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今日もまた、彼は花と戯れるように微睡んでいた。
冬の間も花が枯れることがない不思議な場所だったが、春を迎えてますます華やかな色彩があふれていた。淡い色のものから、はっきりとした色の花弁を披露する花。若葉も芽吹き、葉の緑にも様々な色が見える。 ロテールが彼−−レンと出会ってからすでに2カ月がたっているが、変わったのはまわりの景色のみだ。 毎週のようにここへ足を運んできているが、他に何が変わったわけでもない。ただレンに会って、たわいもないことを話して、適当にくつろいで帰る。たしかに昼寝にはもってこいの場所だったが、レンはともかくロテールは昼寝をしにここへ来ているわけではないのだろう……きっと。 もっとも、本人にも理由なぞわかっていない。ただ、ここが心地よい場所であることは、確かだった。
「めずらしいな……起きてこないとは」 自分の腕を枕にして眠っているレンの寝顔を上から見おろして、ロテールは意外そうに呟いた。 レンは放っておけばいつまでも寝ているような人物だったが、ロテールが現れるとまるでそれがわかっていたかのように目を覚ますのが常だった。人の気配に敏感なのか、それとも眠っているふりをしているだけなのかは判別しかねたが。 だが今日はすやすやと、まわりで盛大に足音をたてても目を覚ましそうにないくらい熟睡している。その横を向いた寝顔があまりにも無邪気で無防備だったので、わざわざ起こすのもかわいそうな気がしてきた。 なるべく音をたてないように、傍らに腰を降ろす。そのまま手を伸ばして、その形のよい指で寝顔にかかる長い前髪をそっと避けた。 「なんで、わざわざ前髪で顔を隠してるんだろうな? こんなに整ってるのに」 何度か聞いたことはあるものの、はぐらかされてまともな答えを貰えたことのない疑問を、無意識のうちに口にする。 もっともレンに何を聞いても、ほとんど答えを教えてくれたためしはない。微妙な微笑みとともに、うやむやにされるだけだ。 そのまま、いつもは髪に隠されている顔の半分を顕にしてみる。別に傷があるわけでもない、綺麗な顔だ。 指からこぼれた髪が一筋、さらりと音をたててふたたび顔にかかる。 まつげが震えたが、やはり目を覚ます気配はない。重力に従って元の場所に戻ろうとする漆黒の前髪を梳き上げながら、ロテールは小声で心の内を口にする。 「もったいないよな、隠すなんて。それとも、レンの恋人の趣味だったりするのかな?」 一瞬ちくりと胸を刺す痛みを感じたが、それが何かを深く考えようとはしなかった。
まぶしさを感じて、レンは重い瞼を引き上げた。 陽光で目を覚ますことなど、滅多にない。よほど日差しが強いのかと思ったが、すぐにそうではないことに気づいた。 いつもであれば視界には自らの髪しか映らないはずの左目が、光を浴びている。 それだけなら、いい。だが瞳には、驚愕に目を見張った客人の姿が映っていた。
ああ、と妙に納得する。 見られたんだな、と静かに思考がめぐる。 思ったよりも冷静な自分が不思議だった。あれだけ注意を払い、気づかれないようにしていたことがあっさりと露見したわりには、さほど動揺もしていなかった。 本当は気づいて欲しかったのだろうか? なぜかさっぱりした気分になりつつある自分の心に、そっと苦い笑いをもらす。 どうやら自分で自覚していた以上に、ロテールのことを気に入っているらしい。 もしかしたらもう彼はここへは来てくれないかもしれないという時になって気づくとは、また間の抜けた話だ。これくらいで自分を見る目が変わるとは思っていないはずだったが、いざ現実として直面するとそう思い切れなくなってしまうところも間が抜けている。 それでもロテールの驚愕には気がつかない振りをして、彼の指に前髪を委ねたまま微笑を返す。
「やあ、おはよう。もう来てたのかい? 早いね」 「あ……と、レン。その目……瞳の色は?」
当然、覚悟していた問いだった。
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すべてを吸い込む闇色の瞳と、赤と青が微妙に入り交じって生み出される淡く明るい紫の瞳。 いつも髪に隠されていたレンの左の瞳の色は、右の瞳とは異なっていた。
「やあ、おはよう。もう来てたのかい? 早いね」 「あ……と、レン。その目……瞳の色は?」
聞いてはいけないことなのかもしれないと思いつつも、聞かずにはいられない。 なまじレンが、何事もなかったかのように……想像もしていなかった事実に驚いてしまったロテールの顔を見なかったかのようにのんきに挨拶するから、つい聞いてしまった。 アルバレア−−いやこの世界には、色違いの瞳、すなわちオッドアイを持つ人種はいない。義眼という技術もないこの世界では、両の瞳の色が違うということは、ありえないことだった。 おとぎ話や伝承のたぐいには、オッドアイの者も登場している。その持ち主は妖魔や魔王、そして彼らと契約をかわした人間といった、人類の敵となるべき者たちであった。 根も葉もないおとぎ話とはわかっていても、人は自分にないものを持つ者を警戒し、排除しようとする。たとえそれがなんの変哲もない突然変異の産物であっても、人は自分に理解できないことは受け入れようとはしないのだ。 ロテールは、そんなばかばかしいおとぎ話は頭から信じていない。 驚いたのは、綺麗だったから。聞いてしまったのは、知りたかったから。ただ、それだけだった。 「ああ、これかい? 参ったな、あまり他人には見せたくなかったんだけどね。……まあ、君ならいいか」 なんでもないことのようにそう言うと、レンは起きあがって前髪をかき上げた。 先ほど見た明るい紫の瞳が、太陽の光を浴びて輝く。まぶしそうに目を細めると、ふたたび髪で目を覆い隠した。 「世の中迷信深い人も多いからね、隠しておくに越したことはないのさ。これで、俺が顔を半分隠しているわけがわかっただろう?」 「それは、わかったけどな。でも……もったいない。こんなに綺麗なのに」 ほとんど無意識のうちに、ロテールの手がレンの頬へと伸びた。 ロテールの瞳の色より明るい紫は、漆黒の瞳と色白の肌を隣に配置すると、じつによく栄える。 それは確かなのだが、迷信のことなどはなっから頭になかったらしいロテールの反応に、レンはついこらえきれずに吹き出した。 「ぷっ……相変わらずだね、君は」 「なんでそこで笑うんだよ」 真面目に言ったはずの台詞を笑われて、ロテールが憮然として言い返す。それでも笑うのをやめないレンの態度にすねたのか、前髪をぐいと引っ張った。 「いたたた、何するかな、この子は。でも、これが笑わずにいられるかい? 俺がこれでも人並みに迷信のことを気にして黙っていたっていうのに、当の君はまるで女性を口説くときみたいなセリフを平気で言うんだからね」 「綺麗なものを綺麗と言ってどこが悪いんだ?」 「君みたいな単純な人ばっかりだったら、世の中楽なんだけどね」 すっかりふてくされてしまったロテールをなだめるかのように、レンはさりげなく前髪を引っ張る指をはがしつつ、優しい笑みを見せて彼の頭を撫でる。 それでなだめられてしまったのかどうかは定かではないが、ロテールはぱっと向きを変えると、レンの足を枕にして素早く寝っころがってしまった。 「……それ、まったく誉められてるようには聞こえないんだが」 「これでも誠心誠意、誉めたつもりだよ」 「どこが……まあ、いいけど。ところで、ずっと隠してて視力落ちたりしないのか?」 どうやら、本当に機嫌を直したらしい。 寝ころんだまま、上目遣いにレンの方を見る。そんなロテールを愛しそうに見つめると、レンは彼がくつろぎやすいように微妙に足の角度を変えた。 「元々、左目の視力はほとんどないんだよ。生まれつきこうだから、さほど苦労した覚えはないなあ」 「ふーん……大変だな」 「大変、か。見えないことよりは、気づかれないようにすることのほうが大変だったかな。特に小さかったころは、ろくな目にあわなかったからね」 「バカバカしいな。たかが目の色が違うくらいで、そうそう人間が変わるもんか」 太陽のまぶしさに、ロテールは目を閉じる。そのままごそごそと身じろぎして寝心地のいい場所を見つけると、すっかりレンの足を枕にくつろぐ体勢を整えた。 「そう言ってくれる人がひとりでもいれば、強くなれるものだよ。あとは俺が気にしなければすむ話だから、その他の人にどう思われようが、別にかまいはしないんだけどね」 目を閉じてしまっていたロテールは、そう呟いたレンの寂しそうな表情に気づくことはなかった。
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「……気にしてない、と言ったら……嘘になるな」 燐光の聖騎士が安らかな寝息をたてはじめたのを確認してから、レンは小さく呟いた。左目を覆い隠す、長い前髪をかきあげる。 淡い紫の瞳が、沈みかけの太陽の光を受けてかすかにきらめく。 滅多に陽を浴びることのない瞳には、初春の柔らかな光でさえもまぶしすぎる。ゆっくりと目を細め、光から逃れるかのように首を振った。
この見えないものを見通す力を持つ瞳が、すべての発端だった。 まだ両の瞳が漆黒のままだった、遠い昔を思い出す。まだ記憶に残っているのが不思議なほどだ。 忘れてもおかしくないほど昔のことなのに。実際、忘れていたのに。ふと思い返せば克明に思い出すことができるのは……それが、自分の運命を大きく分けることとなった出来事だからだろうか。 後悔はしていない。もしあの時をもう一度繰り返すことができたとしても、また同じ選択をするだろう。 たとえそれが、人としては外れた道を歩むことになろうとも。自分が背負う分には、かまわない。今の生活も、悪くはない。 少なくとも、後悔せずにすむ。 愛する者−−愛していた者に、今まで自分がたどってきた長い時間を歩ませるよりは、よほどいい。
「それに……君にも逢えたしね」 必要以上に大人なのにどこかかわいい、毎週のように秘畢の丘へやってくる金の髪の客人の細い髪を優しく梳きながら、金銀妖瞳の青年はクスクスと楽しそうに笑った。
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The End
独り言:まだ恋人未満のはずなのに〜(汗)