春の病




 

「ああ、それは『サクラ』というんですよ。元々は、極東にある島国に自生していた花樹です。春に美しく花を咲かせるので、結構な本数がこちらの大陸にも入ってきているようですね。ただ、気温や湿度が合わないのか、あまり根付いているとは言えないようですが」

 博識館で偶然出会ったマハトに聞いてみたらあっさりとそんな答えが返ってきて、ロテールは少々拍子抜けしてしまった。

 自分で調べようとして、名前どころか手がかりも見つけられなかったのが冗談のようだ。やはり慣れないことはするものではないと、思わず心の中でひとりごちる。

「その『サクラ』、アルバレアでも見られるのか?」

「さあ……どうでしょうね? 私も名前は聞いたことありますし、まだかなり幼い頃に一回だけ実物も目にしたことはあるのですが、こちらに来てからはちょっと……」

 本を抱えたまま、マハトが首を傾げる。何かを思い出そうとしているらしいがやはり記憶の網にはひっかからなかったようで、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「すみません、お役に立てないようです」

「いや、いいんだ。悪かったな、名前がわかっただけでも大した発見だよ」

 長身を縮こまらせて恐縮するマハトの肩を軽く叩き、軽く手をひらひらとさせて資料室を出ながら、ロテールはマハトに気づかれない程度に小さく舌打ちする。

 さすがに、そこまでは自分に都合良くいかないらしい。植物関係の知識量においてはおそらく誰にも負けないマハトにも分からないとなると、はっきり言って絶望的だ。

 それでもあきらめ切れない以上、自力でなんとかするしかない。そう自分に言い聞かせて、ロテールは博識館を後にした。

 

「でも……桜なんか探して、どうするんでしょうね?」

 ロテールが出ていったあとの博識館で。

 首を傾げてそう呟いてから、マハトは今が春であることを思い出した。

 

 

 

 名前さえわかってしまえば世の中どこにでも物好きという人種はいるもので、桜の群生地はそう時間をかけずに割り出すことができた。

 場所としては少々問題がありそうなところではあったのだが、とりあえず目をつぶることにする。そこがやや政治的にきな臭い地であっても、桜が咲いているということのほうが今のロテールには重要だったのだ。

 だから。

「シラハ? そこは……君が行くのはやめたほうがいいんじゃないかな」

 日頃はなんだかんだと言いつつ、結局はロテールのやりたいことをさせてくれるレンがめずらしく眉をひそめてそう口にしたときも、ロテールは決して自分の意見を譲ろうとはしなかった。

「別に燐光の聖騎士として行くわけじゃない、俺個人として遊びに行くだけだろう? 大げさに兵を引き連れて行くわけじゃあるまいし、別になにも起こらないさ」

「君は単なる遊びと思ってても、まわりまでそう解釈してくれるとは限らないよ。それなのにわざわざ休みまでもらって、危険に足を突っ込みに行くこともないじゃないか。せめて、もう少し落ちつくまで待てば……」

「今じゃないと意味がないんだよ!」

 いつもであれば呆れながらも同意してくれるはずのレンがなかなか首を縦に振らないのにじれたのか、ロテールが声を荒げる。もっともレンがそれに動じる素振りも見せないので、よけいに癇癪を起こしたくなっただけだった。

 それでもここで引き下がるわけにはいかないと、ぐっと堪えてもう一度口を開く。ここで拗ねるのは簡単だが、このレンの調子では拗ねたところで無視されるのがオチだろう。

「今、この時期、そこじゃないとなんの意味もないんだ。たまには俺のわがままを聞いてくれたっていいだろう?」

「……いっつもわがまま、通してないかい?」

「・・・・・それは、この際、忘れてくれ」

 さすがのロテールにもむちゃくちゃなことを言っている自覚はあるが、今さら後にも引けない。

 レンはしばらく呆れかえった表情でロテールを見つめていたが、やがて根負けしたのか諦めたのか開き直ったのか、わざとらしいため息をつくと両手を肩の位置まで上げて『降参』の意を示した。

「…………ああもう、わかった、わかったよ。お供しますよ、わがままな伯爵様。俺が君の身の安全を守ればいい話だしね」

「何言ってるんだ、これでも俺は燐光の聖騎士だぞ? 心配しなくても、俺があんたのことを守ってやるよ」

 今一つ乗り気じゃなさそうなレンの様子が少し気になってはいるものの、結局要望が通ったことに舞い上がっているロテールは、じつに嬉しそうにレンの背中から抱きつく。

 だから、ロテールは。

 滅多に見せない真剣さで考え込むレンの表情には、最後まで気づかなかった。

 

 

 シラハは、アルバレアとギアール王国の国境近くに位置する交易都市のひとつである。

 さほど大きくも重要でもない場所ではあるが、大陸公路からさほど離れていない場所にあるということから、そこそこ繁盛している街だ。

 普段であれば燐光の聖騎士でありヴォルト伯爵であるロテールがお忍びで遊びに行ってもなんの問題も起こるはずのない都市ではあるのだが、今は事情が違った。この街は、七大部族の一つであるシバーツ族の影響を少なからず受けているのだ。

 シバーツ族そのものは、アルバレア王国に忠誠を誓う部族である。だがついこの間、シバーツ族の王子がギアールと手を組んで叛乱を起こした。その余波は、当然シラハ近辺にも及んでいる。

 そんなところに、仮にもアルバレア5聖騎士団のひとつである、燐光聖騎士団を束ねる立場の人間が行けばどうなるか? たとえその目的が公の立場とはまったく関係のない私事であったとしても、火に油を注ぐ結果にならないとは言い切れない。今この時期に訪れるには、色々な意味であまりに危険な場所なのだ。

「それに、ロテールって、目立つんだよね……」

 貴族という支配する立場に生まれたロテールには、地位を持つ者にしか持ち得ないカリスマがある。それはいい意味でも悪い意味でも、人を惹きつけるものだ。人混みにまぎれていても存在を主張してしまうその能力は、望んで得られるものでもなければ不要だからと切り捨てることもできない。

「確かに、シラハには一度行っておかなければならないと思っていたが……」

 それはあくまでも現状をしっかり見極めるためであって、別に遊びに行きたいわけではない。

 ロテールがシラハで何をしたいのか、というかレンに何を見せたいのかはわからない。今でなければならない意味もわからない。

 それでも行くと言ってしまった以上、何事もなく帰ってこられるようにしなければならない。アルバレアを取り巻く現状がどうなっているかを知っているはずのロテールが、どうしてもと聞き分けのない子供のように言い張るのだ。おそらく、彼にとっては重要なことなのだろう。

 ロテールも自分の立場は忘れていないだろうし、いつもより周囲に目を光らせていればきっとなんとかなる。そうは思っても。

 レンの心にしこりのように残る不安感だけは、なぜか消えてくれなかった。

 

 

 

 シラハの外れにある小高い丘を彩るのは、一面の淡いピンク色だった。

 しばらく見ることのなかった光景に、レンは何度か目を瞬かせる。長い間思い出すことさえなかった古の情景が、脳裏に浮かんでは消えていく。

 まだ、何も知らなかった頃の優しい思い出だ。家族がいちばん気に入っていた別宅の庭も、春先はこんな光景を見せてくれた。いつしか枯れてなくなってしまって、見ることもなくなっていた、ピンク色の小さな花をこぼれ落ちそうなほど枝に咲かせる花樹。

「……桜か。懐かしいね……」

 目を細めて花を見上げると、風に吹かれてひらひらと花びらが舞い落ちてきた。

 手のひらを差し出すと、そこにゆっくりと降り積もる。満開の桜はそろそろ花の盛りも終わろうとしているのか、まるで雪のように花びらを風に乗せて降らせていた。

「あ、知ってたのか? なんだ、だったらあんたに聞けばよかったな」

 レンの心の動きに気づいたのか気づかないのか、ロテールがややつまらなそうにそう口にする。思ったよりも驚いてくれなかったのが、少々不満なのだろう。

 自分の前では本当にこれでいいのかと思うほど素直に感情を表に出すロテールを横目で見て、レンはくすくすと笑みをこぼす。確かにこの光景を見せようと思ったら、今でないと意味がないだろう。桜の花の盛りは短い。この国境間で起こっている緊張状態が解除される頃にはとっくに花は散り終わり、緑の葉が出ているはずだ。

「名前だけはね、知ってるよ。見たこともあるかな、ずいぶん昔のことだけどね。でも、実際に咲いてる花を見るのは久しぶりだよ。シラハに、こんなにたくさん群生していたとはね……」

 そう呟いてふたたび桜を見上げたレンの様子に、ようやくロテールはレンがなんとも思っていないわけではなく、彼自身にしかわからない感慨に耽っているのだということに気づいた。

 そう思うと、誇らしさと同時にまた違う寂しさが襲ってくる。レンと、その思い出を共有できない寂しさ。

 もしかしたら、この咲き乱れる淡いピンクの花の下で、レンと思い出を作りたかっただけなのかもしれない。誰にも邪魔されない、他の誰と作ったものよりも大切な思い出を。

 子供じみた独占欲と思われても、なまじレンのことなど何も知らないに等しいせいか、そう思わずにはいられない。

「あんたにそっくりな奴が描かれてた絵って、この木が背景だっただろう? どうしても、実物を見てみたかったんだ」

 ───別人だと言われても、黒髪の青年の横で笑っていた少女の面影が棘のように刺さって抜け落ちない。絵の中にしかいない少女に嫉妬するなんてとロテール自身も呆れるが、今さらどうしようもなかった。

 そんなロテールの心中を知ってか知らずか、レンが懐かしそうな笑みを浮かべたままロテールの方を振り返る。桜の花がもたらした古い思い出は、すでに辛さも苦しさも時に洗い流されて、レンに優しさのみを残したのかもしれない。

「アルバレアをはじめとする大陸にはほとんど残っていないらしいけど、まだ極東の島国にはたくさんこんな場所があるらしいね。山ひとつ、一面花に埋もれるところもあるらしいよ。そのうち、行ってみたいね……君と一緒に」

 囁くようなレンの呟きに、ロテールの鼓動が跳ね上がった。

 ゆっくりと差し出された手を、当然のように掴む。そのまま口元に持っていって手の甲に口づけると、レンがくすりと笑った。

「あんたと一緒になら、どこにでも」

「……君が女性に人気があるのが、わかるような気がするよ…………!?」

 呆れ半分でそう呟いたレンの気配が、いきなり固くなった。

 理由がわからないまま、ロテールはいぶかしげに思いつつもレンの手を離す。原因もなにも、ロテールにはまったく予測さえつかなかった。

「? どうした?」

 レンはそれに答えることはせず、固い表情のまま動かない。何が起こっているのかわからずレンの横にまわろうとしたロテールさえ手で押し止めて、鋭く囁いた。

「動くな。殺気を感じる」

「……殺気?」

「たぶん、狙いは君だろう。まずいな……ここは、身を隠せる場所が多すぎる。飛び道具で狙われたら面倒だな……ロテール、伏せろ!」

 言葉より早く、腕を強く引かれた。

 突然のことでバランスを保つことができず、つんのめるようにしてレンの方へ倒れ込む。倒れそうになるロテールを支えて、レンが片膝をついた。

 それと同時に、レンの背後にあった桜の幹に乾いた音を立てて小振りのナイフが突き刺さる。握りの部分だけ残して、銀色の刃はすべて幹へとめり込んでいた。

 もしこれが人間の身体に刺さっていたら、軽く心臓に達するだろう。そしてレンがいなければ、今頃これはロテールの背中に突き刺さっていたはずだ。ロテールには、殺気さえ感じとることができなかったのだから。

「……ギアールの手の者か?」

「さあね、シバーツかもね。無駄口叩いてる場合じゃないよ、ロテール」

 無理な体勢でロテールの全体重を受けとめたときにどこかの筋を違えでもしたのか、立ち上がろうとしたレンが微妙に眉をしかめる。それに気づいた手を貸そうとした瞬間、ロテールも背後に人の気配を感じた。

 隙を見せないようにして、レンを背後にかばうように振り返る。そこに立っていたのは、冷気のような気配を持つ黒ずくめの女だった。

「……お前がいなければ、一撃でしとめられたものを。邪魔をするの、近衛騎士の分際で」

「よくご存知で。でも、近衛騎士だからこそ上司を守るんだよ、知らなかったのかい? それよりも、わざわざ姿を現してくれるとは君も人がいいね。身を隠したままだったら、こっちも避けることしかできなかったのにね」

 まだ膝をついたまま、レンがわざわざ相手を挑発するようなことを口にする。しかもご丁寧に、自分の前に立ちはだかっていたロテールの腕を引っ張って自分の前からひき剥がして、だ。

「命に代えても、彼をこんなところで殺させるわけにはいかないんだよ。というわけで、徹底的に邪魔させてもらうよ。それが嫌なら、俺から先に始末するんだね」

 そう、自分を囮にして、ロテールをこの場から逃がすために。

「……請け負った仕事は、燐光の聖騎士の抹殺だけなのだけど……お前を先に片づけないことには、どうやら目的は果たせそうにないわね。だけど、その満足に動かない足でどうする気?」

「そんなもの、なんとでもなるよ」

「負け惜しみかしら? それに……私がお前の相手をしている間に、燐光の聖騎士を逃がせるとでも思っているの?」

「それも、やってみないとわからないだろう?」

 狙われているはずの当事者を無視して、話が勝手に進んでいく。

 ロテールの剣の腕では、認めるのは悔しいがこの刺客にはかなわないだろう。よくアルバレアに入り込んでくる、使い捨て可能な刺客とは格が違う。

 だがかなわないのは認めるが、だからといってここでレンの思惑どおりに逃げるわけにもいかない。自分が生き延びる代償としてレンが死ぬ、そんなことはまっぴらだった。

「いいわ。お望みどおり、お前から殺してあげる、忠義溢れる騎士様。残念ね、敵じゃなかったら結構好みのタイプだったのに」

「君に好みだって言われても嬉しくないよ」

「……可愛くないわね。それじゃ、さよなら」

 あっさりとそう言い放ったというのに、女はそのまま微動だにしない。不審に思ったロテールが動こうとした時、頭上でがさりと音がした。

 突然の音に弾かれるように空を振り仰いだロテールの視界にひっかかったのは、鋭い光を放つ長剣の刃。

「……ロテール!?」

 次の瞬間ロテールに出来たのは、まだ膝をついたままのレンにおおい被さることだけで。

 肩に焼けつくような痛みが走るのと、レンのせっぱ詰まった声をが聞こえてきたのと、意識が遠くなるのはほぼ同時だった。

 

 

「あら……意外な展開ね。お前を殺すまでもなかったようだわ」

 レンの腕の中に崩れ落ちるロテールを冷めた目で一瞥すると、女はつまらなそうにそう言い放った。

 レンを斬ろうとしていたのに思いがけず目的を達してしまった男は、血に塗れた長剣を下げたまま仕事仲間である女へと視線を投げた。そして彼女に向かって軽く頷くと、自分の足下近くでロテールの肩口へと手を当てているレンへと視線を戻す。

「仕事は終わったな。だが、俺はこいつの方が気になる。なぜ、動こうとしなかった? お前は、俺のことにも気がついていたはずだ」

「……あの程度、避けようと思えば片足がなくても避けられる。それに、攻撃行動中はいちばん隙が大きい。カウンターという言葉を知っているか? ……まあ、今回それを狙ったのは失敗だったな。この子に、いらない怪我をさせてしまった」

 顔を上げないままレンが口にした台詞は、ふたりの予想とはかけ離れたものだった。

 口調も声色も、先刻までのどこかとぼけたものとは違う。冷たく凍るようなその声に、仕事を達成したはずのふたりはぎくりと身体を震わせた。

 状況は、自分たちに有利なはずだ。こちらはふたりとも健在だし、相手は死にかけの怪我人を抱えている。それなのに、危険を知らせるシグナルが止まらない。

 こういった仕事を生業とする以上、危機察知能力は秀でている。特に、相手の力量を見極められないようでは無駄に命を落とすだけだ。そして彼女たちを今まで生き延びさせてきた本能が、危険だと告げている。

 この人物には勝てない、と。

「そ……その怪我は、長くはもたないわ。傷も深いけど、それよりも毒が燐光の聖騎士の命を奪うわよ」

「傷口はすぐに塞げるし、毒も解毒すれば意味はないな」

「解毒している時間があれば、の話だろう」

「もう終わっている。君たちは、魔法というものを知らないのか?」

 ゆっくりと足下に意識のないロテールの身体を横たえたレンは、何事もなかったかのように立ち上がるとようやく顔を上げた。

 表情の抜け落ちた怜悧な顔があらわになる。ロテールに怪我を負わせた男は弾かれるようにレンのすぐ側から離れると、片割れである女の傍らに場を移して構えを取った。

 勝てない。その思いが強くなる。逃げられるか? それさえも、自信がない。

 ふたりの怯えを感じとったかのように、漆黒の聖騎士レン=ムワヴィアはゆっくりと口を開いた。

「アルバレアに仇なすものは、我が敵。そして彼を傷つける者も、また我が敵。……漆黒の聖騎士として、おまえたちを生かしておくわけにはいかない」

 ひときわ大きな風が吹いて、ふたりの視界を花びらが覆った。

 

 

「桜が、なぜこんなに綺麗な色をしているか知っているか?」

 声もなく崩れ落ちた黒ずくめのふたりに向かって、レンは感情の見えない声で語りかける。

「桜の木の下には死体が埋められていて、桜はその血を吸って美しく色づくという。人の命を吸い上げて咲く花だ、美しいのも当然だな……ああ、もう、聞こえていないか」

 感情の抜け落ちた人形に似た、無表情。

 それに怯えたかのように傷口から流れ出した真紅が、芽を出したばかりの若草と地面を染めた。

 

 

 

 ロテールが意識を取り戻したとき、そこはまだ先ほどの桜の下だった。

 かすむ視界を、目をこらして探る。そうして探していた人物を見つけると、ほっと息を吐いてふたたび首の力を抜いた。

 あの後どうなったのかはわからないが、ふたりとも生きている以上、きっとなんとかなったのだろう。それに、レンが怪我をした様子もない。

 それならば、別に結果がどうなっていようとかまわなかった。自分が怪我をしたような気もするが、痛みは感じない。それならば大したことはなかったのだろうと、ロテールは勝手に解釈する。

 その感情の動きを、敏感にも読みとったらしい。枕がわりに自分自身の膝を提供していたレンが、呆れた表情でロテールを見下ろした。

「お目覚めかい? 少しは自分の身の安全ってものを尊重してほしいね」

「尊重してって……そんなの、いちいち頭で考えて動くわけないだろう」

 特に、レンに関しては。

 深く考えずにロテールがついもらしてしまった本音は、レンに頭痛を呼び起こしたようだった。

「あのね……君は指揮官だろう? 部下をかばって指揮官が命を落としたら、どうするんだい? その部下の命は助けられるかもしれないけど、結果としてより多くの部下の命が消える可能性のほうが大きいんだよ」

「わ、わかってる、そんなこと。……でも、身体が勝手に動くんだ、仕方ないじゃないか。それに……」

「それに?」

 呆れ半分、怒り半分。

 めずらしくレンが怒っているらしいことが感じられて、ロテールはつい続きを言おうとしたものの口をつぐんでしまった。

 無謀な行動だったことは、誰よりも自覚している。レンの騎士としての力量を信用していないわけではない。ただ、考える前に身体が動いてしまったのだ。

 レンは守らなければいけないだけの相手ではない。相変わらず彼の正体はわからないし真剣に手合わせをしたこともないが、もしかしたら剣も魔法も負けるかもしれない、そんな予感がする。ある程度以上の剣や魔法の腕を持つものは、相手の力量を見誤ることはない。たとえ本人が普段はそれを押し隠していても、ふとしたはずみにそれを感じとることはできなくもないのだ。

 庇護しないといけない存在ではない。それがわかっていても、どうしても余計な手を出してしまう。その理由を、ロテールは無理矢理にこじつけた。

「あんたは、俺の部下なんかじゃない」

「……そうだけど」

「どうひいき目に見ても、さっきのは俺の巻き添えだ。そんなばかばかしいことであんたに怪我でも負わせたら、俺は一生あんたに顔向けできない」

 ロテール自身、我ながら苦しい言い訳だとは思ったものの、決して嘘だというわけではないから一気に言い切った。

 案の定レンは渋い顔をしていたが、納得はしないまでも騙されてくれる気になったらしい。小さくため息をつくと、ロテールの前髪を優しくかき上げた。

「……そういうのは、女の子相手のときだけにしておいたほうがいいよ」

「あんたのほうが大切なんだから、仕方ないだろ。ほっといてくれ」

「ほっとけたら、今ここで君に説教なんてしてないよ。それに……まあ、いいか。君に助けられたのは事実だしね、一応礼は言っておくよ。ありがとう」

「……俺の被害妄想かもしれないけど、えらくひっかかる言い方だな……」

 聞こえないように呟いたつもりが、しっかり聞かれていたらしい。レンはちらりと横目でロテールを見下ろすと、あさっての方向を向いたままわざと突き放すような声を出した。

「当然だよ。要するに、君は俺の力量をまったく信用していないってことがわかったからね」

「だ、だから、信用してないんじゃなくって、あれは条件反射みたいなものだって!」

 つい跳ね起きようとしたら、優しく頭を押さえられてそのままレンの膝の上へと逆戻りすることになった。

 おそるおそる頭を押さえた腕の持ち主の表情を伺うと、悪戯っぽい笑みを浮かべている。「え?」と思った次の瞬間、待っていたような聞きたくなかったような台詞が飛んできた。

「……冗談だよ」

 じつに楽しそうに笑うレンの姿に、ロテールは思わず脱力してしまった。

 怒りがこみ上げてくる前に、自分のバカさ加減にうんざりする。レンの手口だとわかっていても、つい真剣に慌ててしまう自分が恨めしい。

 恋愛はより多く相手に執着したほうが負けだというが、それならロテールは絶対にレンに勝てないだろう。確かめたわけではないが、そんな確信がある。

「あんたが言うと冗談に聞こえないんだよ……!」

「ひどいなあ。とにかく、そのすぐに自分の命を粗末にする悪い病気は治すんだね」

「ふん、病気がそうそう簡単に治るもんか。それに、そんなのよりももっと症状がタチ悪い病気にかかってるからな。こっちのほうが、一生治りそうにない」

 思いきり含みを持たせて、ロテールはレンの膝を枕にしたまま膝の持ち主を見上げた。何が言いたいのかを察したらしいレンは、「俺は病原菌かい?」と小さく呟く。

 そして、意味ありげに微笑んだ。

「それは……単なるはやり病かもしれないよ?」

「いや、これは絶対、不治の病だ」

 白い手が、優しくロテールの髪を撫でる。

 妙な自信を持って言い切る、形だけは立派な大人である子供に向かって、レンは少しだけ曖昧な笑みを見せた。

 

 

 桜の花びらが、樹の下で微睡むふたりの視界をふさぐ。

 

−終−


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