Forth

 


 

 

 考えても考えても、わからないことというのはある。
 どうしようもなく行き詰まってしまった場合、なんとかして打開策を見つけだす方法はあるのか?

 いちばん手っ取り早いのは、誰か他の人に聞いてもらうことだ。

 ただこの方法は、人選をミスするとなんの意味もない。事態が悪化して、よけい収拾がつかなくなるのもよくあることだったりする。
 当然、ロテールもここでは悩んだ。それじゃなくても思考回路がまわらなくなっているのに、なぜこんなことまで考えなければならないんだ、とひとりごちながらも。

 同僚の聖騎士たちは論外である。つい最近聖女宮にやってきた、聖乙女候補生たちにはとても聞けない。名前も把握しきれていない女友達も、なんだか後々面倒くさいことになりそうな気がする。

 結局、彼が頼るところは、たったひとつしかなかった。

 できれば、近寄りたくなかったのに。

 ため息をつきつつも背に腹はかえられないと、ロテールは聖女宮を目指す。

 

 

「あら……めずらしいわね、あなたが自分から訪ねてくるなんて。いったいどうしたの?」
 過去を振り返ればロクでもない思い出しか浮かんでこない相手だが、おそらく彼女以上の適任者はいないだろう。

 力が消えかけている今でさえ、彼女が放つオーラと呼ぶべきものは力強く、そして優しかった。聖乙女マリア・ヨゼファ=ファン・ナッソウはロテールに椅子をすすめて、自分も愛用の揺り椅子に腰をおろす。

 訪ねてきたものの、「聞いて欲しいことがある」と言ったきり口を開こうとしないロテールの顔を見つめていたマリアは、演技でなく心配そうな表情をかいま見せた。
「かなりまいってるみたいね」
 ロテールが「自らの意志でここに足を運んできた」という時点で、すでにどこか普通ではないということに気づくべきだったかしら。

 マリアの頭を、そんな思考がかすめて通る。

 放っておくのは、危険かもしれない。向こうが頼ってきたからには、なんとかしてみよう。そもそも、マリアを苦手としているのはロテールのほうであって……マリアは、けっこう気に入っているのだ。この年齢以上に大人のわりには、どこか子どものままの部分が残っている、燐光の聖騎士のことを。

「話してごらんなさい。言ってくれなければ、私にはなにもわからないわ」

 

 親身になってロテールのことを気にかけ、心配する様子を見る限り、本当の聖母のように見えてくる。聖騎士に叙任されたばかりのころにもしこんな姿を見ることがあったのなら、彼女が自分の天敵になることはなかったのではないだろうか。

 そんなことをちらりと思わないでもないロテールだったが、敢えてそれは頭の隅の方に押しやり、重い口を開いた。

 

 

 ロテールの話を聞き終えたマリアは、一瞬額に手を当てると、軽く天を仰ぎ見た。

 ……やっぱり、中身は子どものままだったみたいね。

 口には出さずに、心の中で呟く。
 当然、呆れているのだ。

 甘い言葉と顔で何人もの女を虜にする手管を惜しげもなく披露しておいて、なぜ今頃こんなことで自分を見失っているのだ、この男は。
 子どもの頃に精神に傷を受けて育つと、どこかが子どものままおいていかれる。それの、いい例だろうか。

 それにしても、酷すぎる。というか、バカバカしい。
 本当に愛する人を見つけたら、手を出すどころかその気持ちを口にするのにもかなりの時間を必要とするタイプじゃないかと思っていたら、本当にそうだったようだ。

 しかも、自覚していないときた。

「自覚してたら、ここまで酷くはなってないわよね……」
 ロテールには聞こえない程度に小さく口に出すと、居ずまいを正して彼の顔を見据えた。
 そして大きく息を吸うと、誰も途中で口を挟むことなどできないような気迫を漂わせて、言葉を紡ぎ出す。

「あのね、ロテール。それはね、自分で考えないとどうしようもないことなんだけど……そんな情けない顔しないでよ。バカバカしいけど、特別に教えてあげるわ。あなた、その人のことが好きなのよ。それも、今まで何人もつき合ってきた女の人とはまた違う意味で、本当に、特別に、好きなのよ。そうね、その人のことを愛しているっていえばいいかしらね……わかった?」

 

 

「そういえば……」

 本当にわかってくれたのかどうかの確証は持てなかったが、しばらく呆然としていたもののようやく今までの調子を取り戻したらしいロテールを送り出してから、ふとマリアは首を傾げる。

「あんまりバカバカしくて、聞き忘れちゃったわ。あの子の本命って、誰だったのかしら?」

 ……聞かなくて正解だったかもしれない。

 

 

Fifth

 


 

 

 秘畢の丘を渡る風は、いつでも柔らかく、優しい。

 雨が降ってしまえばここへの道は閉ざされてしまうので、目に残る風景はいつでも常春の世界だ。
 ここを訪れなかったのはほんの少しの間のことなのに、なぜか1年も2年も見ていなかったような、懐かしさを感じた。

 それだけ、ここに来ることを心待ちにしていたのだろうか。
 今更のようにそれに気がついて、ロテールは苦笑する。

 

 それなのに。

 いちばん逢いたい人の姿は、そこにはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、早いね。俺より先に来てるなんて」

 落胆しかけた直後に後ろからそう声をかけられて、ロテールは比喩でなく心臓が飛び出しそうな衝撃を味わった。

 心臓に、悪い。悪すぎる。
 悲鳴をあげなかったのが、奇跡だ。

 破裂しそうな心臓をなだめてやっと振り返った視線のその先には、相も変わらずにこにこと無邪気な笑顔を浮かべたレンがいた。
 その姿を認めて、ロテールは脱力したかのようにその場に座り込んでしまう。
 本当だったら木にでも寄り掛かりたいところだったのだが、残念ながら少々歩かないと木にはたどり着けなかったのだ。

 そのまま、上目遣いにレンの目を見ると、恨みがましい声で呟いた。

「あんたねえ……秘かに俺の心臓を止めてやろうとか、思ってないか?」
「なんで俺が、そんなもったいないことしなくちゃいけないんだい?」
「もったいないってね……」

「もったいないじゃないか。心臓止めちゃったら、もう君で遊べないし」
「あーのーなああああ!」

 顔を真っ赤にして、ロテールはレンをねめつけた。
 もっとも座りこんだまま上目遣いに睨まれてもあまり効果は期待できないのか、レンは楽しそうに笑っただけだった。反省の色は、まったくない。

 さすがに怒るのもバカらしくなったのか、ロテールはため息をついてそのまま仰向けに転がってしまった。
 ふてくされるロテールの顔を立ったままのぞき込んで、レンはくすりと魅力的な笑みをみせる。
「あはは、冗談だよ、冗談。……そうそう、久しぶりだね」
「久しぶりって……この間ここにきてから、3週間しかたってないぞ?」

 自分も懐かしく感じたことは棚に上げて、憮然と言い返す。
 そんなロテールの反応を楽しそうに見つめつつ、レンはなんでもないことのように言い放った。

「俺には十分長い時間なんだよ。だって、俺は君のことが好きなんだから」

 

 

 あまりにもあっさり言われたので、ロテールは何を言われたのかをまったく理解していなかった。

「…………え?」

 わかっていないことは明らかなロテールの反応に、レンはため息のひとつでもつきたそうな表情で軽く首を振ってみせる。
「やれやれ……聞いてなかった、なんてことは言わないで欲しいんだけどね」
「いや、聞こえはしたんだが……」

「聞こえはしたけど、内容がわかってないってところだね。なんだったら、もう一度言おうか? 俺は、君のことが好きなんだよ、ロテール。意味、わかる? 別に『友人として』好きだ、なんて言ってるわけじゃないよ。まさかとは思うけど、念のため」
「…………」

 別に念を押されなくてもわかってはいたのだが、感覚が麻痺してしまったのか、とっさには反応できない。
「それも、このままさらっていきたいとか考えるくらいにはね。まあ、さすがにそれは無理みたいだけど……ロテール? 聞いてるのかい?」

 うんともすんとも言わずに硬直してしまっている(らしい)ロテールの様子が心配になったのか、レンがロテールの傍らに座り込んだ。そのまま、顔をのぞき込む。
 ちょっとショックが大きすぎただろうか。いくら百戦錬磨なロテールでも、男から告白されたことはそうないだろう。もう少し、遠回しのほうがよかったか……?

 さてどうしようか、とさすがのレンも困惑気味になってきた時、やっとロテールが動き出した。
 ゆっくりと、上半身を起こす。

「……この間レンに聞かれたことの答えを、見つけてきたんだ」

 その声は落ちついていた。

「自分だけじゃ途中までしか掘り出せなくて、結局他人に手伝ってもらったんだがな。それでも、やっと答えが見つかった。
俺にとってあんたは、甘やかしてくれる大人で、過去の傷ごと包み込んでくれる大きな存在で……それでいて、なにもわからない不思議な奴だ。俺のことはなんでも話したし聞いて貰いたいが、レンは何も話してくれない。多分、悔しかったんだろうな……俺にはレンが絶対に必要だのに、あんたにとって俺はどうでもいい存在のように思えて。
レンのすべてを、俺のものにしたい。これは、俺の偽らざる本音さ。……これは『恋』というらしいな、俺が今までやっていた恋愛ごっことは違って。わかっていたはずなのに、なんで自分では見つけられなかったのか……今考えれば、そっちのほうが不思議だ」

 今まで何人もの女を口説いてきだが、こんなに言葉を飾らずに本音を打ち明けたことは……あっただろうか?
 触れれば弾けて消えてしまいそうな危うい微笑を浮かべるレンの頬に手を添えて、彼の黒い瞳を見つめる。

「多分、俺も……お前のことを愛しているよ、レン」

 

 

「……久しぶりに本気になった相手と相思相愛になれるとは、俺もけっこう運がいいのかな?」
 振られる、なんてどうせ心にも思っていなかったくせに、これまた魅惑的な笑みと共にそう言い切ってしまえるのが、レンの強いところだろう。

 自分の頬に添えられた手はそのままにロテールの頭を抱き寄せると、そっと触れるだけのキスをする。
 頭に回ったレンの手を外して口元に持っていったロテールは、その指に口づけると上目遣いにレンの顔を見た。

「ところで……答えは返したぞ? いい加減、少しはあんたのことを教えてくれてもいいんじゃないか?」
「教えたいのは山々なんだけどねえ。それこそ、俺にさらわれてくれる覚悟があるかい? 俺のものになってくれない人には、残念ながら教えられないんだよ……いろいろ事情があってね」

 アルバレアとその王家を守護するための存在である漆黒の聖騎士が、実質的な守護を担う燐光の聖騎士を表舞台からひきずり降ろしてしまっては、笑い話にもならない。
 それこそ、黒翠の聖騎士にこっぴどく怒られるのは目に見えている。
 だから、しばらくの間はロテールにレンの正体を明かすわけにはいかないのだが……。

「レンはまだ俺のものじゃないかもしれないけど、俺はとっくの昔にレンのものだぞ」

 想い人にこんなことを言われてしまったレンが、この機会を利用しないわけがなかった。

「心の問題じゃなくって……心身共にってやつ?」
 こんなセリフを口にして、にっこりと満面の笑顔を披露してみる。

 嘘はついていない。
 心身ともに。たしかに、嘘はついていない。ついていないが……なにか、説明が足りないのではないだろうか?

 当然のごとく、ロテールはそれにひっかかった。

「別に、心身共にレンのものになったってかまわないんだけどな。どっちかと言うと……」
 ゆっくりと、レンの顎に手をかける。
 レンはまったくあらがわなかった。それどころか、誘うように(いや、まさに誘っているわけなのだが)婉然と微笑む。

「どっちかというと?」
「レンを、俺のものにしたい」
「ま、それでもいいけどね。でも、物好きだなあ。そこまでして、知りたいのかい?」
「レンのことだから、知りたい」
「うまいよねぇ。王都一の遊び人を自称するだけあるなあ」
「誰も自称してないだろ?」
「そうだっけ? まあ、いいや」

 自分よりやや高い位置にあるロテールの頭を引き寄せ、レンはロテールの唇に自らの唇を重ねる。

 先刻の触れるだけのものとは違う、深く激しいキス。

「……んっ……」

 足りなかったものを補うかのように、お互いがお互いを激しく貪る。
 それでも、優しく舌がからむ。求めあう。甘い吐息が漏れる。
 どちらも、十分に手慣れたキスだった。
 静かに長い口づけから相手を解放すると、ロテールはレンの唇から流れ落ちる唾液をそっと舐め取った。
 黒髪を手にすくって、優しく口づける。

「……あんたもけっこう遊んでるんだな、レン」
「年上だからね。君ほどじゃないよ」
「ところで……ここで?」
「嫌なら、やめるけど?」
「……冗談」

 誘うように、魅惑的に微笑むこの男の誘惑から逃れられる人間が、はたしているのだろうか?

 いるわけがない。

 踏み越えてはならないラインを越えてしまうことがわかっていても、もう昔の自分には戻れなくなることがわかっていても、甘美な誘惑には逆らえない。
 たとえ地獄に落ちることになっても、彼を手元につなぎ止めておきたい。
 それが罠でもかまわない。心の誘惑のままに、ロテールはレンを抱きしめる。
 想いをこめて、うなじに唇を寄せる。レンはロテールの首に手を回し、そのままそっと引き倒した。

 

 ふたりの姿は花に隠れ、影がひとつに溶けあった。

 

 

Sixth

 


 

 

「ほんと、かわいいよね。女が放っておかないのもわかる気がするな」
 傍らで眠る恋人の金の髪をすきながら、レンは優しい微笑みを見せた。

 一目で気にいったから、手に入れるための努力は惜しまないつもりだった。

 待つのは慣れていたし、それなりの手練手管はそなえていた。人当たりがいいようで人を信じようとしないロテールの心を解きほぐしていくのも、楽しかった。
 さほど苦労した覚えはない。意外とあっさり手に入れられたことに、少々驚いたくらいだ。

 

 

「まあ、どっちにしても……」

 驚くほど幼く見える寝顔に微笑みかけて、レンはそっと彼の額に触れるだけのキスをする。

 

「現役の聖騎士をさらっていくわけにもいかないし。本当のことは、君が聖騎士を辞してからしか言えないんだけどね」

 ロテールが聞いたら詐欺だとわめきちらしかねないセリフをつぶやきながら、レンは金色に輝く髪を撫で続けた。

 


The End / Side Story … 闇の聖跡

| 虚構文書 |