First
人気のない宮廷広場でその小道を見つけたのは、ほんの偶然からだった。
いつものように、両手の指だけでは数え切れないガールフレンドたちのひとりと出かけ、邸に帰ろうとした時のことだ。
普段であれば気にもとめないような光に気を取られ、ふとそちらの方へと足を向けてみた。
広場に彩りを添え、夏には涼をもたらす自然たち。綺麗に手入れをされた植物たちに守られて、その小さな道は城の背後にそびえる山の方へと続いているようだった。いくら自然にまぎれ、気づかれないようにとさりげなく隠されていたとはいえ、今まで見落としていたのも不思議だった。しかし、このような道の話など、聖騎士の誰からも、聖乙女マリアからも聞いたことがない。
不審に思う前に、好奇心がうずいた。
この隠された道は、どこに続いている？ 城の裏？ もしかしたら、王族しか知らない抜け道なのかもしれない。
非常時であれば、警戒もしただろう。
しかし今のアルバレアは、拍子抜けするほど平和だった。聖乙女の力の衰えもまだ見えず、聖騎士の代替わりもなく、周辺諸国もなんの動きも見せない。
そう、退屈だったのだ。
燐光の聖騎士、ロテール・アルヌルーフ＝リング・テムコ・ヴォルトは。
……そして彼は、二度と引き返すことのできない道へと、足を踏み入れた。
Second
どこまでも、緑のアーチは続いていく。
小道はそのうち、お世辞にも道とは呼べそうもない代物になりつつあった。
さすがのロテールも、このまま先に進むべきかどうか、一瞬迷う。
理性は、戻った方がいいと告げていた。しかし、心の警鐘を無視して、そのまま歩を進めていく。
なんだか妙に、心が浮き立つものがあった。
なかなかにスリリングな女遊びにも、飽きかけていたのだろうか？未知の場所へと歩んでいく足どりは、自覚はしていないまでも、軽かった。
そのまま、どのくらい歩いただろうか。
ひときわ大きな木々の間を抜けると……そこには、別世界が広がっていた。
まわりは鬱蒼とした木々に覆われているというのに、ここだけぽっかり切り取られたかのように。
色とりどりの花が咲き乱れ、惜しげもなく降り注ぐ太陽の光を受けて輝き、きらめく。
そこは花に命を与えられた、華やかなのにひっそりとした秘密の花園だった。美しいもの、綺麗なものは見慣れていたはずのロテールでさえ、一瞬その光景に息を呑んだ。
美しい、誰を連れてきても誇れる場所には違いないのに、なぜか誰にも言ってはいけないような気が、した。
詰まった息をゆっくり吐き、大きく息を吸う。
ゆっくりと花園を見渡し、ロテールはその光景を焼き付けるかのように目を閉じた。
「ここは……俺の秘密の場所、かな？」
「そうしてもらえると、助かるね」
返ってくるはずのない返事が、聴こえた。
ここには、誰もいなかったのに……いや、本当にいなかったのか？
全身で警戒して、声のした方へと振り返る。
景色に目を奪われていたにせよ、他人の気配に気づけないようでは聖騎士は務まらない。それなら、独り言に返事をした人物は、もしかしたら自分をも上回る力量の持ち主、ということになる。
そして、そこにいたのは。
「別に何もしやしないから、そんな手負いの猫みたいな反応、しないでほしいんだけどな。俺は、単に昼寝してただけだよ？」
上半身だけ腕をついて起きあがり、無邪気な笑みを見せていたのは……近衛騎士団の制服を着た、黒髪の青年だった。
Third
「あ……え、と、すまない。昼寝の邪魔をしたようだな」
すっかり毒気を抜かれて、ロテールは肩の力を抜いた。
なんだかこの青年の笑顔を見ていると、ここまで来て過剰に反応したのがバカらしく思えてくる。
すっかり気の抜けた風体になったロテールを見て、青年はクスクスと笑みをこぼした。そして、笑いながら手招きする。
「そんなところに突っ立ってないで、座ったら？ 少なくとも、ここの花たちは君に害を与えたりしないよ。なんせ、俺が一日中のんきに昼寝してられるくらいだからね」
「一日中って……ここで、丸一日？ だた、寝てるだけなのか？」
「そう、惰眠をむさぼってるだけ。……あ、今、『昼寝なんかで時間を潰すことの、どこがそんなに面白いんだ』って思ったね？」
「な……なんでわかったんだ？」
すすめられるままに青年の隣に腰をおろし、ロテールは心の中の呟きを看破されたことに目を白黒させる。
そんなロテールの形相がよほど面白かったのか、青年はまたも楽しそうに笑った。笑いながら、
「君の顔が雄弁に語っているよ。口に出すまでもない」
とタネあかしをする。
クスクスと笑い続ける青年の横顔を見つめながら、ロテールは苦々しく笑ってみせた。
どうにも、調子が狂う。
ロテールはどちらかというと、他人に振り回されるよりは振り回す方だ。
唯一の例外といえば実家にいる弟くらいのものだが、それでもここまで慌てさせられたことはないはずだ。女性が相手の場合は、言うまでもない。相手に振り回されているようでは、王都きっての遊び人などやっていられない。
それなのに、この青年に対しては、初対面からこのザマだ。はじめに思いっきり動揺したのもあるだろうが、それにしても完全に相手のペースになっている。
しかもよけいいまいましいことに、決してそれが嫌ではなかった。
なんとなく、この青年相手だったら振り回されてもいい。そんな気がした。
その方が、楽になれる気がしたのだ……根拠も何もなかったが。
「ちなみに、昼寝はいいよ。わずらわしいこともないしね。それに、ここは俺の……まだ本当に小さい頃からの、お気に入りの場所だから。ここにいるだけで、心が安らぐ気がするんだ」
今度は仰向けに寝っころがった青年はふいに真面目な表情になって、そうつぶやいた。それだけで、印象がまったく変わる。
笑顔を見せているときの青年は、どちらかというと無邪気で幼い印象になる。童顔なせいだろうか。実際の年齢は、外見だけではまったくわからない。
しかし、一転して表情から笑みが消えると……とたんに、厳しく無表情になるのだ。
そのどちらも、ロテールには深い印象として、残った。
「って、近衛騎士団の一員が、こんなところで安らいでいて、いいのか？」
「俺は役立たずだから、いてもいなくて一緒さ。王宮に立ったことはないなあ」
「おいおい……」
「他にお仕事があるから、いいんだよ。あんまり潤いがないからね、休日くらいは羽を伸ばしたっていいじゃないか」
「ま、そりゃそうか……息抜きでもしないと、仕事ばっかりやってはいられないからな」
「君は、年がら年中息抜きしてるような気もするけどね……燐光騎士団長、ロテール殿？」
「それくらい大目に見てくれ……え？」青年につられていっしょに仰向けになって空を見上げていたロテールは、聞き流しそうになった青年のセリフに、慌てて飛び起きる。
名乗った覚えは……ない。
がばっと跳ね起きたロテールに向かってまた面白そうな視線を向けると、青年は目を細めて笑った。
「名乗ってないのに、なんで名前を知ってるのかって？ 君、自分がどれだけ有名人か、知らないわけじゃないよね？ 燐光の聖騎士で、有力貴族のヴォルト伯爵で、アルバレア一の遊び人。知らない人を探す方が難しいよ、きっと」
「その、最後のひとつはよけいだな……遊び人だなんて、人聞きの悪い。俺は、誠心誠意心を込めて、ご婦人がたのお相手をしているんだぜ」言われているだけなのもしゃくなのでちょっと言い返してみたが、笑顔のまま痛烈な言葉が返ってきた。
「心がこもっててもこもってなくても、どうせやることはいっしょじゃないか」
こう言われてしまっては、返す言葉も見つからない。「…………どーせ」
「あははは、そこでスネちゃうのか。まだまだ若いね、ロテール殿」
「わざわざ殿なんてつけなくてもいいさ、心にも思ってないくせに。それに、そんなに歳は変わらないだろうが」
「そうかな？ 君よりは年上だと思うけどね……じゃあ、お言葉に甘えてロテール、と呼ばせていただこうかな」その後も、転がって空を眺めながら、なんでもない会話をかわした。
そんな他愛のない会話でも、さりげなく甘やかせてくれる青年との時間は、ロテールにとってとても居心地のよいものだった。
Forth
少しずつ、陽がかげってくる。
夕焼けのラベンダーの色に染まった空も、綺麗だった。
「そういえば、ここはなんていう場所なんだ？」
そろそろ邸に帰るべく起きあがろうとして、ロテールはふと思いついて尋ねてみた。
青年はちょっと考えて、笑みとともに答えを返す。
「えーとね……そうそう、秘畢の丘だよ。どこが丘なのかは、今一つ不明だけどね」
「丘というより、山だよな、ここ……」
「まあ、深く考えないほうがいいと思うよ」
青年は、どうせ知ってる人もいないんだしね、とつけ加える。今日一日で見飽きるほど見たはずの青年の笑顔を眺めていたロテールは、これまたなんとなく、こんな問いを口にのぼらせた。
「ところで……また、ここに来てもいいか？」
「かまわないよ、ここは来たい人しかこれない場所だしね。でも……」
「でも？」
「本当に女性にしか興味がないんだったら、もう来ないほうがいいかもね。俺は惚れっぽい上に男女どちらもＯＫだし、しかも美形に弱いんだ」
「は……？」唐突なセリフに、目をぱちくりとさせてしまう。
一瞬、かなり問題発言だったような気がする青年のセリフを本気にしたロテールだが、必死に吹き出すのをこらえている青年の表情を見て、からかわれたことに気がついた。
気がついたが、そうすると今度はからかわれたことが悔しくなってくる。
そう年齢も変わらなさそうな青年を相手に、しかも自分の得意分野でからかわれたとあっては、そう簡単に引き下がるわけにはいかなかった。
それに……女性のほうが好きだが、女性のみ、というわけではないのも……本当だった。挑むような視線を投げて、挑戦的に言い放つ。
「残念だったな、俺も男女どちらも大丈夫なんだ」
「なーんだ、そうか。心配することなかったかな」やはり、からかわれているようにしか思えない。
失敗したかなとこっそり後悔するロテールの心を知ってか知らずか、青年はとどめをさすかのように極上の笑顔を見せると、魅惑的にささやいた。
「それじゃ、また来週……ここでね」
「よく考えたら……何をムキになってるんだろうな、俺……」
更によく考えたら、名前すら聞いていない。
どっちにしろ、ロテールの心は決まっていた。次の休日には、またここに来ているのだろう……きっと。
あの秘密の花園で魅了されたのは、はたしてどちらのほうだったのだろうか……？
Fifth
「嘘は言ってないんだけどね。信用してもらえなかったかな？ まあ、仕方ないか。事を急ぐのは、趣味じゃないしね……」
うつ伏せに寝っころがって頬杖をつき、青年はクスクス笑いながら森の中へと消えていくロテールを見送る。
「ふふふ……なかなか楽しい坊やじゃないか。また来るのを待ってるよ、ロテール……」
秘畢の丘を優しく渡る風に黒髪をなびかせ、漆黒の聖騎士レン・ムワヴィアはひそやかな笑みをこぼした。
The End or Continued……？