絡め取られているかのように心が痛みを訴える。
あの光がどうしようもなく欲しいと思う、自分の心に。
現実的な自分がそんなのはおかしいと告げている。 内なる闇は手に入れろと囁きかける。 天使と悪魔に至言と誘惑を語り掛けられ悩む神の従僕。 そんな状態に、なぜ自分が置かれなくてはならないのか。 それこそ気にしなければいいのだろうが、知ってしまった心の痛みは簡単には消えない。 ──この痛みは、あの光を手に入れれば消えるのか……。
考えてロテールは昏く笑った。
手に入れる、というその意味は。 ロテールにとっては最も縁遠いもののはずであった。 幼い頃の自分は、自分で言うのも何だが女の子と見まごうほど可愛かった。 そのため異性だけでなく同性からも言い寄られることがしばしばだった。一応身分というものがあったので、表立って言ってきた奴は少なかったが。しかしその倍は軽く超すだろうそういう輩から身を守るために、自分を鍛えた。 恋愛感情を告白してくるということ自体にそれ以上の行為が期待されているようで、相手の下心に強く嫌悪感を抱いてきたのだ。 その結果が聖騎士団長だとは言い切れないが、一因を担っているのは事実だろう。 それがよもや身近になるとは予想だにしていなかった。 そして逆から見れば同じ思いをするであろうレオンの心を考え、一層心の苦しみは強まる。 そう。 あの皓い魂を自分は汚そうとしている。闇に冒されている、自分が。 あれだけ強く惹かれている光を。 心ではそれを恐怖する自分がいるのに、もう一方では欲しいと思う自分がいる。 相反する二つの心にさいなまれてロテールは途方に暮れた。
『あなたは、人を愛したことがないのね』
突然頭に思い浮かんだ言葉に。 疑問を抱き、関係ないと思いかけてはっと息をのむ。 もしかして……? これは。 この、自分を持て余すほどの感情の正体は。
「これが、恋なのか……?」
つぶやいて、自分自身の言葉に呆れはてる。 (まさか、男だなんて。シャレにもならない) それでも。 あの輝きをあきらめられるのかと聞かれたら、まったく自信が無い。 恋愛感情じゃないといくら否定しても、心に焼き付いた光は消し去ることができないぐらいにロテールの中で大きくなりすぎていた。 溜め息をついて、思考を無理矢理中止する。 百歩譲って半分くらいは認めても全てを認めるのは理性が許さなかった。 ただ今は結論を導き出すのを先延ばしにして眠りたかった。 秋の少し肌寒い夜空に輝く星々に抱かれながら。 何もない闇の世界へと。 精霊たちに誘われ、この胸に小さく切ない痛みを抱えながら……。
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