水を照らすひかり

 

 

その日、僕は大切な店の商品を壊してしまった。そいつを持ったまま、鳴り出した携帯に出たためだ。
電話は蓬莱寺からで、ひどく興奮したような声でこう告げた。

「ひーちゃんが・・・ひーちゃんが、瀕死の重傷なんだ!!」

かしゃーんという音が、店に鳴り響いた・・・。

 

電話をもらってすぐ、僕はここ、桜ヶ丘へとかけつけた。
もう遅いからなのか、廊下を疾走する僕に注意する看護婦はなく、程なく手術室へとたどり着いた。
うなだれて床にに座り込む、蓬莱寺。壁にもたれ、腕組みをしながら厳しい顔で『手術中』のランプを睨む醍醐。そして、二人寄り添いあってベンチに座る、真っ赤な目をした美里と桜井。
むこうの観葉植物の影にいる男は、確か中国人留学生の劉という名前だったか。

「一体何があったんだ!」

病院内だというのに、思わず叫んでしまった僕に、醍醐が説明をしてくれた。柳生宗崇---それが、龍麻に傷を負わせた男の名だと・・・。
何故僕はその時側にいなかったのか。胸の中を後悔が渦巻く。
彼らが一緒だったのだ。おそらく僕が側にいたとしても何もできなかっただろう。それでも心は、自分を責めずにはいられなかった。

 

しばらくして数人が病院へと駆け込んできた。他の仲間にも連絡をとっていたらしい。壬生や藤咲、雨紋達---彼らの顔は一様に蒼ざめ、唇が震えていた。きっと今、僕も同じ顔をしているのだろう。

---どこかですすり泣く声も聞こえる。

そのとき、フッっとランプが消え、静かに手術室のドアが開いた。駆け寄る僕たちに岩山先生は、その巨体に疲れをにじませ、「なんとか、一命は取り留めた。」と、告げた・・・。

 

岩山先生と、高見沢に病室まで運ばれた龍麻は、薬が効いているらしく、まだ眠っていた。
目覚めるまで側についていたい、そう口々に告げる僕たちに、岩山先生は、おおげさに顔をしかめながら答えた。

「一体今、何時だと思ってるんだい。しかもこんなに大勢で。病室で騒ぐんじゃないよ、まったく。付き添いは1名だけだ。女どもは親が心配するだろうが。帰った帰った。」

結局、家族が心配するだろうからということで、一人暮らしの僕が、付き添いに着くことになった。美里は最後まで未練たっぷりだったようだが。

 

静かな部屋の中、時計の針が時を刻む音だけが聞こえる。カーテンのすき間から、部屋に差し込む月明かりが龍麻の顔を照らす。---どことなく苦痛をにじませたようなその顔は、青白く、まるで死人のように見える---胸がひどく痛む。僕の心の中で、憎しみと悲しみが渦巻く。

他人に対してこれ程の憎しみを覚えたことなど、かつてなかった。こんな龍麻の姿を、僕に見せた柳生という男---姿を知らぬその男の刃が、龍麻を貫く瞬間を思うと、心に闇が沸き上がり、僕を追い詰める。
思わず僕はベッドの龍麻へと手を伸ばし、彼の手を掴んで握り締めた。そうでもしていないと、彼がどこかへ消えてしまいそうな気がして。・・・そして、僕の心が暗黒へと引きずりこまれてしまうような気がして・・・。

そうしてやっと気づいたのだ。僕にとって、彼、龍麻こそが、「陽(ひかり)」なのだと。人は陽光なくして、生きて行けない。僕は彼を失っては生きて行けないのだ。
少し熱があるのか、龍麻の手は暖かかった。暖かい・・・人の温もりがこれ程嬉しいと思えるなんて。

 

しばらく手を握り締め、静かに目を閉じていた僕の耳に、かすかなうめき声が聞こえた。

「!! 龍麻!気がついたのか!?」

はっと顔をあげた僕は、龍麻の顔を覗きこむ。
その整った顔だちの中でも、ひときわ人を惹きこむ力を持ったその眼が、静かに開かれる。
まだ頭がはっきりしないらしく、ぼんやりと天井を眺めていた龍麻は、数回瞬きした後、突然がばっと身を起こした。

「!! うあっっ!!」

「龍麻!!まだ動いたらだめじゃないか!!」

突然襲った激痛に、再びベッドに倒れ込んだ龍麻を寝かせると、シーツを掛けなおす。

「こ、ここは?」

痛みのせいか、完全に意識が戻ったらしく、首だけを巡らせ問いかけてきた龍麻に、僕は安堵にふぅ、と息を継いだ後、答えた。

「本当に、無事でよかった・・・。心配しなくてもいい、ここは桜ヶ丘だよ。・・・今は何も考えずに、少し休んだほうがいい。」

「美里や京一達は!?」

「ああ、大丈夫、彼らなら怪我一つないよ。もう遅いからね、岩山先生がひとまず家に帰したんだ。」

「そうか・・・。」

ほっとしたのか、龍麻は体の力を抜き、ベッドへと沈みこんだ。なんだかそんな仕草が痛々しくて、思わず彼から眼をそらしてしまう。

「今、岩山先生を呼んでくるから、少し待っていてくれ。」

ベッドから離れ、腰を浮かせた僕に、

「待って!!」

と、沈痛な声が掛かる。

「どうしたんだ、何かして欲しいのかい?」

「・・・・・・側にいてくれないか・・・」

涙で潤んだような眼差しで、僕を見つめ呟く龍麻。どうしようもない程の愛しさが込み上げてくる。

「・・・君が、そういうのなら。もうしばらくここにいるから、…安心して眠るといい。」

不安ならこうしているから・・・そうして再び龍麻の手を握りしめる。

---だが、本当は違う。不安なのは僕の方。君を感じていないと、この心の闇から抜け出せない。

そんな僕の心の内には気付かない龍麻は、僕のその言葉と、手の温もりに安心したのか、再び眼を閉じ、眠りへと落ちていった。

 

規則正しい寝息が漏れ出した頃・・・。先程とは違う穏やかなその寝顔に、僕はそっと近づき、髪に触れる。そうして、額へ・・・まぶたへ・・・頬へ・・・そして、唇へと口付けを落としていった。

青白い月明かりの下、僕は君の耳元で静かに囁く---
「今は、今この時だけは、何も考えずにお休み・・・」と・・・。
君の温もりを感じながら------

 


The End

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