□  夏の雨音  □

 

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 水の匂いがする風が吹いて、雨の到来を知らせた。

 空を見上げると、いつのまにか暗くなっている。先ほどまでの鮮やかな青と白のコントラストが、嘘のようだ。

 石畳が敷き詰められたこの街は、昼間は太陽の光を浴びて、むっとするような熱気に包まれている。石は、熱を吸収しない。照り返しとわだかまる熱気で暖められることになるこの街では、夏の夕方になるとよく雨が降った。

 気温が下がることによって、激しい夕立が起こるのだ。だが雨期のように、いつまでも降り続いたりはしない。夏の雨は、気温の上がりすぎた街をなだめるように激しく降り注ぎ、あっという間に止んでしまうのが常だった。

 湿気と雨独特の匂いを含んだ風がもう一度ロテールの頬を撫で、過ぎ去っていく。その直後に肌に感じた雨粒の感触に肩をすくめ、少しだけ恨めしそうに雨の降りだした空を見上げた。

 雨は、嫌いじゃない。特に夏の雨は、大気を少しは過ごしやすい気温まで下げてくれるから、どちらかというとありがたい。

 だけど。

「よりによって、こんな時に降り出すなよな……」

 あと数十分待ってくれれば、騎卿宮までたどり着けたのに。

 まだ、雨足は弱い。だが、どうせすぐに激しい降りになるだろう。運の悪さをぼやいている暇があったら、今のうちに雨をしのげる場所を探すべきだ。

 突然の雨に、道を行く人々の歩みも早くなる。よくあることとはいえ、一時間足らずであがってしまう雨に対して備えのある人は、そういないようだった。

 ロテールも雨宿りをする場所を見つけるべく、視線をめぐらす。ふと目が止まったのは、重々しい木の扉をドライフラワーのリースで飾った道具屋。

 生活に必要な日常雑貨を売り物のメインとする店ではなく、どちらかというと少女向けの小物や、魔法のかかったアイテム、ハーブなどを取り扱う店である。遠征に出るときなどは何が起こるかわからないのでマジックアイテムの用意をしておくことも多く、ロテールも何度かこの店には世話になっていた。

 数人の少女たちが、長いスカートをひるがえして店の中に駆け込んでいく。扉を開けて店の外に出て来ようとした魔術師らしき青年が空を見上げ、首をすくめてふたたび店の中に戻っていく。

「へぇ……今日はずいぶんと繁盛してるみたいじゃないか」

 もっとも、屋根を借りた人々のうち何人が実際に金を落としていくのかは、わかったものではないが。

 そんなことを考えながら軽い笑みを浮かべたロテールは、大粒になりつつある雨にせかされたように、ハーブの香りがする木の扉を引き開ける。その金の髪が店内に消えるのを待っていたかのように空に光が走り、雷鳴とともに雨足が激しくなった。

「……セーフ、と」

 にやりと笑い、賭けにでも勝ったかのような気分で扉を閉める。

 真夏の激しい通り雨は、勢いを増して石畳をうちつけはじめた。

 

 

 蒸し暑かった屋外が嘘のように、店内は涼しさを保っていた。

 ハーブを原料としたアイテムが多いせいか、独特の香りが漂っている。床に置かれた籐の篭や木のテーブルの上、壁に作られた棚などには、それこそ気休め程度のお守りから大がかりな魔法の使用を助ける守護石、かと思えば一見何に使うのかわからないようなあやしげなものまでが雑多に並んで客の目を楽しませていた。

 雨が止むまでの暇つぶしに入ったが、さすがに何も見ず、買わずに出ていくのも気が引ける。なにか面白そうなものはないかと、ロテールは物がごったがえし、うるさくない程度に雑然とした店内に視線をさまよわせた。

 ハーブのコーナーに目をやると、栗色の髪を軽く三つ編みにした少女が視線を感じたのか、ロテールの方を振り返る。視線の主が誰かに気づくと、にっこりと笑顔を見せて駆け寄ってきた。

「まあ、ロテール様、ごきげんよう。お買物ですか?」

 いくつかのハーブで作った小物を手にした彼女は、ロテールがよく顔を出す酒場の看板娘である。ロテールがおもしろ半分にくどき文句を口にしても、いつのまにかやんわりと話を違う方向へ持っていってしまえるという話術を持つ、ロテール自身はけっこう気に入っている少女でもあった。

「いや、店の目の前で雨に降られてね、雨宿りさ。ついでに、何か面白そうなものがないか、とは思ってるけど」

 肩をすくめてロテールがそう口にすると、少女は窓の方へと目をやって目をぱちくりとさせた。そのまま窓へと近づいて行って、ガラス越しに外を見る。

「あら、いつの間に……。けっこう激しいですね、これじゃ帰れないわ」

「すぐに止むさ。いつもの夕立だろう」

「そうみたいですね、よかった。もう、向こうのほうの空がもう明るくなってますもの……あ、そうそう、ロテール様」

 ハーブの小物を抱えた少女が、楽しそうに笑う。何が楽しいのかはよくわからないまま、ロテールもつられたように笑顔を見せた。

 この少女は、安らぐ雰囲気を作るのが上手い。決して派手な印象がないぶん、誰にでも打ち解けやすいのかもしれなかった。

「何かな?」

「さっき、面白い物っておっしゃいましたよね? タリスマンとかアミュレットのコーナーなんていかがですか。ここの御主人が、めったにない守護石のタリスマンが入ったって自慢してましたよ」

「守護石のタリスマンか……あんまり必要になる事態には、なりたくないんだがなあ。それより、トラブルが速攻で解決できるアイテムとかあったら楽なのにな」

「備えあれば憂いなし、って言うじゃありませんか。もう、そんなお気楽なこと言ってて、後で泣いても知りませんからね」

 わざとらしく天を仰いでみせるロテールに少女は柔らかい笑顔を見せると、ちょっとだけ真面目な表情になって、不真面目な聖騎士をたしなめた。

 

 

 結局、その後すぐに別れた少女にすすめられるままに、ロテールは守護石をはめ込んだタリスマンやアミュレットが並ぶ棚の前に足を運んだ。

 魔力を増幅して魔法を助けるタリスマンや、主に防御系の魔法を封じ込めた効果を持つアミュレットには、それこそピンからキリまである。気休め程度の効果しかないものもあれば、めったにお目にかかれないような高い効果を持つものも少なくはない。

 だがその価値を見極められるのは、ほとんどが魔術に精通した者ばかりだ。実際、この道具屋の主人もさほど魔術や法術に明るいわけではないので、鑑定は魔術師に任せているという。

 ロテールも聖騎士である以上並の魔術師に負けない程度の知識は持っているが、アイテムの鑑定には今一つ自信がない。あからさまに魔力を発散させているものなどであればさすがに感知できる。だが繊細に、まるで細い糸を紡ぐかのように張り巡らされた魔法の網は、よほど感覚が鋭く魔術に長けた者でなければ気配を察知すらできないことの方が多いのだ。

 だからこんな場合、結局は己の勘と値札から価値を判断するしかない。もっとも現状ではさほど切実に効果の高いアミュレットやタリスマンを求めているわけではないので、暇つぶしの運試し、と言えないこともない気軽さはあった。

 それでも意識は集中させて、棚に並んだ品を見て歩く。革ひもの先に結びつけられたパワーストーンや、魔力のこもった腕輪や指輪なども陳列されていた。そうやって見てみるとこの棚は、一見女性向けの装飾品売場のような華やかさも持ち合わせている。

「……確かに、アクセサリーがわりに身につけてないと意味がないモノではあるけどな……」

 そう思ってしまうと、なんとなく居心地が悪くなるのも仕方がないというものだ。女性に装飾品を贈るなど別に珍しくもなんともないことだが、そういう意図でここにいる訳ではないから、余計にそう感じるのかもしれない。

 自分らしからぬ思考に軽く肩をすくめて、場所を変えようと視線を上げる。そのまま向きを変えようとして、ロテールの視線が止まった。

 棚の奥でひっそりと輝く、淡い紫と深い黒。いつでも頭の中に残っているその色彩に目を奪われて、ロテールはしばらくそのまま立ち尽くしていた。

 


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