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−−Happy Birthday to You dear….
「はあ……。死ぬかと思った」 邸中を埋め尽くすかと思われる人の波からかろうじて抜け出した彼は、今頃家主が消えたことで大騒ぎになっているであろう私邸を振り返った。 この時期は毎年こんな調子だが、それにしても今年はすさまじい状況になっている。早朝にたたき起こされたときから嫌な予感はしていたが、どうやら的中したらしい。 「今日が休みの日、ってのが間違いなんだよ。ったく、よそでやれよな」 王宮に向かって歩き出しながらぶつぶつと呟くが、こればかりは仕方がないだろう。 今日は彼、ロテール・アルヌルーフ=リング・テムコ・ヴォルトの誕生日なのだから。
「ずいぶん疲れてるね。何かあったのかい?」 「あったもなにも、あの客人どもが……ああ、いや、なんでもない」 相も変わらずのんきに秘畢の丘で昼寝を決め込んでいたレンを斜めに傾ききった機嫌のままにたたき起こしたロテールは、疲労と不機嫌の理由を洗いざらい話してすっきりしようとして、はたと肝心のことに思い当たった。 レンに、自分の誕生日のことを話した記憶が、ない。 今日が誕生日だということを知らない相手に、押し掛け誕生日の祝い客にもみくちゃにされたので疲れて不機嫌だ、と言うには抵抗がある。しかも相手は、誰よりもいちばん大切な人だ。 他の誰からも祝ってもらえなくてもかまわない。祝って欲しいのは、レンだけだった。 なのに、相手がその誕生日自体を知らなかったらなんの意味もない。 今年は誕生日がちょうど休日にあたるということで、少しだけ期待はしていたのだ。女友達や友人たちの押し掛けパーティも勃発すると覚悟してはいたが、それさえ抜け出せばレンと共にこの日を過ごすことができる、と。 「ま、いいか。一緒にいられるのは確かだしな」 「え?」 「あ、独り言、独り言」 思わず口をついて出てしまった台詞をごまかしながらも、ロテールの心に一抹の寂しさがよぎった。
「ああ……ほら、見てごらん」 「え? ……雪?」 レンが指差すままに空を見上げて、ロテールは驚愕に目を見開いた。 雪が降るには、まだ少し時期が早い。しかも、ここは真冬でも花が咲き、うたた寝をしても風邪もひかない温暖の地である。 ロテールの知る限り、ここに雪が降ったことはない。丘から降りてみたら下界は綺麗に雪化粧されていた、なんてこともあったのだ。 だが現に今、雪は降り始めている。花びらが散るように空から舞い降りてくる白い雪をロテールは手に受けてみたが、それは指先にかすかな冷たさを残して、溶けて消えた。 花園に、雪がそっと積もっていく。しばらくその光景に見入っていたロテールだったが、何かに思い当たったのか弾かれたようにレンの方に向き直った。 「……あんたの仕業か?」 「さあね? ……うん、そういうことにしておこうかな。こんな誕生日プレゼントは滅多に渡せないだろうし」 あっさりと言われた台詞を、ロテールは一瞬聞き逃した。 が、頭の中で反芻してみて、気がつく。 「……え? 誕生日って……知ってたのか?」 知っていてもらえて嬉しいのか、それとも言った覚えもないのになぜレンが知っているのかが不思議なのか。 二種類の感情が混在した複雑な表情を見せるロテールに向かって、レンは優しい笑みを見せた。 「知ってたよ。祝われ疲れてたみたいだから、気づかないふりしてたけど。改めて、誕生日おめでとう……って、どうしたんだい?」 祝いの言葉を口にした途端、遠慮がちにとはいえ首に抱きついてきたロテールの唐突さに、さすがのレンも驚いたらしい。それでも条件反射のように、抱きついてきた頭を優しく撫でる。 頭にレンの手を感じて安心したのかためらいを吹っ切ったのか、ロテールが小さな声で呟いた。 「……ありがとう。あんたの言葉が、いちばん嬉しいよ」 「そう言ってもらえると嬉しいね。……でも、もう祝いの言葉はうんざりだったんじゃないのかい?」 クスクスとレンが笑う。当然予想された台詞に拗ねた表情を浮かべながらも、ロテールはレンの首に顔を寄せたまま早口に言い切った。 「いちばん言って欲しい人から貰えなかったら、他の奴らからの祝いの言葉なんて、どれも一緒さ」 「わがままな子だね。……ってこらこら、何をしてるのかな?」 そのまま首筋に顔を埋めたロテールの動きを制するように、レンは呆れた声を出す。 手を出して行動を封じようとしたわけではなかったが、それでもロテールは手と唇の動きを止めた。 そのまま、悪戯がみつかった子供のような顔をして、上目遣いにレンの顔を見上げる。 「プレゼント、貰おうかと思って」 「雪が降ってるんだけど?」 「ダメかな」 「さすがに雪が降ってるからね、いくらここでも気温が下がるよ? 風邪ひくのがオチだから、また今度だね」 「ちぇっ……」 「……ぷっ」 心の底から残念そうな表情を見せたロテールの顔を見て、レンは堪えきれずに吹き出した。 そしてそのまま、名残惜しそうにレンの身体から離れていくロテールの顔を捕らえ、唇に触れるだけの軽いキスをする。 「今のは、約束の証だよ。忘れないようにね」 「……当たり前だろ。忘れるもんか」 触れるだけなんてもったいないとばかりにレンの頬に手を伸ばしたロテールは、クスクスと笑い続ける唇を、自分のそれで塞いだ。
雪が、二人の姿を覆い隠す。
−−Happy Birthday for You with Love.
秘畢の丘は、汚れのない銀世界となった。
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The End