ルルノイエは、獣の紋章と共に崩壊した。
ずっと探し続けた幼なじみの姿は、結局最後まで見つけることができなかった。目にすることができたのは、玉座にかけられたジョウイ・ブライトの衣装だけ。それを身に纏った親友の姿を、少年は何度か見たことがある。グリンヒルで。ミューズで。
見つけたのは、抜け殻だけ。少年が探していたのは、そんなものじゃない。
ハイランド皇王としてのジョウイ・ブライトではなく。少年の傍らにいつでもいた、親友のジョウイを見つけたかったのに。
彼がいたはずのルルノイエは、ハイランド王国と共に崩れさってしまった。
すべてが終わった夜、寝付けずにすっかり目が冴えてしまったカイリは、月の光を浴びるために屋上へと足を運んだ。
深夜にこっそり屋上へと上るのは、これで何度目だろうか。 カイリにとって屋上はけっこうお気に入りの場所で、特に用事がなくても何度となく訪れてしまうところだ。
昼間、デュナン湖のほとりに建つこの城の屋上に立てば、ジョウストン都市同盟はもちろん遠くハイランドまでを一望できる。夜はさすがに地上を見ることはできないが、夜空を彩る星と月を見ようと思えば、これ以上の特等席はないだろう。曇っていても、街や村にともる灯りがぼんやりと光をくれる。
危険だからと屋上への道を塞ぐ見張りの兵士を拝み倒して───というよりは泣き落として───穏便に望みを叶えたカイリは、大した意味もなくここへきた回数を数えようとして、ふとその瞳を瞬かせた。
誰もいないはずの屋根の上で、バンダナが風にそよいでいる。
「………アルセノールさん?」
……思いがけない先客がいたようだ。
一方名前を呼ばれた当人も、こんな時間のこんな場所に自分以外の来客があるなんて想像していなかったらしい。目をぱちくりとさせて声のした方へと向き直ると、一瞬だけほっとしたような驚いたような表情を見せた。
そして、自分の名前を呼んだ声がこの城の主である少年のものだと認めると。
ふわりと柔らかい笑顔をかすかに覗かせて、トラン解放戦争の英雄は、カイリに向かって手をひらひらと振る。
「どうしたの? こんなとこいたら、風邪ひくよ」
今現在そこにいる人がそんなことを言っても、まったく説得力がない。
しかもその場を動こうともせず、また紺碧の夜空へと視線を戻す。人の心配よりも自分自身のことのほうにもう少し意識を向けたほうがいいんじゃないかと心の中でため息をついて、カイリは屋根の上へと続くはしごをよじ登った。
「……アルセノールさんこそ、風邪ひいちゃうよ」
「そうだね。……でも、最後にここから月を見ておこうと思って」
日頃は口数も少なく必要最低限のことしか話そうとしないアルセノールも、カイリと二人だけのときは少し饒舌になる。
ちょっと目を離すとすぐにグレッグミンスターへと帰ってしまうアルセノールをつかまえて友好を深めるのは、決して楽なことではない。だが、どうやら根本的にカイリには甘いらしいアルセノールと意味のない雑談ができるようになるまでに、そう時間はかからなかった。
いろいろと話すようになってわかったことはいくつかあるが、その最たるものはアルセノールの本質は決して無口なわけではない、ということだ。
大人びていて物静かで、無駄なことを口にしない、落ち着いた少年らしからぬ少年。誰もが彼に対して抱いているそんな印象を当然のことながらカイリも持っていたのだが、実際に言葉を交わすようになって、それが間違った認識であることに気づいた。
少なくとも、気を許した相手しか側にいない時のアルセノール・マクドールは、ごく普通の少年だった。
真の紋章の力は、所持者の時を止める。外見上カイリとほとんど年齢が変わらなく見えるアルセノールは、ほんの数歳だけカイリよりも年上で、でも実際の年齢差以上の隔たりは感じられなかったのだ。
「最後……そっか、最後だよね。戦いは、終わったんだ……」 屋根の上をつたって、カイリは無事にアルセノールの隣にたどり着いた。
そのままそこに座り込むと抱え込んだ膝の上に顎を乗せて、小さく呟く。その聞こえるか聞こえないかの小さな呟きからにじみ出るなにかに、アルセノールはふとカイリの方へと視線を向けた。
何かに迷っている、幼い横顔。
たとえどんなことがあろうといつも明るい瞳で前を向いていたカイリが、今まで見せたことのない表情。
……そして、アルセノールは気づいた。
まだ、カイリが本当の目的を果たしていないことに。
「終わったような気がしない?」
だから、カイリを驚かせないように、優しくそう口にする。
「……うん。終わったはずなのに、なにかが違うんだ。僕たちは勝った。でも……」
「……ジョウイのこと、だね?」
言いよどむカイリの後を継いだアルセノールの言葉にカイリは一瞬驚いたものの、それからゆっくりとうなずいた。
カイリには、わからなくなってしまったのだろう。前を見つめ続け、過去にとどまることを知らない少年。
あまりにもいろいろなことがありすぎて、カイリの心はいちばん大切なことを心の奥に押し込んでしまっわなければならなかった。
リーダーとしての責任を果たすために、奥へとしまい込んだ個人的な想い。だが、ルルノイエの崩壊とともに解放されるはずだったそれは、空っぽの玉座を見たときに行き場を失った。
前を見続け、進んできたカイリ。終着点にたどり着いてしまった今、行き場を失って宙に浮いている自分の心が探せなくなっている。
「僕は……どうしたら、いいんだろう」
力の感じられない、自分自身に向けた頼りなげな呟き。
弱音を吐くことをよしとせず、常に前を向いて歩んできたカイリの、それが今の本音だった。
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