□ 炎の季節 □
Aoi Tsuyugiri
『愛』って、何だろう?
愛するって、好きとどう違うのだろう?
いまだにその区別がつかなくて、うろうろしている、俺。
今更あのときの決断を悔やむわけではないけれど。
それだけがわからない。
窓から差し込む陽の光が淡く揺らめく。
王都の木々も、最近めっきり冷え込んできた朝に呼応するかのように彩りを変えていた。
秋。
執務室から見える景色は赤一色で、炎の色を思わせて好きだった。
なんとなく書類を机に放りだして外を眺めてみたくなる。扉を開いて外に出ると、柔らかい風がテラス上に枝をしならせている樹木の葉をなでて行く。ふんわりとまるで羽根のように赤い葉が舞い落ちた。
ふと下を見ると、見覚えのある金髪に顔をしかめる。
近衛兵とか騎卿宮の周りにはたくさんいるはずなのに、どうしてかその存在を最初にみつけてしまった自分に困る。
誰かと話をしているようだが、流石にその内容までは聞き取れはしない。
ただ、相手が女の人だということくらいしか。
当の本人がこちらを向いていないので何とも言えないが、女の人は嬉しそうに頬を染めて語りかけている。
(相変わらず、女には手が早い……)
そういう自分は女の人とは全く縁のない現実で生きてきた。マリア様のように軍事の上官であるというのだけならまだしも、普通の女の人とは相変わらず上手く対処することができない。
その点では、単純に凄いとは思う。
だがあれのレベルは違いすぎる。
許せる範囲を超えているというか。
(女癖が悪い、噂も絶えない、なんて)
説明されても納得したくはないと思う。
それでも。
(ロテール……)
何の気なしにふと名前が心に浮かんでしまう。
視線が行動を追ってしまう。
頭を振って思考を閉ざし、執務に戻ろうかと思ってもついそちらの方に目を向けてしまった。
一瞬、心臓の鼓動が高鳴る。
ロテールがこちらを見上げていた。
女の人はどこかへ行ってしまったのか、もう見あたらない。
どうしたらいいのか分からなくなって呆然としていたら、ふっと優しく微笑まれた。何事もなかったかのように騎卿宮に入っていくロテールを見送って、レオンも部屋に戻ろうときびすを返す。
ほんの少しの寂しさを感じながら。
ゆっくりとテラスへ通じるガラス張りの扉を閉じて、そのまま何をするでもなく外をぼんやりと眺めてしまっていたら、扉をノックする音が聞こえた。
「? 誰だ?」
今日の予定にはたいした用事はなかった。赤炎騎士団の団員がやってくることがたまにあるが、午後に部隊の訓練があるときがほとんどで今日はそれもなかったはず。
そんな考えを思いめぐらせて、体はそのままに扉の方へ顔を向けると入ってきた人物と目が合った。
「っ!」
驚いて硬直したこちらに構わず、ロテールが扉を閉めて近づいてきた。
「なんだ、そんなに驚くことはないだろう」
紫水晶の瞳が面白そうに細められる。のばせば手が届くかという所までやってきて、歩みを止めた彼に言葉を紡がずに視線で問う。
何故来たのかと。
「お前が俺を呼んだから。俺の名前を呼んだだろう」
問いかけではなくきっぱり断定されて、言う言葉を失った。否定することは簡単だが、名前を確かに思い浮かべていたのは事実で。でも、肯定することもなんとなくいやだった。
「……呼んでなんか……」
弱々しく否定して視線を床に落とす。こんな簡単な嘘など、見抜かれてしまうのは分かっている。
「そうか? はっきり聞こえたけどな。音ではない、心の声が」
くすっと小さく笑うのと同時に腰に手をまわされて引き寄せられる。いきなりの動作にまだ慣れなくて、とっさに体の間に手を置いてしまう。そうするとさらに悪戯な光を含んでいる菫色の瞳が正面に来てしまい、嘘をつけなくなってしまう自分がいる。
「俺が側にいなくて、寂しいって思ってた」
「そ、そんなことは思ってなんかいない!」
言った後に、ロテールの思わせぶりな微笑みに自分が巧みな言葉のパズルに騙されたことに気がつく。
「俺の名前を、呼んだだろう」
繰り返し言い切られてもう否定することはできなかった。できることはひとつだけ。そっと肩に顔を埋めて、彼にだけ聞こえる小さな声で囁く。
「気がつくなよ、そんなこと」
ただ、名前を呼んだだけなのに。心の中で。何も考えずに。
「お前のことだから、わかるさ。欲を言えば、その後に俺を愛してるくらい言って欲しいものだが」
「な……莫迦っ!」
耳元でそんなことを甘く囁かれて、思わず腕に力を込めて彼から逃げようとしたが、相変わらずロテールの抱きしめる力にはかなわなかった。
「愛してるよ……」
呟いて頬に軽く接吻。それだけで、レオンは体の力が抜けてロテールの腕に身を任せてしまった。
「俺、は……まだ、お前がそう言うほどよく分かっていないのに……それでも、言い切れるのか?」
どうしようもなくなって、やるせない瞳で見上げると彼は寂しげに微笑んだ。
「分かってる。お前が色々考えていて、その中で俺が一番だってまだ思えないのは寂しいが……」
「す、すまない……」
「謝ることはないさ。そのうち、俺が側にいなければ死んでしまうと思えるほど、俺のことを思ってもらうから。今はまだ、いいよ」
「…………莫迦」
小さく言い返した唇をそっと奪われる。
甘く、痺れるほどたっぷりと口付けされて、溜息をついた。
「まだ、陽は高いぞ」
呟いた声は少しかすれていたが分かったのだろう。ロテールは微笑んだ。
「俺もお前も今日は一日書類整理だ。さぼったって、誰もわかりはしないさ」
騎卿宮の入り口の予定表を通りすがり見てきたのであろう言葉に、反論できなかった。
「一週間に一回だけだって約束は」
「今更やめたくないな」
「だからお前の言葉は信用できないんだ……」
拗ねてそっぽを向いたら、顎を優しく捕らわれて視線を合わせられて。
「愛してる」
その言葉だけは真実だと思えてしまうのは何故なのだろう。
綺麗な紫の色から目がそらせなくて。
こぼれんばかりの光にあふれた蜂蜜色の髪が頬をそっと撫でる。
本当に、こんな自分をどうして彼が好きだと言うのか、理解はまだ出来ないけど。
側に居て欲しいとは思う。
これは、願い。
直接言えるわけではないけれど、そうあって欲しいという。
幸せだと思えるこの時間が、永遠に続けばいいなという。
ささやかな、願い。
F i n ……