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あてもなく、ふらふらと街を歩いていた僕の耳に、どこか聞き慣れたメロディが飛び込んでくる。 「そうか。今日はクリスマス・イブなのか・・・。」 ふと、見上げた空は、暗い灰色の雲が重く立ちこめていた。 「まるで、今の僕の心のようだな・・・。」 無意識にそんな呟きをもらした自分に気付き、思わずため息をつく。
昨日の夜、蓬莱寺から、龍麻が今日の午後退院すると、連絡があった。
あの日、彼が桜ヶ丘にかつぎこまれた晩から、僕は龍麻には会っていない。あの夜感じた思いも、離れてみれば不確かなものに思えてくる。 それが本当の思いを隠す言い訳に過ぎないことは、わかっている。
家のすぐ近くまで来た時、玄関先に誰か立っているのに気がついた。一体こんな時間に誰なのか。 「・・・如月・・・。」 それは、僕が今最も会いたくなかった、そして誰よりも会いたかった龍麻の声だった。
「まったく、あんなところに立ってるなんて、無茶だぞ。君は今日退院したばかりなんだろう?」 さすがに玄関先で立ち話するわけにもいかず、僕は龍麻をリビングへと通した。 「ありがとう。」 受け取ったカップを両手で持ち、ふーっと、息を吹き掛けている龍麻は、無邪気な子供のようで、とても可愛らしい。 「それで、僕に何か用事があるのかい? それもこんな遅くに。」 隠したつもりが、声に現れてしまった苛立ちを感じたらしい龍麻は、眼を伏せ、「ゴメン。」と呟く。 「い、いや咎めたわけじゃない。ただ、今の君は、自分の体のことを一番に考えるべきだ。」 そんな龍麻の表情に痛々しさを覚え、慌てて釈明する僕。我ながら『らしく』ない。 「・・・今日、退院する前に京一が来たんだ。今日はクリスマス・イブだから、一緒に過ごしたい女の子がいるんじゃないか? って。自分が話を付けて来るから、誰を誘いたいんだ? って。」 眼を伏せたまま龍麻は話しはじめる。 「そんな子はいないって言っても、京一は信じてくれないんだ。だって、僕は・・・」 そこまで続けて、ふっと、龍麻が顔を上げる。 「・・・どうしても、如月に聞きたいことがあったんだ。」 「僕に? 何をだい?」 今、僕の声は震えなかっただろうか。胸の鼓動が早くなる。 「・・・・・・どうして・・・どうして来てくれなかったんだ・・・。」 「え!?」 「どうして、あれから会いに来てくれなかったんだ!!」 龍麻は声に悲壮感を滲ませ、僕に詰め寄る。 「どうして・・・って、ほら、僕はこの店があるからね。ここ数日は、年末だし、ちょっと忙しかったんだ。だから・・・、すまない。」 「じゃあ、今日はどこへ行ってたんだよ!」 龍麻は、僕の言い訳をあっさりかわすと、なおも追い詰めてくる。 「きょ、今日は・・・」 慌てて次の言い訳を考える僕を、その潤んだ眼差しで睨みつけると、龍麻は、カップをテーブルに置き、突然立ち上がった。 「もういいっ。帰るっ!!」 「ちょ、龍麻!!」 ドアへと向かう龍麻の腕を掴み、引き止める。 「・・・・・・。」 「え、今なんて?」 前を向いたまま、なにか呟いた龍麻を、僕のほうへ向き直らせる。 「・・・嬉しかったのに。目が覚めたとき、如月が側にいてくれて、嬉しかったのに・・・。」 「龍・・・麻・・・?」 「恐かった・・・。あの暗い部屋で、眠りにつくなんて、とても出来そうになかった。だけど、如月がいてくれたから・・・、手を握っていてくれたから、安心して眠ることが出来たんだ。・・・なのに、朝になって起きたら、もう如月はいなくて・・・、だから、今度来てくれたら何を話そうって、ベッドの上でそればかり考えてたのに・・・。」 「龍麻・・・。」 腕に力を込め、龍麻を引き寄せると、背中に腕を回し抱きしめた。 「すまない、龍麻・・・。本当に、すまない・・・。」 「如月!?」 突然の抱擁に驚き、顔を上げる龍麻の唇へと、そっと口付ける。小鳥が餌をついばむ様に、何度も、何度も・・・。 「恐かったんだ、君に会うのが。今度君に二人きりで会ったら、僕は、今迄の僕ではいられなくなるから・・・」 龍麻は僕の口付けを避けなかった。そのことが、僕に、今迄言えなかった、本当の思いを告げる勇気を与えてくれる。 「・・・愛している・・・。」 「・・・如月。」 「愛しているんだ、龍麻。だから・・・だから僕を受け入れてくれ・・・」 男同士であるとか、重い宿星を負っているからだ、とか、そんなことでは僕の思いは、もう阻めない。 「・・・嬉しい・・・嬉しいよ。僕も如月が好きだ・・・」 そう続けた龍麻を抱く腕に、力が込もる。 「本当だな・・・。」 「え? 何が?」 「聖夜には、奇跡が起こるって・・・」 その言葉に、くすっと笑った龍麻の頭が、僕の胸で揺れる。 「ん・・・んんっ」 今度は激しく、息苦しさに開いた龍麻の口の中へと、舌を滑り込ませ搦め取る。 「・・・感じてくれたんだね。」 耳元でそっと囁くと、恥ずかしいのか首筋まで真っ赤にして、また下を向いてしまう。 「君の全てを、僕のものにしたい・・・いいかい?」 その問いかけに、龍麻はかすかに頷いた。
「すまないな。退院したばかりなのに無理をさせてしまった。」 ベッドで余韻に浸る僕達。 「・・・うん。少し。でも、いいんだ。僕も、きさ・・・じゃなかった、翡翠を一番近くで感じれたから。」 そう答えたあと、龍麻は何かを思い出したように、くすくすと笑い出した。 「龍麻?」 「なんだか、昨日から翡翠は謝ってばかりだね。」 「・・・そうかな?」 ・・・どうも、僕はこの腕の中の、愛しい恋人には甘いらしい。 「龍麻、君は、高校を卒業したらどうするつもりだい?」 「卒業後? うーん、大学へは進学するつもりだけど、後のことは考えてないな。」 あまり日に焼けない体質なのか、驚くほど白い肌。 「・・・実はね、この店って暇そうに見えるかもしれないけれど、結構忙しいものなんだ。」 僕が何を言いたいのか、図りかねた龍麻は、不思議そうな顔をして僕を見上げてくる。 「それで、そうだな・・・、来年の3月頃にバイトを一人雇おうかと思ってるんだが。住込みでね。」 「え!? それって・・・」 「僕に雇われる気はあるかい?」 店が忙しいなんて、本当は嘘だ。ほとんど道楽でやっている店だから。 「・・・うん。翡翠がイイって思うなら。でも・・・本当にイイの?」 「ああ、もちろん。・・・なんなら僕の所へ『永久就職』するかい?」 「・・・もう!!」 真っ赤になって、背を向けてしまった龍麻が呟くのが聞こえる。
外ではやさしい陽光が、降り積もった雪の上で踊っていた。 |
The End