あてもなく、ふらふらと街を歩いていた僕の耳に、どこか聞き慣れたメロディが飛び込んでくる。
顔を上げ、電飾に彩られたあたりを見回し、やっと気付く。

「そうか。今日はクリスマス・イブなのか・・・。」

ふと、見上げた空は、暗い灰色の雲が重く立ちこめていた。

「まるで、今の僕の心のようだな・・・。」

無意識にそんな呟きをもらした自分に気付き、思わずため息をつく。

 

 

昨日の夜、蓬莱寺から、龍麻が今日の午後退院すると、連絡があった。
彼の声を聞いた瞬間、一瞬身構えてしまった自分を思い出し、苦笑いが漏れる。
あの電話以上に、僕を打ちのめすことなどあるのだろうか・・・。
それにしても、まだ5日・・・。瀕死の重傷からたった5日間で、退院出来るほど回復してしまった、龍麻の生命力には、驚くかぎりである。

 

あの日、彼が桜ヶ丘にかつぎこまれた晩から、僕は龍麻には会っていない。あの夜感じた思いも、離れてみれば不確かなものに思えてくる。
彼を護りたい。自分の命すら投げ打ってでも---
彼を失いたくない。他の全てを失ったとしても---
むろん、その気持ちは今も変わらない。
だが、僕のそんな思いをあざ笑うかのように、別の思いが沸き上がり、僕を苛む。
あの眩しいまでの陽(ひかり)を、僕の闇(かげ)で染めて良いのか、と。
彼の陽は、この東京の、いや世界全てを照らすに相応しいもの。
その陽を、僕の心の奥に潜む闇で消していい訳はない、と。
この街を護るためだけに作られた、飛水の濁った血で、彼を穢したくない、と・・・。

それが本当の思いを隠す言い訳に過ぎないことは、わかっている。
だから、街の喧騒に紛れてしまえば、少しは気も晴れるかと街に出たというのに、かえって心の闇を深めてしまったような・・・、そんな思いに後悔しながら足を、家路へと向けた。

 

 

家のすぐ近くまで来た時、玄関先に誰か立っているのに気がついた。一体こんな時間に誰なのか。
こちらからは逆光でよく見えない。
不審に思いながら近づく僕に、その影は気付き、声をかけてきた。

「・・・如月・・・。」

それは、僕が今最も会いたくなかった、そして誰よりも会いたかった龍麻の声だった。

 

 

「まったく、あんなところに立ってるなんて、無茶だぞ。君は今日退院したばかりなんだろう?」

さすがに玄関先で立ち話するわけにもいかず、僕は龍麻をリビングへと通した。
暖房を入れ、お湯を沸かし、コーヒーを作る。時間が惜しいので、この際インスタントだ。

「ありがとう。」

受け取ったカップを両手で持ち、ふーっと、息を吹き掛けている龍麻は、無邪気な子供のようで、とても可愛らしい。
つい見とれてしまった自分に、内心苛立ちながら、僕は龍麻の向かい側のソファへと腰を降ろした。

「それで、僕に何か用事があるのかい? それもこんな遅くに。」

隠したつもりが、声に現れてしまった苛立ちを感じたらしい龍麻は、眼を伏せ、「ゴメン。」と呟く。

「い、いや咎めたわけじゃない。ただ、今の君は、自分の体のことを一番に考えるべきだ。」

そんな龍麻の表情に痛々しさを覚え、慌てて釈明する僕。我ながら『らしく』ない。

「・・・今日、退院する前に京一が来たんだ。今日はクリスマス・イブだから、一緒に過ごしたい女の子がいるんじゃないか? って。自分が話を付けて来るから、誰を誘いたいんだ? って。」

眼を伏せたまま龍麻は話しはじめる。

「そんな子はいないって言っても、京一は信じてくれないんだ。だって、僕は・・・」

そこまで続けて、ふっと、龍麻が顔を上げる。
龍麻のその眼は、あの晩と同じ眼---側にいて欲しいと懇願してきたあの眼差し。

「・・・どうしても、如月に聞きたいことがあったんだ。」

「僕に? 何をだい?」

今、僕の声は震えなかっただろうか。胸の鼓動が早くなる。

「・・・・・・どうして・・・どうして来てくれなかったんだ・・・。」

「え!?」

「どうして、あれから会いに来てくれなかったんだ!!」

龍麻は声に悲壮感を滲ませ、僕に詰め寄る。

「どうして・・・って、ほら、僕はこの店があるからね。ここ数日は、年末だし、ちょっと忙しかったんだ。だから・・・、すまない。」

「じゃあ、今日はどこへ行ってたんだよ!」

龍麻は、僕の言い訳をあっさりかわすと、なおも追い詰めてくる。

「きょ、今日は・・・」

慌てて次の言い訳を考える僕を、その潤んだ眼差しで睨みつけると、龍麻は、カップをテーブルに置き、突然立ち上がった。

「もういいっ。帰るっ!!」

「ちょ、龍麻!!」

ドアへと向かう龍麻の腕を掴み、引き止める。

「・・・・・・。」

「え、今なんて?」

前を向いたまま、なにか呟いた龍麻を、僕のほうへ向き直らせる。

「・・・嬉しかったのに。目が覚めたとき、如月が側にいてくれて、嬉しかったのに・・・。」

「龍・・・麻・・・?」

「恐かった・・・。あの暗い部屋で、眠りにつくなんて、とても出来そうになかった。だけど、如月がいてくれたから・・・、手を握っていてくれたから、安心して眠ることが出来たんだ。・・・なのに、朝になって起きたら、もう如月はいなくて・・・、だから、今度来てくれたら何を話そうって、ベッドの上でそればかり考えてたのに・・・。」

「龍麻・・・。」

腕に力を込め、龍麻を引き寄せると、背中に腕を回し抱きしめた。
あの夜感じた以上の愛しさが、胸に沸き上がる。
僕の胸の中の暗闇が、龍麻の陽(ひかり)に照らされて、晴れて行くのがわかる。
龍麻の陽は、僕の闇に染まることなく、一番深い場所、心の水底へ隠しておいた思いへと、届いた。

「すまない、龍麻・・・。本当に、すまない・・・。」

「如月!?」

突然の抱擁に驚き、顔を上げる龍麻の唇へと、そっと口付ける。小鳥が餌をついばむ様に、何度も、何度も・・・。

「恐かったんだ、君に会うのが。今度君に二人きりで会ったら、僕は、今迄の僕ではいられなくなるから・・・」

龍麻は僕の口付けを避けなかった。そのことが、僕に、今迄言えなかった、本当の思いを告げる勇気を与えてくれる。
もし、君に拒まれてしまったら、そう考えると一歩も動けなかった。
でも、ちゃちな言い訳でもう自分を誤魔化したくはない。
だから、心の奥に閉じ込めて、隠していた言葉を、君に告げよう・・・。

「・・・愛している・・・。」

「・・・如月。」

「愛しているんだ、龍麻。だから・・・だから僕を受け入れてくれ・・・」

男同士であるとか、重い宿星を負っているからだ、とか、そんなことでは僕の思いは、もう阻めない。
腕の中で、僕の告白を黙って聞いていた龍麻は、僕の胸へと頭を凭れさせた。

「・・・嬉しい・・・嬉しいよ。僕も如月が好きだ・・・」
始めてあった時から・・・

そう続けた龍麻を抱く腕に、力が込もる。
陽が溢れ、乱反射する。

「本当だな・・・。」

「え? 何が?」

「聖夜には、奇跡が起こるって・・・」

その言葉に、くすっと笑った龍麻の頭が、僕の胸で揺れる。
僕は龍麻の顎にそっと手を掛け、上向かせると再び口付ける。

「ん・・・んんっ」

今度は激しく、息苦しさに開いた龍麻の口の中へと、舌を滑り込ませ搦め取る。
何度も角度を変え、思うがままに口腔内を蹂躙する。
唇が離れた時には、龍麻の顔は上気し、恍惚とした表情をかもし出していた。

「・・・感じてくれたんだね。」

耳元でそっと囁くと、恥ずかしいのか首筋まで真っ赤にして、また下を向いてしまう。

「君の全てを、僕のものにしたい・・・いいかい?」

その問いかけに、龍麻はかすかに頷いた。

 

 

「すまないな。退院したばかりなのに無理をさせてしまった。」

ベッドで余韻に浸る僕達。
耳元で「痛くなかったかい?」と問いかける。

「・・・うん。少し。でも、いいんだ。僕も、きさ・・・じゃなかった、翡翠を一番近くで感じれたから。」

そう答えたあと、龍麻は何かを思い出したように、くすくすと笑い出した。

「龍麻?」

「なんだか、昨日から翡翠は謝ってばかりだね。」

「・・・そうかな?」

・・・どうも、僕はこの腕の中の、愛しい恋人には甘いらしい。
僕はふと、思いついた計画を、龍麻へと告げる。

「龍麻、君は、高校を卒業したらどうするつもりだい?」

「卒業後? うーん、大学へは進学するつもりだけど、後のことは考えてないな。」

あまり日に焼けない体質なのか、驚くほど白い肌。
その肌に微かに残る傷痕。
つい、無意識の内に、その傷痕に触れてしまう。
二度とこんな傷は付けさせたくない。

「・・・実はね、この店って暇そうに見えるかもしれないけれど、結構忙しいものなんだ。」

僕が何を言いたいのか、図りかねた龍麻は、不思議そうな顔をして僕を見上げてくる。

「それで、そうだな・・・、来年の3月頃にバイトを一人雇おうかと思ってるんだが。住込みでね。」

「え!? それって・・・」

「僕に雇われる気はあるかい?」

店が忙しいなんて、本当は嘘だ。ほとんど道楽でやっている店だから。
だけど、気付いてしまった。この家の広さを。一人で住むには寂し過ぎる。だから・・・

「・・・うん。翡翠がイイって思うなら。でも・・・本当にイイの?」

「ああ、もちろん。・・・なんなら僕の所へ『永久就職』するかい?」

「・・・もう!!」

真っ赤になって、背を向けてしまった龍麻が呟くのが聞こえる。
「ありがとう」と・・・

 

外ではやさしい陽光が、降り積もった雪の上で踊っていた。
心を通じ合わせることができた二人を祝福するように・・・

 


The End

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