NIGHTMARE夢魔

by. 笠崎メイ

 

 

 赤炎聖騎士団長レオン=デュランダールは、自宅で愛用のグレードソードの手入れをしていた。

 時は2月のとある祭日のこと。外には雪が降っているが、火のおこされた暖炉の前はとても暖かい。

 隣りにあるキッチンからは、母が朝から仕込んでいたシチューの香りが漂ってくる。

(何だかすごく平和……だよなあ……)

 

 バタン!

 突然、ドアの開く音がした。

 さっと冷たい外気が滑り込んでくる。振り向いたレオンの目に入ってきたのは、玄関に立ちすくむ妹のハンナだった。

「ハンナっ、さっさと閉めろよっ。寒いじゃ……」

 様子がちょっとおかしい。ハンナの目と鼻と頬は真っ赤で、ドアを押さえたまま仁王立ちしている。いくら雪の舞う屋外にいたとはいえ、これはちょっと変だぞとレオンは思った。

「お兄ちゃんの……バカ!」

「何だって?」

 レオンにとって、ハンナは最愛の妹である。バカと言われるようなことをした覚えはない。

「カイン様が……胡桃がキライだなんて……一言も教えてくれなかったじゃない!」

 ハンナの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

「はあ?……」

 レオンには、ハンナが何を言っているのか、ちっともわからなかった。

(カインは胡桃が嫌いだと……? それと俺がバカと言われることと、一体どういう関係があるんだ?)

「お兄ちゃんなんか大っ嫌いっ!」

 大声でそう叫ぶと、暖炉の前を駆け抜けて、ハンナは自分の部屋へと飛び込んだ。

 

 今日は降臨祭。この日は女性が好きな男性に手作りのクッキーをプレゼントして、想いを告白できる……。それが何時誰が始めたのかもわからない、アルバレアでの言い伝えだった。

 前夜、ハンナは蒼流聖騎士団長カイン=ゴートランドにクッキーをプレゼントすべく、一人キッチンで奮闘していた。そこへ偶然、兄でありカインの同僚でもあるレオンがやってきた。

「ねえお兄ちゃん……。カイン様って、胡桃、お好きかしら?」

「胡桃? 好きなんじゃないか?」

 実のところ、レオンはカインが何が好きで何が嫌いかなど、ちっとも知らなかった。だが妹に聞かれて『わからない』と答えるのも癪なので、適当に答えておいたのだ。

「そうか……じゃ私、胡桃入りのクッキー、作っちゃおっと! そうすれば他の女の子と、ちょっとは差が付けられるわよね!」

「あ、ああ……」

 もう一つ付け加えれば、レオンは降臨祭の意味も、よくわかっていなかったのだ。

 

 

(ハンナの奴、あんなことをいうなんて、一体どうしたって言うんだ?)

『お兄ちゃんなんか大っ嫌いっ!』の一言に打ちのめされたレオンは、ハンナを追いかけてノックもせずに部屋へ入った。その途端、枕がものすごい勢いで飛んできて顔面にぶつかった。

「おいっ!」

 自分がどうやらとんでもない失敗をしてしまったらしいことはわかったが、ここまでされる理由が分からず、レオンはムッとして声を荒げた。

「ごめん……。どうせお兄ちゃんのことだもの、何が何だかわかっていないんでしょ?」

「ああ……。できれば、最初から説明してくれないか?」

 ハンナはまだ鼻をグスグスと言わせていたが、気丈にもとつとつと話し始めた。降臨祭の意味。昨夜はカインにプレゼントすべく、胡桃入りのクッキーを作っていたこと。今日はカインが騎卿宮にいなかったので、雪の中を王都中探し回った

こと。やっと道具屋でカインに会えたのでクッキーを渡したものの、中身を見るなり無言で突き返されたこと。呆然としていたら道具屋のおじさんに『カイン様は胡桃がお嫌いなんだよ』と教えてもらったこと……。

「悪かったな……。カインが、その……胡桃が嫌いだなんて……知らなかったんだ」

「いいのよ。お兄ちゃんに聞いた私が悪かったんだもの。やっぱりマーケティングは他人任せにせず、自分でちゃんとやらなくちゃ……ね」

 まあけてぃんぐ? ハンナはときどき訳のわからない言葉を使うな、とレオンは思った。

「でもハンナ……。おまえ、そこまでするってことは、カインのこと……本気で好きなのか?」

「……」

 ハンナは涙で朱に染まった頬をさらに赤くして、こくりとうなずく。

「そう……か……」

(これまでさんざん俺とカインを比べるようなことを言っていたのは、そのせいだったのか……)

 

 例えば朝、起床直後にハンナと出会う。すると必ずのように『もうお兄ちゃんたらボーッとした顔をしてっ! それに比べてカイン様は、いつお会いしても涼しげなお顔で……』

 と言われた。

『カインだって寝起きにはボーッとしているはずだぞ!』

 真面目に反論するレオンは、少女が時として恋愛の対象を過剰なまでに美化しがちだということに気付いていない。何しろレオンにはこれまで女性ときちんとした付き合いをした経験がなく、降臨祭の意味さえ知らなかったくらいなのだから。端から見れば明らかすぎるハンナのカインに対する想いなど、今言われるまで全く気付かなかったのだ。

 

(もしもだ……もしハンナの想いが通じて、2人が結婚でもすることになったら、カインは俺の弟になる……。それは……あんまり……嬉しくはないなあ……)

 ハンナがカインのことを好きだと聞いただけで結婚後のことを心配するところなど、いかにもレオンらしい。

 

 

 正直に言えば、レオンはカインと絶望的に合わないものを感じていた。

 カインのことを初めて意識したのは、レオンが赤炎聖騎士団長に就任したときだった。それまで、蒼流聖騎士団にカインという魔法を得意とする騎士がいることは知ってはいた。だが彼が蒼流聖騎士団の団長になるとは、しかも自分の聖騎士団長就任と同じ時期になるとは、正直いって考えてもみなかった。

 聖騎士団として同じくらい旧い歴史を持つ赤炎聖騎士団と蒼流聖騎士団は、ある意味でライヴァル同士だった。火と水……全く相反するものを象徴としているのだから、これはある意味で仕方のないことだった。さらに、ライヴァル同士としてお互いに切磋琢磨し合うことが、2つの聖騎士団それぞれの能力を高め、結果としてアルバレアに貢献することにもなっていた。

 レオン自身は赤炎聖騎士団長として、蒼流聖騎士団のことをいいライヴァルだと思っていた。だが、蒼流聖騎士団長であるカインにだけは、単なるライヴァル意識とは違うものを持っていた。

(あいつは普段無口なくせに、何かあると俺に逆らう……)

 先日の御前会議のときもそうだった。隣国に不穏な動きがあるとの報告がなされた。レオンは攻撃こそ最大の防御と主張して、隣国へ撃って出ることを提案した。

(それに対してあいつは『それが隣国の思うつぼだと言うことすらからんのか?』と鼻で笑ったんだ)

 確かにその可能性はあった。だからといって国王の前で人を小馬鹿にしたような物言いをすることはないはずだ。思わずムッとしてカインに喰ってかかってしまった。

(それでもあいつは薄ら笑いを浮かべているだけだった……)

 結局は深緑聖騎士団長であり、レオンの王立学院時代からの友人であるマハト=アル・シェイバニにたしなめられ、隣国の件は間謀を放ち、もう少し様子をみることで御前会議はお開きとなったのだ。

(剣より魔法の方が得意というのも気に入らないよな)

 レオンからすれば、聖騎士にとって最も大切なのは剣の技術だ。魔法は使えるにこしたことはないが、あくまでも剣を補助すべきものだった。

 カインも聖騎士団長となるだけあって、剣の技術は一流だった。だが『剣を使わせればアルバレアどころか、近隣諸国でも右に出るものがいない』と言われるレオンから見れば、まだ発展途上というレベルに見えた。なのにカインは剣の腕を磨くどころか、時間があれば魔導の実験に余念がない。

『おいカイン……たまには剣の稽古をしないか? 何なら俺が相手してやるぞ?』

『剣は……あまり好きではない……』

 事実、カインは剣より弓を得意としていた。それもレオンの気に入らない。

(弓なんて……専門部隊に任せておけばいいもので、聖騎士団長が得意とすべきものではない!)

 レオンはそう考えていた。

 

「お兄ちゃん……」

 涙も完全に止まったらしいハンナが言った。

「何だ?」

「もし私に対して悪いことをしたと思うなら、明日、カイン様に謝っておいてくれない?」

「あ……ああ、わかった……」

「きっとよ! 約束よ!」

 ハンナの細い小指がレオンのそれにからまる。

(カインに謝るのはシャクだが、これもハンナのためだ。仕方がない……)

「ハンナ、わかったよ……」

「じゃあお願いね! あっもうこんな時間? 夕飯の準備をしなくちゃ! 今日はお兄ちゃんの大好きなシチューよ!」

 


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