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第一話 光輝の破片
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一人で見上げる夜空は何となく好きだ。 暗く澄んだキャンバスに、人間の手では表現できない美しい色とりどりの宝石が散りばめられているから。 そんな優しい灯は、誰であろうと全ての人々に降り注いでくれるから。 見つめていると、自分でさえわからない自身の心の奥が見えてきそうだから。
だから、 つい夜に散歩などしてみたくなってしまう。
星明かりに照らされて、柔らかい金髪が淡く光る。 辺りには静寂と、暗闇。 不思議と闇に対する恐怖心はなかった。 それが何故なのか。 答えてくれる者はいない。 そう感じた彼にすら気にも止めなかった、それはほんの些細なこと。
満天の星空は、彼の頭上で変わらず瞬いていた。
「その調子じゃあ……まだ駄目そうだな?」 会って開口一番。 何を言わずとも表情一つで考えを読みとられて、レオンは少しむくれた。
正式な団長任命式が済んで、はや四ヶ月以上経っていた。 普通の聖騎士というだけでも忙しい上に団長で、しかも伯爵号を持つロテールは、レオンの数倍多忙の人であった。 レオンの暇よりもロテールの暇な時間の方が圧倒的に少なく、それ故にロテールの暇な時を捕まえるのはさらに困難であった。 ……ただでさえその暇を、城下の花々に振り撒いているのだから。
魔術を教えてもらえる、と単純に喜んだレオンではあるが、その事実に気付くのに一ヶ月かかった。その間、新任であるということで仕事が忙しかったせいもあったけれど。 月初めに必ずある定例団長会議なるものがなければ、レオンはロテールをつかまえられなかった程だ。 ただ単に要領が悪いのかも知れないが……。 会議の後執務に戻ろうとするロテールは、王宮の回廊で呼び止められた。 相手を見、少し驚く。 「……久しぶりだな。もう、あの時のことは忘れたのかと思ったよ。どうした?」 ロテールも春先の新旧団長交代で普段以上に忙しくて、夜会の時の事は頭の隅に追いやってしまっていたが。 改めてレオンの瞳を見つめると印象的な光が心の中に甦る。 自然と、笑みも深くなった。 ロテールを呼び止め、その後の言葉が続けられなかったらしいレオンが、ロテールの言葉に遠慮がちに言葉を紡ぐ。 「……まさか、ロテールがこんなに忙しい人だとは思わなくて……もしかして俺、とんでもないことを頼んでしまったのかなって……」 「とんでもないこと? ……ああ、魔術のことか?そういえば、教える約束をしていたんだったな。悪かったな、忘れていて」 レオンらしくない歯切れの悪さに、形のいい眉をひそめて以前の約束を思い出す。 本当にきれいさっぱり忘れていて、自分もどうかしているなと思いつつ、今後の予定をざっと頭の中に浮かべる。 確か……。 「いえ、忙しいようなら断ろうかと思っていたんです。迷惑になったらいけないし……」 「別に迷惑だと思ってなんかいないぞ?忙しいのはいつものことだし、もう馴れているさ。お前との約束は本当に忘れていたんだ。手紙ででも言付ければ良かったのに。……そうだな、今週の土曜。何もなかった筈だから付き合ってやろう。暇か?」 本当は久しぶりの休みだったので、一日中城下の花街にでも遊びに行こうかと考えていたのだが。 「えっ? 暇……ですが……いいんですか? 本当に?」 思ってもみなかったらしいロテールの言葉に、レオンはきょとんとして言葉を返した。 「俺がいいと言ってるんだから、お前は気にするな。それより俺はお前と組んで戦場に出た時の方が、こわいぞ?」 思い詰めていたらしいレオンの緊張を解こうと、冗談混じりに意地悪く笑う。 すると、レオンはむっとして反論する。 「そこまで言いますか? 剣技なら負けませんよ?」 「そこで反論する辺りが、まだまだお子様だっての。いっくら強くても実戦経験は俺の方が上なんだ。力に頼る戦いは、危険だぞ?」 ロテールの言い様に、レオンはむーっと不満そうな顔をする。あまりに最もな事なので、反論できないのが悔しいらしい。 その様子があまりに団長らしくなく、可愛かったので思わず吹き出してしまう。 「何でそこで笑うんですかっ」 自分のことを笑われたと、いつもにしては素早く理解したレオンがムキになって言い募る。 「わ、悪い。別にイミは無いんだが」 「それだけ笑ってて、意味が無いわけないでしょう!? 何がおかしいんですかっ、教えて下さい!」 真っ赤になって問いただそうとする彼に、ロテールも口を押さえただけでは笑いが止まらなくなってしまった。 「ははは……」 「笑ってないで! 教えて下さいよ!!」
心の底から笑うなんて久しぶりだった。 忙しい毎日に、ただ意味もなく流されて。 大事な事を見落としていた気がする。 今までの自分は、ひょっとして幸せではなかったのかも知れない。 笑うことで、心身ともにのしかかっていた疲労感や伯爵と聖騎士である自分という重みが軽くなった気がした。 こんな簡単なことに気が付かなかった自分に呆れ、またそれを気付かせてくれたレオンに感謝した。……もちろん心の中で、だが。
そうして、その時から二週間に一度、夜会の時に出会った場所での魔導訓練が始まったのだ。
幻想的な光景を生み出していた薄桃色の花はすでになく、代わりに優しい緑の葉が生い茂る。葉が生み出す影は、夏特有のきつい陽射しを受け止め過ごすのにほどよい場所を提供してくれていた。
木陰で幹に背を預けて座り込んだロテールは、憮然とした表情をするレオンに目を向ける。 魔法が使えないのを指摘されて拗ねたらしい。 出会った時から全く変わらない素直な反応に、半ば感心すらしてしまう。 からかいやほんの冗談ですらまだ理解してくれていなかったりすることもある。 呆れるほどに、純粋で、純真だ。 一体どういう育ち方をすればこんな人間ができるのかと本気で考えたりもする。 だが、そんな彼が今生きて目の前にいるということの方が、もっと信じられない。 彼を生み出した環境その他と偶然全てが奇跡だとさえ思う。 何故なのかは、自分でもよくわからないけれど。
「あれから二ヶ月以上、基本を徹底的におさらいしてようやく構成や図式がまともになったのに、駄目なのか?…修練が足りないな」 「……まともって……どーせ……」 何の気なしに言った言葉に。 レオンはいたく傷ついたらしい。 「ロテールほど、俺は上品でも器用でもないですから」 「あのな、そこでヤケになって不貞腐れないでくれ。上品さや器用さは魔術に関係ないだろう。嫌なら、見捨てるぞ?」 苦笑いして、少し脅しを入れてみる。 レオンが腐る理由などわかりすぎる程わかっていたが。 やる気まで失くしてもらっては困るのだ。 そうすると、彼を包む光輝がくすんで見えてとてもつらい。 そうしたのが自分であるならば、なおさらだ。 「そんな……! 嫌じゃない…ですけどっ……!!」 「それじゃ、考えてないでまじめに練習しなさい。日々の積み重ねなくして自由に魔法は操れないぞ」 「うー……」 不満は多々ありそうだったが簡単に丸め込んで練習の方に気を向けさせることなど、雑作もないことだった。 構成を編み始めるレオンを見つつ、ロテールは思考をめぐらせる。
育ちの環境にも影響されていたが、ロテールは剣技や魔法の才能を開花させるのに恵まれていた。 貴族ということで作法など幼い頃に徹底的に叩き込まれていたし、16歳という若さで聖騎士団長になるというのに、周りの反応は至極当然という感じしかなかった。そして自分もそうだと思っていた。 そのような環境で生きてきたロテールの魔法の構成は、彼自身をあらわすかのように優雅で洗練されていた。 空を切って印を描く指先ですら優美さを漂わす。 もちろん、本人はそれを無意識にこなしてしまっているので気にも止めない。 それがレオンには気になってしまうのだろう。 単純な嫉妬とかではなく。 努力し続けてきた彼にとって、望んでどんなに努力しても手に入れられない多くのものを持った自分はどういう姿に映るのか。 もしかしたら、こんなふうに魔法の手ほどきをしている自分がひどく傲慢なのではないかとすら思う。 こんなにも自分の地位などが厭わしくなるのは、はじめてだった。
どうして、そう思うのか?
ふと考えた矢先、目の前が閃光に包まれた。 あっという間に思考は闇に閉ざされる。 溜息を付いてロテールは立ち上がった。まだ少し目が眩んでいたが、おおよその位置を目指して歩く。 見当をつけた所にレオンが倒れ込んでいた。 視界がまだ完全に晴れてはいなかったがレオンの側に膝を突いて座り、外傷がないか一応確認をする。 どうやら、また失敗したらしい。 自分で編み出した魔法に自分を巻き込んだのだ。 騎士団特製の制服は、団長のものだけ特別にあしらえた魔法防御のアミュレットがついている。 不完全な魔法など防ぐことなど造作もない。 外傷がないのを確認して、ロテールはレオンの頬を馴れた手つきで優しく叩く。 「うーん……」 気絶してしまったレオンの覚醒を促すのも、何度目だろう。 ゆっくりと瞼を持ち上げ、その赤い瞳がロテールの紫の瞳をとらえるまで、数秒。 「失敗……したのかあ」 深く嘆息したレオンは、両手を自分を柔らかく受け止めた緑の絨毯に投げ出した。 不完全な魔法と言えど、物を傷つけるもの。 簡易結界を張った中での練習は当たり前であり、閉じられた空間には術者本人以外は何もない。 当然、青く萌える草原は何ら変化はない。 横たわるレオンの側にある野アザミが、風に揺れる。 「どこが悪い……というわけじゃあないんだがな。こればっかりはなあ……魔法に対する相性と練習の度合いだから、コツをつかめばすぐ使えるようになる」 少しがっかりしているレオンに、優しく笑い掛けて慰める。 「そう……かな? 使えると、いいな」 レオンはまだ感覚がはっきりしていないのか、ぼんやりとした視線を空にさまよわせる。 深く青い空には雲一つない。 そんなレオンを見ていると、何となく先程思っていたことをぶつけてみようという気になった。 「なあ、俺が教えなくてもお前はもう大丈夫だと思うんだが。これからは練習を積めばいいだけだしな。お前も、俺といるのはあまり好きじゃないんだろう?だからこの先は一人で……」 言いかけた言葉は。 突然身を起こしたレオンの動作に、続けられなくなった。 普段、色々な感情の色を宿す落日の瞳が。 いつものレオンとは思えないくらい厳しい光をたたえていた。 「どこからそんな……俺があなたを嫌いだなんて……言葉が出てくるんですか!?」 予想外な程の剣幕にロテールは驚く。 「いや、俺みたいに貴族の特権なんてやつで団長になった奴が側にいるのは、努力して団長の地位にまできたお前には何かにつけて比べてしまって嫌なんじゃないかと……」 常になくしどろもどろに弁明してしまう。 別に言わなくてもいいことまで、口走ってしまった気がする。 「そ……んなこと、関係ないじゃないですか。他人がどう言おうと俺は俺ですし…。確かに貴方を羨ましいと思った時もあったけれど……それ以上に、貴方が俺の先輩だっていうことの方が嬉しかったです。憧れる、というか……こうなれたらいいなっていう、目標ですね。とても分不相応に高い理想のような気もしますが」 恥ずかしそうにうつむいて語るレオンの言葉には、一片の曇りや翳りはなかった。 ただ純粋にロテールに憧れている、そんな感情がはっきりと読みとれて、聞いているロテールの方が言葉を失うほどだ。 「こんなこと話すつもりはなかったのに……嫌だなあ。やっぱり、まだまだ未熟ですね」 照れながら、レオンは屈託なく笑った。
その瞬間。 目の前で光が弾けた。 まばゆいばかりの光は、見る者の眼底を灼き焦がしかねないほど強い。しかしいつものように目の痛みを不思議と感じなかった。その光は視力でとらえられる光とは異なり、心と自分自身の存在で感じとる光だった。胸を締め付けるほどの清冽さ、崇高な喜びと力強い希望。
それと同時に、瞬間的に閃いたあまりに自然なくらいに自分の思考に溶け込んだ強い想いに、ロテールは内心でひどく困惑した。 心にずっと灼き付いていて離れない光。 あまりに印象的な、その瞳のせいだと思っていたが。 心の琴線に引っかかっていた、何か。 レオンの、魂の輝きをあらわすかのような光輝に惹き付けられている、自分の心……。 華やかな自分に群がるどんなに美しい姫達の誰にもさざ波一つたてられなかったはずの……。
好きなのかも、知れない。
というひどく単純で、その実とても複雑な想い。 気付いてすぐ「仲間」としてという感情だろうと考え直した。
そうせずには、いられなかった。
そうすることで納得しなければならなかった。 どうしてそう思うのか、自分に問いつめる余裕はその時のロテールに残っていなかった。
木々の間から先に広がる草原が青い海原のように大きくうねる。 座り込んでいる二人の間に、季節外れの赤い蜻蛉が通り抜けていった。 それを目で追うレオンの嬉しそうな顔が、中天にかかる陽の光で一層明るく見える。
夏の暑さは、まだ続きそうであった。
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