暁の聖跡5

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 薄い雲の切れ目から、真珠色の光があふれ出る。
 闇は、すべてを覆い隠す。街を行き交う人々の姿も、空を横切る羽虫の小さな姿も、それらの持つ本来の姿も。
 不安と同時に安らぎをももたらす闇が月の光に払われたとき、燐光の聖騎士はそこに思いがけない姿を見つけた。



「…………レン?」
「あれ? こんな時間にこんなところで会うなんて珍しいね。夜遊びの帰りかい?」
 そんなことを言って振り返ったレンは、いつも通り近衛騎士の制服を着ていた。
 時はすでに真夜中、日付変更線も越えている。この男はまた遊び歩いていたのだろうかと思っているところを逆にあっさり図星をつかれ、ロテールは一瞬言葉に詰まった。
 このレンの問いはその他のマイナス感情をまったく含まない純粋な疑問だったりするから、よけい始末に負えない。同じことをやっているのになぜ自分ばかりが慌てなければいけないのかと理不尽なものを感じながらも、こればかりは開き直りきれないロテールが損をするのは仕方ないのことなのかもしれなかった。
「う・・・・そ、そういうあんたこそ、なんでこんなところにいるんだよ? しかもひとりで」
 それでもなんとか続けたロテールの疑問は、首を傾げて目を瞬かせたレンの一言であっさりとうち砕かれる。
「誰かと一緒の方がよかったかな?」
「誰もそんなこと言ってないだろ!」
 何かをごまかす、はぐらすのはレンの得意技だ。
 たとえごまかす気がはじめからないとしても、なにかをスムーズに教えてくれることは少ない。目の前にいるおもちゃで遊ぶチャンスを逃すのはもったいないとばかりに、隠す気もないくせにわざと見当違いの方向へと話を進める。わざとやっているとしか思えないが、いちいちそれにひっかかるロテールも律儀といえば律儀だ。
 今日もささいないたずらに予想通りの反応を示したロテールの表情をのぞき見たレンは、じつに楽しそうな笑みを見せると口を開く。
「はいはい……俺は仕事帰りだよ。君と違ってね」
「一言多いんだよあんたは」
「他意はないんだけどな。うらやましいと思っただけで」
 しれっとした表情でこんなことをのたまうレンの顔を横目で盗み見たロテールは、こいつに繊細な人間のナイーブな心なんて絶対に理解できまいと心の中で呟いた。
 それから、個人的な不満を口にしてみる。さほど期待はしていなかったが、言わないよりはマシ、どうせ言ってみたところでレンが堪えるわけがないという判断からだ。
「ほっとけよ。あんたがかまってくれないからだろ」
「じゃあ、かまってあげようか」
 にこりと笑ったレンが、ふと腕を伸ばした。
 自分よりも背が高いロテールの肩を引き寄せると、心持ち上向いて唇を重ねる。唐突なレンの行動に一瞬目を丸くしたロテールだったが、瞼を閉じると同時にとまどいと誰かに見られているかもしれないという懸念は、きれいさっぱり捨て去った。
 肩に置かれたレンの手に、自分の手を重ねる。もう片方の腕をレンの腰へと回すと、口元でクスッとレンが笑った気配がした。
 洩れる笑みをすくい取るかのように、深く口づける。ため息も吐息も飲み込んで、ひとつに溶けあった。

 闇は、すべてを隠す。束の間の逢瀬を楽しむふたりを、優しく包み込んで。



 そこだけ止まってしまったかのような時を再び動かしたのは、真夜中にはふさわしくない人々がざわめく声だった。
 歓楽街ならともかく、ここは貴族の私邸が立ち並ぶ地区だ。この時間に、人の声がすることはほとんどない。
 なにか騒ぐことがあったとすれば、それは何かなにか事件が起こったということだ。
「……なんだか騒がしいな」
「何かあったのかな? 最近はこのあたりも物騒になったね……行かなくていいのかい?」
 まだ腰に残ったままだったロテールの腕をさりげなく外しながら、レンが微笑む。行かなくていいのかという問いの形をとってはいたものの、それは「行け」という意思表示だった。
 ロテールにも、燐光の聖騎士としてやらなくてはいけないことはわかっている。わかってはいても、理性と感情ではっきり答えの分かれる二択を目前とすると、やはり決断力も鈍るらしい。
 おそらく、騒ぎが起こっているのは2つ向こうの街区だろう。記憶によれば、あまり友好とは言い難い貴族の屋敷があったはずだ。そう思ってしまうと、ますます行く気力が失せる。
「行かないとまずいような気はするけど、せっかくのチャンスを逃したくない気もする」
「俺は逃げないけど、犯人は逃げるよ? 行っておいで」
「あんたの『逃げない』ほどアテにならないものもないからな……」
 そう、本当にあてにならない。何が真実で何が嘘なのかもわからない。
 それでも、否だからこそ、ロテールはレンから目が離せないのかもしれない。
 とりあえず恨みがましい視線を向けてみたら、レンは軽く肩をすくめた。自覚は、あるのだろう。
 そして、ロテールを安心させるように軽く肩を叩く。
「本当だって。でもここでぼーっと立ってたら単なる不審人物だから、丘に行ってるよ」
「俺の私邸の方が近いのに……」
「主がいないのに、客が上がり込んでるわけにもいかないだろう?」
 ロテールが控えめに出した提案は、当然のごとく笑顔で却下された。
 もっとも、最初から同意を得られるとは思ってなかったので気にしない。それに、もし本当に何か大変なことが起こっていたとしたら、いつ解放されるかもわからないのだ。レンのテリトリーで待っていてもらうのがいちばんなのだろう。
 レンに、待っていてくれる気があるのなら。
「……わかったよ。いいか、絶対に丘にいろよ? 寝ててもいいから」
「お言葉に甘えさせてもらうよ。でも君、明日は休日じゃないけど?」
「そんなの関係ない。じゃ、あとでな」
「はいはい……いってらっしゃい」
 最後にかすめるようなキスを残して。
 名残惜しそうに騒ぎが起こっている方へと走っていくロテールの後ろ姿を見送りながら、レンが呆れたような笑みを見せた。



 「王家に仇なす存在は……」
 見慣れた金色の髪が視界から消えると同時に、レン=ムワヴィアは漆黒の聖騎士の顔で小さく呟いた。
「国外にしかいない、というわけではないからな……」
 闇は、陽光の下であれば隠しようのない秘密も隠す。そして、月の光は彼の意に従う。
 避けきれなかった緋い色が黒い制服の色に溶け込んでしまうのも、そう遠い時間の話ではない。
 たとえそれが、誰かの返り血だったとしても。




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