T r u m b i l d

 



 

第一話

光輝の破片
ひかりのかけら

 

1■

 

 舞い散る花びらが、その一瞬だけ焔の煌めきに見えた。

 まるでそれが何かの終わりを告げるかの様に。

 これから起きる、変化を示すかの様に。

 薄桃色の花弁が一斉に風にさらわれた。

 

 その花の名前を、俺は知っていたのに思い出すことが出来なかった────。

 

 

 

「あーだるいよなー」

 ぼやきながら背後を振り返ると、肩口まで伸びた蜂蜜色の髪が優しく頬を叩く。美しい音楽と、暗がりをも照らすような鮮やかな光が洩れいずる窓のある建物を見つめる瞳は、ラベンダーの色彩を宿す瞳。

 燐光聖騎士団長、ロテール・アルヌルーフ=リング・テムコ・ヴォルトだ。

「この夜会が、マリア様主催でなければ別に構わないんだけどな」

 再びぼやいて、溜息を付く。

 あの全てを見透かされている様な聖乙女の瞳が、彼は苦手だった。できれば極力近づきたくない者の一人ではあるが、相手が聖騎士を束ねる聖乙女である以上、それは無理な相談であった。

 今も付き合いで彼女と一曲踊りを披露してきた所である。

 他の貴族の令嬢達の注目を浴びるのは馴れていたが、この夜会ではあまり気乗りがせず王様の登場などで視線が離れたスキに抜けて来てしまった。

 何をするつもりもなく、ただ華やか過ぎる音曲から逃げたくてふらりと暗闇に足を踏み出す。あてもなく足を運んだ先に、そこだけ光が当たった様に白く浮かび上がる木々の姿があった。

 まだ少し肌に寒い風が吹く、三月下旬にすでに満開の花びらは、誰が触れるでもなく甘い香りを漂わせながらすでに散り始めていた。

 春先の気紛れな雪の様に降り積もったそれは、まるで女神の白い衣の裾を見ているかの様だ。たっぷりと潤んだ女香の様な芳しい匂いに誘われて、ロテールはその世界に一歩踏み込んだ。

 

 いつの間にか先程まで流れていた曲は変わり、流行りのアップテンポな曲調から緩やかなワルツが微かに聞こえてくる。

 

「あの、ここは、立ち入り禁止ですか?」

 

 目前の出来事に魅せられていたロテールは、不意に後ろから掛けられた声に一瞬の動作が鈍った。

 いつもからは考えられない程の反応の遅さで振り返った先にロテールが見たものは。

 

***

 

 最初の印象は、その燃えるような夕焼けの色を宿す瞳だった。

 吸い込まれるような眼差しに惹き付けられた瞬間、彼の周囲に輝くばかりの光の煌きを感じた。それは、一瞬の出来事であった。驚く程の光量であったのにも関わらず、ロテール以外の誰一人として目撃してはいなかった。

 あれは、そう確か、正式な就任式の前の新しい団長との顔合わせの時だった。

 

 忘れられるはずもない。

 

 あの、輝き。

 瞼を焼き尽くすかと思われる程の純粋な光は、何故か心に焼き付いていて、離れない。

 何だったのか?

 答えの出ないまま、忙しい日常に飲み込まれてずっと忘れていたのだが────。

 

***

 

 甘い香りの花びらが乱れ散る中。

 同じ輝きを持つあの強く惹き付けられる瞳が、こちらを見詰めていた。

 

「あ、あの……?」

「あ? あ、ああ、えーと……」

 一瞬何も考えられなくなった思考を現実に引き戻し、少し前の質問を頭に浮かべる。確か……。

「ここか?立ち入り禁止なんてことは、少なくとも俺は一度も言われたことは無いぞ」

と、言っていつものようににっこりと微笑んでみる。

 動揺の入った自分がどれだけ平静を装えたかは疑問だったが。

 相手はそれに気付かなかったらしい。

 安心した様にぎこちなく微笑み返す。

「良かった。何も考えずに入って来てしまったから……。一応、ここは王宮内だし……」

 余程緊張していたのかたどたどしく話す様子を見ながら、ロテールは彼の赤い瞳をさり気なく観察する。

 

 やはり、煌きが見える。

 今回は以前とは趣を違え、彼の身を包むオーラに光を宿していたけれど。

 輝きは彼の内側から溢れ出しているかの様だ。

 

「お前、新しい聖騎士団長だろう?」

 よく考えたら相手の名前を知らなかったので、名前を名乗って貰おうと話題を振る。

 新任聖騎士団長との対面式などというものはそれこそマリア様に会ってしまうのだから、外見的にはしっかりしていても気持ちはおざなりなのであまりよく覚えていないのだ。今更ながらに自分のいい加減さに呆れてしまう。

「え?何故、それを!?」

 びっくりした瞳を見て少し気を取り直し、意地悪く笑ってみる。

「俺は、この前の対面式に居たんだよ」

「居たって? ……え?」

 戸惑うような仕草に大きく溜め息をつく。

 もちろん、わざとだ。

「俺は燐光聖騎士団長のロテール・アルヌルーフ=リング・テムコ・ヴォルトだ。マリア様の横に、居ただろ?」

「え!? せ、聖騎士……団長なんですかっ!?」

「……そのリアクションは、俺が聖騎士に見えない、ということかな? それとも、俺が聖騎士団長だってことで、感激してくれたのかい?」

 余りな返答に、思わずからかう様なセリフを言ってみる。

「あ、す、すいません。対面式の時緊張してて、周りを見ていなかったみたいです。私は、今度赤炎騎士団長に任命されましたレオン=デュランダールです。……ってもう知ってますよね」

 照れくさそうに謝るレオンに、ロテールは先程の冗談が通じていないと理解して、苦笑してしまう。

 どうやら今も少し緊張しているらしい。

 それだけ、純粋なのだろうが。

「まぁ……ね。俺は今、聖騎士の制服を着ていないしわからなくても無理はない」

 レオンが聖騎士の制服を着ているのに対し、ロテールは薄闇に溶け込みそうな程に濃い蒼紫の地に銀糸の刺繍を控えめにあしらった服装だ。ただ、ロテール自身にしては抑えた感じの服装は、他から見ればその瞳の色と同じ服の色に彼の金髪がよく映えて、彼本来の華やかさを一層引き立てるものにしかならなかったが。

 何より見た目に線の細い感じがする自分が制服を着ていない時など、聖騎士に見えないのは自分がよく知っている。今でこそロテールは、城下町では有名になっていて聖騎士であるということが知られているため、レオンのような反応は久方ぶりで新鮮だった。

「正式な任命式にはまだ少しあるが、とりあえずこれからよろしくな。レオン」

 今日初めて知った、響きの良い名前を呼んでみる。

 目の前にいる赤銅色の髪と落日を宿す瞳を持つ若者に、その名は不思議なくらい相応しいと思った。

「はい、よろしくお願いします」

 レオンが、嬉しそうに答えた。

 

「レオンは、得意なものは何だ? 魔術とか、法術とか……」

 先程見た輝きが気になり、秘める魔導の力のせいかとも思って、尋ねてみる。

「得意な……ものですか? ……剣技ですね。魔法は嫌いではないんですが、どうも体を使う方が自分には合っているようで」

 苦笑いをするレオンに、ロテールは内心首を傾げた。

 

 魔力でも、法力でもない、不思議な輝き。

 自分だけが見た、幻覚とでもいうのだろうか?

 それにしては煌きは鮮やか過ぎて……。

 その光に、どうしようもなく魅了される。それから。

 それから……?

 

 心に思考がついていかない。

 自分が何を思うのか、よくわからなくなっている。

 

「そう言えば、今日の夜会は新任聖騎士団長メインの夜会じゃなかったか? こんな所に居て、いいのか?」

 取り敢えず空回りする思考を止め、気分転換に別の話を持ち出してみる。

 すると、にわかにレオンの表情が翳った。

「あ……その、ああいう所は初めてなのでどうにも馴れなくて」

「別に咎めるつもりは無いよ。俺もうっとおしくなって抜け出て来たんだし」

 まるで幼い子供を苛めている気分だ。

 つい、フォローに入ってしまう。

「貴族なんかやってると、あーいうものはしょっちゅうだぞー。俺は、団長をやっているから忙しくて滅多に出ないんだが、お前らヒマだな〜ってくらい夜会に誘われるんだ。まあ、聖騎士団長というだけでも夜会にはよく誘われるんだがな」

 聖騎士団長という立場に対して、表面を取り繕い、裏で腹黒い陰謀を巡らせるしか能の無い奴等に……。取り澄ました上品なだけの、自らの手を用いずに汚いことをする連中ばかりの貴族社会というものに、ロテールは心底辟易していた。その中に、もちろん自分も含まれるのだけれども。

 

 無意識に俯いた顔に、星の光で淡く輝く前髪が流れ落ちる。

 そんな自分に気が付き、自嘲して邪魔になる髪を右手で掻き揚げた。

 どうしようもなく疲れている自分を感じて────。

「え?聖騎士も、夜会に出るんですか?」

 意外そうな顔をしてレオンは聞き返してくる。

「当然だろ? 国の軍事を司る聖騎士と仲良くしたい奴など山といる。夜会に出てくる姫達は、まあ玉の輿って奴だな。地位はそれなりに安泰だから……ね」

「……苦手な世界です、自分には。断ることって出来ないんですか?」

「できるさ。適当に理由をつければいい。でも、いいのか? 姫達なんか選り取りみどりだぞ。それとも可愛い彼女が、いるのかな?」

「い、いませんよっ!! 彼女なんて!……そんな暇無かったし……」

 おどけた口調でからかってみれば。案の定の答えが返ってきた。

 本当に騎士一筋で生きてきたのだろうとわかる、純粋な、心。

 

 自分が遠い昔になくした宝物を見ているかのように、ロテールはレオンを見つめて光に解(ほど)けてしまいそうに優しく柔らかく微笑んだ。

 その思いがけず柔らかい笑みに、レオンも言葉を失くす。

「ま、いいけど。でも、その調子じゃあ女の子の扱いくらい覚えた方がいいんじゃないのか? 困るのは、お前の未来の彼女だぞ?」

「……そうかも知れないけど、いいです。このままで。まだあんまり興味が無いので……。剣を持って戦っていた方が性に合ってます」

 少し迷うようにしかし決然として言ったレオンの瞳は、やはり輝きを放っていた。

 その瞬間(とき)だけ辺りに舞う花びらの数が増した気がした。

 そして白い花びらは、レオンの輝きに応えるかのように煌いた。

 

 一瞬、目もくらむ程の眩しさに目を細めたが、それは決して瞳を射るものでは無かった。

 

 それは。

 おそらく生命の輝きなのだろうと、漠然とロテールは思った。

 強い意志、純粋な心。

 最初に出会った時、閃光の様に心を突き刺したものの正体は。

 何故か、心から消えない光は。

 

「確かに、恋愛話は似合いそうにもないな、お前は」

 淡く微笑んで呟く。

 苦笑して何も言い返せないレオンに、立ち話は何だと大きな木の下に誘い花弁の絨毯の上に座り込んで幹に背を預けた。

 何となく、このまま立ち去り難かったので。

「光の魔法は?全てマスターしたのか?」

 燐光の騎士と呼ばれる自分にすら眩しい強い光を放つのだからと思って聞いてみれば。

「あ……と。まだレイ・ボウだけです。エリアル・フロウは10分の3くらいの確率で出来ますが……」

「……はあ? おい、本当か?それは」

「光の魔法は構成法が難しいです……特に」

 レオンが空中に指で図式を描く。

 正式な印ではないので、発動はしないが……。

 ロテールにはそれだけで十分だった。

「……間違えてるぞ」

「え?」

「……そのぶんだとエリアル・フロウの残り10分の7の確率で起こる失敗は、光った後天空(そら)から光が落ちてきて、そこで爆発。自分も巻き込む。違うか?」

「どうして、それが!?」

 あきらかに心から驚いているレオンに、ロテールは肩から力が抜けた。

 溜息も盛大である。

 

 呪文の術式は絶対である。

 師から教授され、相性が良ければわりと簡単に使いこなせるものなのだ……相当に修練を積まねばならないが。

 呪文が発動する、ということはつまりはその呪文は使えるわけで。

 何が悪いか、といえば。

 レオンの印の構成の仕方、図式の組み方が乱雑すぎる。

 光の魔法は威力は絶大だがその反面制御するのが難しくなる。

 高度で繊細な図式の構成が要求されるのだ。

 

 使えるのに根本がなっていない。

 つまりは、そういうこと。

 

 ロテールは言葉で説明しようとして口を開き掛けたが、言葉を飲み込む。

 説明したところであの構成法は直らない、そんな気がしてまた溜息をつく。

「俺の得意な魔法は光の魔法だぞ?図式見ればわかるよ、どこが間違えてるかくらい……折角使えるのにもったいないことしてるなぁ。しょうがない、今度暇な時にでも教えてやる」

「本当ですか!? 嬉しいなあ。あきらめようかと思ってたんですよ」

 ロテールの言葉に、レオンはパッと表情を輝かせて幸せそうに笑った。

 そんなレオンの顔を見てまあたまにはいいか、と思った。

「何たって、すごい図式だったもんなあ。よく団長になれたな」

 ただ単に妙に感心している、というポーズをつくって相手の反応を待てば。

「そ、そんなに非道いですか? これでも成績トップだったんですが」

 素直な、とてつもなくわかりやすい態度が返ってくる。

 思わず口の端に笑みがこぼれる。

「それは、赤炎聖騎士団のレベルが結構ヤバイということになるぞ。剣技は別にしても、魔術のレベルがな」

「ええ!? ちょっと待って下さいよ! そんなにレベルが違うんですか、他の騎士団って!?」

 慌てる姿が想像どうりなので、面白い。

「ああ、お前の魔法は実用性を求めてはいるが大雑把だな。もう少し丁寧にやることが大切だ。他の騎士団はどうでもいいから、部下を鍛え直すことがお前の最初の仕事だな。ま、頑張り給え新団長殿」

 一応客観的意見も述べてみると、レオンは黙り込んだ。

 からかい過ぎたかな? とチラッと思いはしたが……。

 

「ありがとうございます! 勉強になりました!!」

 元気にそう言って、また笑った。

 

 その笑顔に、毒気を抜かれた。

 否。

 心を、奪われた……?

 

 驚いた表情を崩さないロテールに。

 レオンが首を傾げた。

「ロテール様?どうか、しましたか?」

 はっと現実に意識を引き戻し、自分を取り戻す。

 そうすると、少し前まで思考の中にあった何かが消えてしまった。

 そんな自分に内心舌打ちして、レオンに視線を向ける。

「これからは同じ団長同士だ。そんなに堅苦しくなるなよ。ほとんど毎日顔を合わせるのに、息が詰まって死んでしまうぞ、俺は」

 動揺を悟られないためにいつもの笑顔になるよう、努力する。

 何か、調子が狂う。

 レオンといると……。

「え……と、でも、先輩だし……」

「そういうの、ナシ。立場は対等なんだ。聖騎士である自分に誇りを持て。……って、俺が言っても説得力はないか」

「……? 説得力がない……ですか?」

 まだ団長になりたての彼なら知らぬのも無理はないだろう、言葉の真の意味に。

 やはりロテールは苦笑するしかなかった。

「とりあえず、様付けは止せ。それくらいからならできるだろ?」

「あ、はい。ロテールさ……と、ロテール」

 一回言いかけて律儀に言い直すレオンに、ロテールは優しい光をたたえた瞳を向ける。

 

 まあ、こんな一時も悪くはないか。

 と。自然に、ごく自然に思っていた。

 

「ところで、ロテール? 先刻から気になっていたんですが、この花の木は一体何て言う名前なのですか? とても綺麗だ」

 すぐには直らない丁寧語を混ぜて、レオンが尋ねる。

 その質問に単語を紡ごうとしてふと、心の中に言葉が無いことにロテール自身ひどく驚く。

「……おかしいな? 少し前、少なくともお前に会う前は知っていたのに思い出せない。何でだろう?」

「……?」

 ロテールの反応に、レオンが意外そうに首を傾げた。

「ま、花の名前なんてすぐ忘れるものだしな。たくさん花を知っている俺としては」

「そんなに花の名前を覚えているんですか?」

 単なる冗談混じりのつぶやきに、ごく真面目に答えを返されたロテールは。

 笑い顔のまま、脱力して頭を抱えた。

 純粋を通り越しているような気がする……のは気のせいだろうか。

 

 何の疑いも持たぬ夕焼け色の瞳は、うつろいゆく季節の残滓を見つめている。

「残念だな……こんなに綺麗な花の名前がわからないなんて」

 そうつぶやいたレオンの癖のない髪を、爽やかな風がふわりとそよがせる。

 甘い芳しい香りを運んで。

 羽のような白い花弁を一面に舞い散らせながら。

 

 

 春は、通り過ぎようとしていた。

 


NEXT■光輝の破片・2

←虚構文書に戻る