気まぐれの神様。 願わくば、我らに平穏な日々を。 |
<Side A>
やや乱暴に炊飯器の蓋を閉めると、思ったよりも大きな音がキッチン中に響いた。 「…………」 炊飯器にはなんの罪もない。それはわかっていても、なんとなく何かに八つ当たりしたい気分だったのだ。 だが心のままに八つ当たりをした結果、自分が立てた物音にびっくりしているのだからどうしようもない。天井を見上げてため息をひとつつくと、龍麻は流しの方へと視線を向けた。 まな板の上には、半分に切った白菜と長葱が一本。豆腐はまだ冷蔵庫の中だし、うどんや鱈もまだ出さなくていいだろう。しめじは小さな房に分けたものがざるの中に入っている。椎茸はいしづきを取って、やはりしめじと同じざるの中。シンクの上に置かれたすり鉢の中には、鰯のすり身が入っている。すりこぎなんて使ったの初めてだよと心の中で自分自身に呆れて、龍麻はもう一度ため息をついた。 なんで、こんなことをしているのか。 確かに半一人暮らし状態ではあるが、龍麻がまともに自炊をしたことははっきり言ってほとんどない。別に料理ができないわけではなくて(ややそれに近いものはあるが)、単にキッチンに立つのが面倒なだけだ。 それじゃなくても一人暮らし状態である以上、片づけというものは自分でやらなければ当然、誰もやってはくれない。ほこりが少々溜まっても人間死にゃしないと思っている龍麻ではあったが、さすがに生ゴミや食べ残しをいつまでも放っておけるほど、一般感覚が破壊されているわけではなかった。必然的に片づけだけはやることになる以上、準備にまで手をかけたくないわけだ。 結果として龍麻の日頃の食生活はコンビニ弁当やカップ麺、ほか弁、ラーメン屋をはじめとする外食などがメインになってくる。1〜2ヶ月に1回は父親の赴任先から母親が帰ってきて世話をしてくれるのでまともな食事にありつけるし、息子の性格をよくわかっている彼女が数日分の食料を用意していってくれるのだが、まあそれはあくまでもイレギュラーなことで。 幸か不幸か龍麻は自分の味覚にさえあえば毎日同じ物を食べ続けても飽きない舌の持ち主なので、母親が帰る前に大量のカレーを作り置きしていけば一週間それで食いつなぐこともできる。ただ大体はそこまで放っておくと痛みかねないので、3〜4日後には「めんどくさい……」と呟きながら冷凍するハメになるのが常だった。だがいざ解凍して食べるときに面倒じゃないように、と一食分ずつタッパーに分けていくあたり、大ざっぱなのか細かいのか今ひとつ理解しがたいところがある。 そんな複雑なことをやらかしても自炊はしようとしないはずの龍麻が、なぜ今、仏頂面でキッチンに立っているのか? 思い返すとまた腹が立つだけなのだが、ある意味自業自得なので控えめに物に当たることしかできない自分を客観的に見つめて、龍麻は三度ため息をついた。 |
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<Side B>
金属と金属がぶつかりあう派手な音が響いて、京一は思わず飛び上がった。 「…………」 ……なんとなく、音源がわかるような気がする。そう思いつつこっそりキッチンのほうを窺うと、案の定龍麻が炊飯器の前に突っ立って、なんの罪もない炊飯器にガンを飛ばしていた。 その光景を見た京一は、小さく首をすくめてから龍麻に気づかれないうちに元の場所に戻る。炊飯器が気の毒だと思わないでもないが、今の京一にとってそんなささいなことはどうでもよかった。何しろ、めったに巡り会えない幸運と幸福が一度にやってきたのだ。思う存分味わっておかないと、次はいつ来てくれるかわからない。 基本的に、龍麻の京一へのあたりはきつい。 その他大勢にはどちらかというと人当たりがよく、穏和な態度で接するくせに、京一相手だとまったく遠慮がない。もっとも最初にそれを望んだのは京一だし、その人を人とも思わない態度が、本当に気を許した相手にしか見せない龍麻なりの他人への甘え方なのだと気づいてからは、ほんの少しの優越感と共にあまり気にしないようにしている。 とはいえいくら『特別扱い』であるとはいっても、あまりにそればかりが続くと京一の自信も薄らいでくるというもので。 確かに甘えられているのだろうが、京一をオモチャにしてその反応を楽しむということ自体が龍麻の娯楽になっているのも、おそらく事実だろう。いくら京一が惚れた欲目で目一杯フィルタをかけて見ても、それだけは否定できない。しかも日頃の行いのせいか誰も京一の味方はしてくれないので、ときどき真剣に龍麻の好意の感情ベクトル方向を疑いたくなる。 ……嫌われてはいない。それは、わかっているが、いまだに好意の種類がわからない。 いわゆる「恋人同士」がやるようなこともやっているし、たぶんそうなんじゃないかとも思う。が、どうも年齢相応の高校男子に比べて恋愛感情というものに淡泊な反応しか見せない龍麻を見ていると、はっきりと言い切ることができない。それに比べると京一で遊んでいるときの龍麻は本当に楽しそうなので、たまに拗ねてみたくなるわけだ。 「ひーちゃん、俺のことなんてホントはどーでもいいんだなッ!? 愛はどこだよッ、愛は!」 愛なんてないと言われたらどうしようと思いつつも叫んでみたら、龍麻は呆れた顔で見返してきた。 そのまま鼻で笑われて終わりかと思いきや、なにか珍しく考え込んでいる。いちばん寒い予想は当たらなかったものの、そんな状態も京一にとってあまり居心地がいいとは言えず、ついすがるような視線を投げたら今度こそ龍麻に笑われた。 だが聞こえてきた台詞は、その態度とは正反対の思いがけない内容で。 「……って、そんな泣きそうな顔しなくても……しょーがないなあ。じゃあ、ひとつだけなんでも言うこと聞いてやるよ。それでいいだろ? ほら、言ってみな」 「ホントにホントか? なーんでもいいんだなッ、嘘じゃないよなッッ?」 「ただし、できることな。できないこと言ったら蹴りとばすぞ」 「なら……なら、ひーちゃんの手料理が食いたい」 「・・・・・・・・・・・・・はぁ?」 あまりに動揺していた京一の口をついて出た希望はどこか一本ずれていて、そんなことを言われるなんてみじんも思っていなかったらしい龍麻は、京一にかなり間抜けな表情をさらすことになる。 |