うだるような暑さが、じわりとした感覚をむき出しの肌へと与えた。
それでなくても暑いのに、蝉がうるさい。うるさいを通り越してやかましいとしか形容しようがないその鳴き声は、それでなくてもささくれ立った精神をよけいに苛立たせた。
否、それを蝉のせいにするのはあまりにも理不尽だろう。機嫌がよければ、蝉の鳴き声など雑音にもならないのだ。
もちろん、これまた見事な仏頂面を披露している本人にもそれはよくわかっている。そして、つき合いの長い連れも。
「七」
「んだよ」
碑凪武がかけた短い呼びかけに返ってきたのは、植原七央のこれまた超絶に不機嫌な声だ。すぐに返事があったことに、驚いたほうがいいかもしれない。それくらい、その時七央の機嫌は悪かった。
理由は、武にもすぐわかる。この暑い中、無理矢理外へと引っ張り出されたからだ。しかも引っ張り出された先が予備校の夏期講習なのだから、不機嫌に拍車がかかるのも当然だった。子供の頃から面倒くさがり極まる七央は、当然勉強なんてものに熱意を燃やしたこともなければやる気の欠片もない。それでも今までなんとかやってこれたのは、何に対してもしっかりしている武の尽力あってこそだ。尽力が過ぎてすでに過保護の域に足を突っ込んでいるが、それに対して誰も異を唱えたこともなければ本人たちが疑問を抱いている様子もないので、きっとこれでいいのだろう。
そしてこれ以上ないほど不機嫌になりつつ、それでも七央が予備校に一日の欠席もなく通っているのは、これまた武が一緒だからに他ならない。七央の思考回路は、ある意味指摘するのがばかばかしくなるほどわかりやすかった。
もっとも七央の機嫌が悪いことは察しても、武がそこまで客観的に自分たちの姿を見るはずもなく。毛を逆立てた猫のような様子の七央とは正反対に淡々と、暑さなぞ感じていないかのような涼しげな声で注意を促した。
「前、ぶつかるぞ」
「俺がその辺に激突したって、武にゃ関係ねぇだろ」
「……そんなことはないと思うが」
「やかましい、ほっとけ」
口は開くものの、会話を成立させる意図がまるで感じられない。そんな七央の返事を聞いても武は怒ることもせず、何かを探すかのように視線を巡らせた。
七央が何をやりたいかなんて、口にはしないだけで武もよくわかっている。当然、理不尽この上ない言動をしている七央本人にもよくわかっている。つまり、単なる八つ当たりだ。
蒸し暑くて、照りつける強い日差しが邪魔で、吹き出す汗が鬱陶しくて。それだけでも十分腹が立つのに、それでもここにいる自分がこれ以上ないほど腹立たしい。そんなに不快なら家でおとなしく寝ていればいいものを、武が迎えにきたから、一緒にいたかったからという理由だけで炎天下へと足を踏み出したのは七央自身だったから、よけいに機嫌が悪くなる。
予備校は涼しかったしそれなりに勉強も頭に入ったけれど、あとは家に帰るだけという今になって、なんだか理不尽な怒りがわいてきた。七央にとってはそれだけのことだったが、八つ当たりされる方の立場はまるで考えていないあたり片手落ちだ。
だが、武もそんな七央の扱い方をよく知っている……というよりは、長年のつき合いから嫌でも学びとっている。巡らした視線の先に目当てのものを見つけると、真面目くさった顔をしてふたたび口を開いた。
「七」
「だから、なんだっつーの」
武が絡むこととなると余裕の欠片もなくなる、七央の無愛想な声が即座に返ってくる。耳に慣れたその音色に少し目元を和らげると、武は真面目な表情のままコンビニの看板を指差した。
「アイス、食べるか?」
「───食う」
途端に、今にも爆発しそうだった声色までおとなしくなる。
結局のところ子供となにひとつ変わらない七央には、餌付けがこれ以上なく効果的だった。 |