店の帳簿を付けていた如月は、入り口のドアが軽やかな鈴の音を立て開く音を聞き、顔を上げる。
が、そこから入って来た男が、良くも悪くも見知ったヤツだと気付き、再び視線を帳簿へと戻す。
「おいおい。一応客商売なんだから、いらっしゃい、くれェ言えねェのかよ。」
「悪いが、ひやかしだけにくる客に愛想振りまくほど、暇じゃないんだ。」
のそり、という表現がぴったりの動作で店へと入って来た村雨は、くるっと首だけを後ろに回し、自分のせいで隠れてしまっていた人物へと声をかける。
「だとよ、先生。骨董屋のご主人は忙しくて相手をしてる暇がないそうだ。」
ニヤニヤと人の悪い笑顔を顔に張りつけながら、後ろにいた男、龍麻を自分の前へと押し出す。
「ご、ゴメン、如月。忙しいんならまた今度にするよ。今日はみんながいないから、ちょっと寄っただけだし・・・。」
「た、龍麻!?」
村雨と並ぶと、ずいぶん小柄に見える龍麻に気付いた如月は、目に見えて慌てる。
そんな如月を目にし、くっくっくっと喉を鳴らして笑う村雨。如月が龍麻に気があるのを知っててやっているのだ。
「い、いや、そんなことはないさ。君ならいつでも大歓迎だよ。」
龍麻に気付かれないように気をつけながら、村雨をギロッと睨みつけつつ、龍麻へと優しく声をかける。
なかなか器用である。
「いいの? ・・・ありがとう。じゃあ、ちょっと見せてもらうね。」
商品を見る為、奥に向かった龍麻に優しげな、それでいてどこか獲物を狙う肉食動物の様な視線を送りながら、如月は村雨へと近づく。
「・・・龍麻が来るのはともかく・・・、なんでお前が一緒なんだ、村雨。」
その言葉に村雨は、声にほんの少しだけ苦みが混じっているように感じ、内心ほくそ笑む。
「龍麻に会ったのは偶然さ。だが、一人でここへ行くと聞いちゃなァ。お前と二人っきりにしとくわけにはいかねェだろうが。」
それを聞き、如月はチッ、と心の中で舌打ちする。村雨の幸運というのは、時に他人にとっては不幸となる事があるということだ。
二人きりならば、チャンスはいくらでも作れたというのに、この男がいてはとことん邪魔されるのがオチだろう。
そう、村雨も龍麻に気があるのは同じなのだ。
村雨とは意外に長い付き合いになるが、まさか同じ人(しかも男)を好きになり、恋のライバルなどという恥ずかしい呼び名がつく関係になるとは、到底想像もつかなかった。
だが、そんな関係もそろそろ、限界だ。他にもライバルと呼べる人間が多過ぎる。今は一人でも蹴落としておきたい状況だ。
たとえ、それが友人と呼べる相手でも・・・だ。
「悪いが村雨。今夜ここにもう一度来てくれないか。・・・大事な話があるんだ。」
「大事?いきなりなんだァ?・・・・・・ん〜まァ、いいだろう。今夜だな。」
「ああ。」
・・・そう、今夜、だ。
商品の値段を聞こうと如月を呼ぶ、龍麻の方へと歩きながら心の中で呟く。
どんな卑怯な手を使っても欲しいものができるというのは、複雑なものなのだな・・・、と。
「んで?話ってなァなんだ。」
その夜。手土産にと、一升瓶を抱え現れた村雨を奥の座敷に通し、如月は居住まいを正し、切り出す。
「単刀直入に言おう。龍麻の事は諦めてくれ。」
「・・・いくらなんでもそりゃ単刀直入過ぎやしねェか?第一俺が龍麻のこと諦めたからってまだ他にも狙ってる奴がいるだろうがよ。」
「無論、そのことは承知の上だ。だからといって、お前をこのままにしておけば、今日の様に邪魔されるからな。」
そう、この男さえいなければ、せっかくのチャンスだったというのに。
いつも龍麻がこの店に現れる時は、うるさい蓬莱寺がべったり纏わり着いているのだ。
もし、一人でこの店に現れていれば、今頃は・・・。
そう考えると、目の前の男に対し、怒りも沸くというものだ。たとえそれが村雨に責任があるわけではないにしても。
「だがなァ・・・、言われて、はい、そうですか、と諦められるもんでもないだろう。」
頭を掻きながら呟く。村雨にとって本心ではないセリフを・・・。
実を言うとだ。村雨にとって龍麻とは、護るべき者以上の対象ではなかった。
古い付き合いになるこの目の前の男が、ここまで一人の人間に入れ込むのを見ているのが楽しくて、嫌がらせしていただけだったのだ。
飛水家の者として、この東京を護る事を最優先にしてきたはずの冷静な男が、たった一人の人間に感情を左右されている。それも恋愛感情などというものにだ。
龍麻の行動や言動に一喜一憂しているのを見ていると、密かに笑いが込み上げてくる。
そう、村雨にとって、龍麻より大きな存在であり、失くしたくない、そう思うのは如月の方なのだ。
持前のひねた感情で、素直には言えなかったが。
・・・だが、村雨は理解していなかった。恋に狂った男の、ある意味哀れな思考を・・・。
その結果が自分の身に、どんな形で降りかかって来るかは、さすがに予想できなかったようで。
俗に言う『人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んでしまえ』というやつである。
「お前が何と言おうと、諦めてもらう。出来ないと言うのなら・・・。」
「言うなら、何だ?」
「諦めてもらうまでだ。」
その如月の言葉を聞いた瞬間、村雨は天地がひっ繰り替えるような気分を味わう。
身体にのしかかる重み。
・・・平たく言えば、如月に押し倒されている。
「な、なんだァ!? じょ、冗談はよせッ!!」
「・・・僕が冗談でこんなことをすると思っているのか? お前が僕のものになっておけば、龍麻には手出しすることはない、ということだ。」
な、なんだそりゃァ!?
怒鳴りながら、如月を押しのけようとした腕をぐいっと掴まれ、唇を押しつけられる。
開いた隙間から差し込まれた舌に、口腔内を蹂躙される。
予想以上に激しく、そして甘美な口付けは、村雨から抵抗する気力を奪って行く。
「僕は・・・僕は手に入れたいんだ、彼の全てを・・・。それが叶うならどんな卑怯な手でも使う・・・。」
苦しげな告白。村雨を見下ろす瞳は、手負いの獣を思わせる。
その瞳に映る自分の姿を見たとき、村雨は唐突に気付いた。
自分がどれほど、この男に惹かれているのかを・・・。
村雨は知っていた。如月がどれだけ龍麻を想おうと、龍麻の心はすでにたった一人を選んでいることに。
そう、龍麻が選んだのは如月ではないのだ。
だからこそ、如月の想いを止めるようなことはしなかった。いつかはそれに気づくだろうと思っていたのだ。
---なのになァ・・・これほど思い詰めてるとはな・・・。
飼犬に手を咬まれる・・・いや、別に飼ってるわけじゃねェか。・・・窮鼠猫を咬む・・・うーん、近いがちょっと違うな・・・。
恋は盲目・・・やっぱそんなトコか・・・?
心の中でそっと溜め息をつく。
だが、そんな風におとなしく、じっと自分を見つめてくる村雨に対し、如月は目に見えて狼狽える。
「抵抗・・・しないのか・・・?」
「冗談でこんなことをしてるんじゃねェって言ったのは、お前の方だろうが。抵抗して諦めねェ、って言やァ止めてくれるってェのか?」
そう言うと、如月の表情は泣きそうに歪む。
まァ・・・確かに、不毛ではあるがなァ・・・。
「諦めて欲しけりゃ、龍麻の事を忘れるくらい俺を夢中にさせてみろ。」
そう告げて、如月の身体を引き寄せる。
自分の全てを他人に任せて、流されてみるのもたまにはイイかもな。
少なくともその間、この瞳に映るのは自分一人だけなのだから。
それがつかの間だとしても・・・。
「・・・で?気は済んだか?」
腰の辺りに残る鈍い痛みに顔をしかめながら、ゆっくりと起き上がり、村雨に背を向けるようにして座る如月へ問いかける。
正直なところ、如月が村雨に与えた行為は、信じられないくらい優しかった。
無論、その場所を本来とは違う用途に使ったのだ。痛みがないわけではない。
だが、村雨の身体の上を彷徨う手や唇の感触は甘く、身体が溶けてしまうかと思うほどだった。
確かに夢中にさせてみろとは言ったが、その行為は本当に村雨を夢中にさせた。
「おい、どうした?如月?」
問いかけてみても返事がない事を不審に思い、肩を掴んで振り向かせると・・・
「お、おい・・・お前、泣いて・・・」
その秀麗な顔に流れる涙。始めてみる如月の泣き顔に、村雨はつい見惚れてしまう。
「どうしてだ・・・どうして・・・。」
涙を流しながら、放心したように呟く。
はァ・・・
村雨の口からため息が一つ漏れる。
「バカだよな、お前も。ホントは気づいてたんだろ?龍麻の事は・・・。」
卑怯になろうとして、なりきれなかった・・・。心の奥底では気づいていたから。
なのに、認めまいとして、村雨を無理やり抱いた。
そんな自分が許せなくて、如月は涙をこぼす。
「・・・うっ・・・ううっ・・・」
やれ飛水だ、やれ玄武だと言っても、今この時代を生きてる如月自身は、結局普通の高校生でしかない。
卑怯になりきれなかったとしても、仕方のないことだ。
・・・仕様がねェなァ・・・一生言うつもりはなかったが・・・。
「まったく・・・、お前の言い様じゃねェが、俺が惚れてもいねェ相手にこんなことされて、黙ってるとでも思ってるのか?」
その一言に、涙に濡れた如月の顔が跳ね上がる。
「・・・な・・・に・・・?・・・だって・・・お前は・・・」
・・・まったく、損な役回りだな・・・。
「ほれッ!!」
村雨は自分の胸へと、如月を押しつける。
「龍麻の事は確かに大事だ。なんせ、マサキも認めたこの街を救う男なんだからな。だが、俺の命賭けても護りてェのは龍麻じゃねェよ・・・。」
静かに告白しながら、ギュッと抱きしめると、腕の中の如月が軽く身じろぎする。
「泣きてェんだったら、いつでも胸くらい貸してやるから、明日にはいつものお前に戻れよ。」
このままじゃ、龍麻が心配するぞ。
たとえその想いが届かなくても、如月にとって龍麻が護るべき相手であることには変わりない。それは宿星として定められたことだから。
「・・・ああ・・・すま・・・ない・・・。」
それからしばらくは微かな嗚咽が辺りに響いていた・・・。
「こんにちは、如月。」
「ああ、いらっしゃい。今日は、何の用だい?・・・なんだ、お前も一緒か。」
「へッ。言ってくれるぜ。」
数日後。真神の5人と一緒に現れた村雨に、如月は冷たい一瞥をくれる。
・・・本心からではなくて、まだ正面切って話すには恥ずかしい為の照れ隠しなのだが。
「今日はみんな新しい装備に買い替えようと思って。何かいいものある?」
「ああ、それなら・・・」
あの夜以来、龍麻を見る如月の表情は少し変わった。優しげなのは同じだが、以前のような追い詰められたような感じは無くなった。
一方、そんな如月を入り口の所で立ったまま見つめる村雨の表情も、ずっと隠してきた内心を吐露してしまったからか、以前にも増して楽しそうで、無遠慮に如月に視線を送っている。
如月は、自分に突き刺さる村雨の視線が気になるらしく、ちらちらと村雨の方を盗み見ている。
・・・龍麻たちに気付かれないようにだが。
が、しばらくして堪え切れなくなったのか、村雨の方へとやってくる。
「・・・さっきからなんだ。何か用なのか。」
無愛想を装ってはいるけれど、目元がほんのり赤くなっている。
「何がだ?俺は単に見てただけだぜ。」
どことなく意地の悪い笑顔で如月に問い返す。
「・・・そういやァ、お前にはあれで貸し一つなんだよな。・・・どうだ?今晩にでも?」
その一言で、今度は耳まで赤くなる。
「!!・・・貴様。」
「ん〜?なんだァ?俺は一緒に飲まねェか、って言うつもりだったんだがな。」
もちろん、お前の奢りでな。
店の奥では、思わず絶句する如月と、くつくつと笑う村雨を、龍麻たちが不思議そうな顔をして見ていた。