〜 W a t e r G a r d e n 〜

 

 

 

 


 

 

 少年はきらきらと光る石を、何の感慨もなくただ見つめていた。

 

 

−1−

 

 

 カインがふらりと外へ足を向けたのは、満月が南天高くにかかった時刻だった。

 

 別に何か目的があったわけではない。ただ、部屋の中にいたくなかっただけだ。

 物心ついたときからあまり他人と接したことのない彼にとって、何人もの人間が一緒に寝泊まりする大部屋は、決して居心地のよい場所ではなかった。

 ひとりには、慣れている。いや、慣れざるをえなかった。両親は健在だったが、彼らは家にいない時の方が多かった。カインにとって家族と呼べるのは、今はもうこの世にはいない乳母だけだったのだ。

 騎士や騎士見習い達が住む寮の外壁をちらりと見て、カインは小さく息を吐く。1つの部屋に6人もの他人が寝ている状態というのが、そもそも彼には信じられない。

 どちらかというとカインは、人の気配がすると眠れないほうだ。決して神経質なわけではないのだが、どうしても寝付くことが出来ない。

 だからといって、今のこの立場では1人部屋など望むべくもない。しかし、睡眠をとっておかねば翌日に影響が出る。はじめの頃は我慢して寝不足のまま過ごしていたが、体力の限界を感じてきた時から、カインは夜中に部屋を抜け出すようになった。

  陽が昇る前に部屋に戻っておけば、誰も抜け出したことには気づかない。幸い寮の外には庭がある。訓練にも使えるように、との配慮でかなりの広さを持つそれは、林と言っても遜色のないほどの規模を誇っていた。

 毛布を小脇に抱え、足音を立てずに歩く。夜中に部屋を抜け出して安眠を求めるようになってから何度となく歩いた木々の間の道は、ほのかな月明かりだけでも判別できた。

 この道がどこに続いているのかも、カインは知っている。騎士団の寮内にあるというのに、誰も訪れることのない小さな泉。こんこんと清水が湧き出るその泉のほとりが、ここ何日かのカインの寝床だった。

 春とはいえ、夜はまだ冷える。毛布一枚を夜着の上に羽織っただけでは肌寒いはずだったが、さほど気にはならなかった。温室でもあればさすがにそちらのほうを仮の宿にしただろうが、そんな便利なものはない。それに、カインにとって水辺というのは、たとえ寒くても落ちつける場所だったのだ。

 遅咲きの桜が散り、泉を彩る。若々しい緑の若葉と薄紅色の花びらを視界におさめ、カインがそっと目を閉じようとしたその時。

 泉の向こうに、虹色の光が生まれた。

 

 

 カイン=ゴートランドが蒼流聖騎士団に騎士見習いとして入団したのは、ひと月ほど前のことになる。

 

 

−2−

 

 

 無視して目を閉じてしまえばよかったのか、それともその光に惹かれるべきだったのか。

 未だに、彼はその問いに答えることはできない……。

 

 

「……今日はかわいらしいお客さんが多い日だな」

 毛布を被ったまま光が生まれた潅木のしげみへと近寄ったカインの耳に、いきなりそんな声が飛び込んできた。

 突然のことに、びくりと身体を震わせる。まさか何もないところから突然光が生まれたとは思っていなかったが、そこに人がいるとは思っていなかった。

 無意識のうちに小さくなりながらも、頭の隅で冷静に考える。今、聞こえた声が言っていた「お客さん」とは、はたして自分のことなのだろうか?

 ……いや、「多い」とも言っていた。お客さんが多い日、と。ということは、自分とこの声の主以外にも、ここに何かがいるということだ。

 このまま、しげみから出ていってもいいものなのだろうか。

 小さくなったまま悩むカインの耳に、また今度は違う音が聞こえた。

「みゃあ」

「え……猫?」

 鳴き声に驚き、思わず口を開く。

 そのカインの声を聞きつけたのか、しげみの向こうから小さな子猫が顔を覗かせた。

「みゃあぁ」

「こら、ちょろちょろするんじゃない。さっきまで動けなかったこと、忘れてるな?」

 ついで、大人のものらしい手が見える。

 その手が子猫の頭をやさしく撫でると、子猫はしげみの向こう側に顔を向け、甘えるように一声鳴いた。

「みゃぅ……」

「はいはい、わかったよ。ねえそこの君、この子が君に遊んでほしいんだって。つき合ってやってくれるかい?」

「え……?」

 姿は手しか見えないまま、しげみの向こうから声が聞こえてくる。その手が子猫を抱き上げたと思うと、今度は手の持ち主の上半身が現れた。

「やあ、はじめまして、坊や」

「みゃあぁ?」

 声の主の子猫が、同時に声をあげる。

 月明かりの下で、子猫を抱き上げたままのほほんとした笑顔を見せたのは、表情ののんきさと格好の物騒さがまるでつり合わない、全身黒ずくめの青年だった。

 

 

 子猫が、身軽にカインの肩に飛び乗った。

 ぺろぺろと自分の前足をなめる。まるでその足をかばっているかのような動作にカインが首を傾げると、横に座を占めた黒ずくめの青年が、なんでもないことのように説明してくれた。

「その子かい? 狩猟用の罠にひっかかって、右の前足の腱が切れてたんだよ。もう半分乾いてるから暗くて見えないけどね、ここの裏側、けっこうすごい状態だったよ」

「腱が切れてるのに……なんで、こんなに元気なの? それに……傷もない」

「そりゃ、治したからだよ。魔法でね」

「魔法……」

 言われてはじめて、そういえば、と思い出す。

 魔法。攻撃魔法ばかりだけでなく、治癒魔法もあるのは当然だった。

 自分はまったく治癒魔法……法術を使えないので、思いつきもしなかった。法術に興味もなかった。

 だが、カインはふと先ほどの虹色の光を思い出した。

 もしかしてあの光は、治癒の魔法の光だったのだろうか?

 そう考えると、興味が湧いてきた。相手はこんな真夜中に、誰もこないはずの泉のほとりにいた極めて不審な人物ではあったが、よくよく考えれば自分も同じ穴の狢であることだし、何より……好奇心が疼いたのだ。

 子猫を肩に乗せたまま、カインは隣に座る青年の顔を降り仰ぐ。

「……お兄さん、法術、使えるの?」

 カインの問いに、青年は一瞬なんて答えるべきか迷ったようだった。

 もっとも、それはカインが気づかないほどのわずかな逡巡だった。何気ない表情を見せて軽く首を傾げると、手元にあった小石をぽんと軽く泉に向かって放り投げる。

「んー、法術魔術、一通りはね。坊やだって騎士団にいるんだから、リカバリィくらいは使えるだろう?」

「ううん……法術は、全然使えない」

「おや? ……そうなのかい? おかしいなあ、その割には魔力のキャパシティは大きいようだけど……」

 水の中へ沈んでいく小石を見つめながら小さく首を振ったカインを意外そうに眺めた青年は、軽く首を傾げて独り言のように呟いた。

 その独り言を耳にしたカインは、聞き慣れない単語に目をぱちくりとさせる。

「きゃ……きゃぱしてぃ???」

「うーん、坊やにはちょっと難しかったかな。まあ、魔力のいれものと思ってくれればいいよ……魔術は使える?」

「うん。火の魔法はダメだけど……他のなら。でも、いちばん使えるのは水の魔法、かな?」

 使える魔法をひとつひとつ律儀に頭に思い浮かべながら、カインは自分の得意な魔法系統を口にした。実際に口に出してみてから、自分が蒼流騎士団所属だったことを思い出す。ちゃんと魔法の適性で分けられていたことに、今更のように気が付いた。

「なるほど、坊やの属性は水か」

「……そうなの? 母さんは、水の魔法が得意だったけど……」

「魔術の属性は、別に遺伝じゃないからね。坊やの努力次第によっては、苦手な属性の魔術も使いこなせると思うよ。その歳で騎士団所属ってことは、将来を有望視されてるってことだろうしね」

「ホント? ……あれ? ねえ、僕、騎士見習いだって言ったっけ?」

 将来を有望視されているという言葉に単純に嬉しくなったカインだったが、ふと肝心なことに気が付いた。

 自分はこの青年に、名前どころかなぜこんな場所にいるのかすら言っていない。相手が聞いてこなかったからなのだが、それなのにこの青年は、カインが蒼流騎士団の騎士見習いであることを知っているような口振りで話している。

 カインが青年の名前も立場もここにいる理由も知らないのと同様に、青年もカインの名前も立場もここにいる理由も知らない筈だった。なぜだかわからないまま、それでも相手を警戒しようとは思わない自分の心も不思議だったりするカインの複雑な表情を見て、青年は「警戒するだけムダ」と相手に思わせる無邪気な笑顔を見せる。

「こんな夜中に、毛布を被った坊やくらいの歳の子供が蒼流騎士団の寮の庭にいたら、普通騎士か騎士見習いだと思うよね」

「……じゃあ、お兄さんは? 蒼流騎士団の人には見えないけど……」

「俺? 俺は、近衛騎士だから」

 あっさりと答えは返ってきたが、それはそれでまた問題があるような気がする。

「なんで近衛騎士の人が、こんな時間にこんなとこにいるの?」

「子猫の鳴き声に呼ばれてね」

 脈絡があるのかないのかわからない答えにしばし頭を悩ませていたカインだが、やっと納得できそうな結論に達したのか、上目遣いにそっと青年を見上げて呟いた。

「……もしかしてお兄さん、変な人?」

 初対面の大人をいきなり「変な人」呼ばわりして、もしかして怒られるかもと思ったカインだが、青年は相変わらずのとらえどころのない笑顔で微妙な訂正を入れただけだった。

「『変な人』ねえ。悪くはないけど、できればせめて『変わった人』って言ってくれるかな?」

「……それ、どこか違うの?」

「全然意味が違うの」

「ふ〜〜ん……」

 頷いてはみたものの、やっぱり違いはよくわからない。

 それでも単なるヒマつぶしかもしれなくても、10歳以上年下の子供の相手を真面目にしてくれるこの青年の印象は、カインの中ではかなり良かった。

 両親は、ほとんどと言っていいほど子供を気にかけてはくれなかった。人付き合いが苦手なせいで、友達もほとんどいない。騎士団に入ってしまった今となっては、まわりはすべて大人である。同じくらいの年齢の子供がいたとしても、きっと自分からは心を開いたりはできないのだ。

 カインにしてみれば、ちゃんと自分を見て話をしてくれる人に会ったのは久しぶりだった。人付き合いが苦手なだけで、別に人間が嫌いなわけではない。話したくても話せない毎日を送っていたカインにとって、黒ずくめの青年とのこのひとときは、ある意味貴重なものだった。

 たとえ、それがどんなに怪しげな変な人でも。

 

 

−3−

 

 

 青年は、本当にいろいろな魔法を知っていた。

 威力が大きいのはここでは危険だから、と属性別の初歩魔術・法術を一通り見せてくれた。同じ魔法を唱えても、やりようによっては威力を意図的に小さくしたり、効果を大きくしたりできるのも面白かった。そして、青年がすぐにカインにもこれくらいできるようになる、と言ってくれたのも嬉しかった。

 泉に向かって小さなレイ・ボウを飛ばして虹を作ってみせた青年は、同じように威力を調節しようと四苦八苦するカインを微笑ましそうに見つつ、彼に声をかける。

「でも、もったいないなあ。法術、誰も教えてくれなかったのかい?」

「うん……母さんが、魔術以外は別に覚えなくてもいいって……」

「お母さん、魔術師?」

「そう。家にいるときなんてほとんどなかったけど、僕が新しい魔術を覚えると、嬉しそうな顔で喜んでくれたんだ。『さすが私の息子だ』って言って」

 というか、カインが覚えている母の姿は、それしかなかった。

 きっと、子供のことはほとんど頭になかったのだろう。物心ついてからカインが母親と話したことといえば、ほとんどが魔術のことだけだ。

「この髪も、母さんが『髪には魔力が宿るから、伸ばしなさい』って」

「へぇ……お父さんは?」

「父さんも、ほとんど家にいなかったよ。母さん以上に家には寄りつかなかったな……喜んではくれたけど」

 父親とどんな話をしたか思いだそうとして、まったく思い出せなかった自分にカインちょっとだけ驚いた。

 でも、カインにとってもっとも身近であるはずの家族とは、そんなものだったのだ。友達のことを話したこともなければ、なんてことのない雑談をした覚えもない。魔術という仲介がなかったら、それこそ言葉を交わすこともなかったかもしれない。

 それがカインにとっての当たり前だった。

「なるほど……坊やは、お父さんとお母さんに自分を見てほしくて、魔術を勉強したんだね」

「うん。……え? 今、なんて……?」

 だから、父親との会話を思い出せなかった時よりも、出会ったばかりの青年の一言のほうに驚いた。否、出会ったばかりの青年の一言になんの違和感もなく応えを返した自分の心に、驚いた。

「やれやれ……無意識のうちに頷くほど両親に振り向いてほしかったのに、今まで気づいていなかったのかい?」

 優しい笑顔にちょっとだけ苦笑を滲ませた青年の顔を、カインはまばたきをしなが見つめ返すことしかできなかった。

 

 

「物わかりが良すぎるのも問題ありだね。わがままが聞き入れられるのは子供の特権だよ。大人になったら、そうそうわがままも言ってられなくなるからね……」

 言い聞かせるように、なだめるように、慰めるように、青年の声は優しい。

「でも……父さんも母さんも忙しいし、いっつも家にいないし、寂しくても誰もいないし……だったら、慣れるしかないでしょ? 魔術の勉強さえしてれば、忘れられることはないと思うし……」

 頭を撫でてくれる青年の手の温かさを感じながら、カインは心の中から建て前を探す。

 本音は、さっきわかってしまった。今まで寂しくなんかないと思っていただけで、本当はいつでも両親に振り向いてほしかったことに気づいてしまった。

 それでも多分、今後も両親はカインに意識を向けてくれることはないだろうし、自分がそう簡単に両親に変わる存在を見つけられるとも思えない。変われないのなら、元に戻るしかないのだ。

 どこまでも不器用な少年の葛藤を目の当たりにして、青年は軽くため息をついた。

「まったく……坊やくらいの歳の子供の言う台詞じゃないよ、それは。両親に愛情を求めるのは、別に何も悪いことじゃないんだからね。わかってる?」

「でも……」

「じゃあ、俺がお父さんとお母さんのかわりに、坊やのことを見守っていてあげるよ」

 さりげなく言われた言葉に、カインは弾かれたように青年の顔を見上げた。

「……え?」

「幸か不幸か、けっこう暇人なんだよね。寂しくなったら、ここで俺を呼んでごらん。どんな話でも、聞いてあげるから。いつでも、坊やのことを見ててあげるから」

「……ホントに? ホントに、ホント?」

 じっと、青年の顔を見つめる。何を考えているのかわからない笑顔ではあるが、冗談を言っているわけではないことはわかる。本気で、甘えることも寂しいと言うことも知らない子供の心の支えになろうと言っているのがわかる。

 この際、きまぐれでもなんでもよかった。この人なら、途中で自分を見捨てることはしない。子供ゆえの直感に頼ってしまうほど、カインは独りでいることに傷ついていたのだから。

「本当に。今日から坊やは俺の弟だよ、カイン?」

 ぎゅっと首にしがみつく少年の頭を優しく撫でながら、青年は続ける。

「坊やが本当に大切な人を見つけるまで……ね」

 

 

−4−

 

 

「鍛えがいがありそうだけど……さすがに、闇の魔法までは教えるわけにもいかないしなあ」

 寮の建物へと帰っていく少年の後ろ姿を見つめながら、全身黒ずくめの青年はぽりぽりと頭を掻いた。

 そして、背後の暗闇に向かって声をかける。

「そうだろう、アラン?」

「当たり前です。冗談でもそんな物騒なこと、仰らないでください」

 その呼びかけに応えるかのように、誰もいないと思われた木々の影から別の青年の呆れ返った声が聞こえてきた。

 声から少し遅れて、暗闇の中から姿が現れる。青年と同じタイプの制服を着たアランと呼ばれた彼は、上司の冗談だかそうでないのかわからない戯れ言に眉をしかめてみせる。

 そんなアランの表情を見るともなしに見て、青年……漆黒の聖騎士レン・ムアヴィアはのほほんと笑った。

「……ホントに、とことんマジメだねえ。少しは気を抜かないと、まだ20代だっていうのに、禿げるよ」

「ええ、私の髪が白くなったり禿げたりしたら、間違いなくレン様のせいですね」

「ひどいなあ」

「大体、なんだってこんな真夜中に蒼流騎士団の寮の庭なんかで油を売ってるんですか。私はずぅっっと王宮内を探していたんですよ!」

 大声で怒鳴りつけたいところを精一杯声を小さくして堪えている黒翠の聖騎士の気持ちを知ってか知らずか、カインが消え去った方に視線を投げつつレンは呟いた。

「ちょっと……傷ついた子猫がいてね」

「子猫?」

「そう。……2匹ほど、ね」

 またか、とあきらめ半分のため息をもらすアランの肩を軽く叩いて、レンはクスクスと楽しそうな笑みを漏らす。

 2人の青年の足下で、子猫が幸せそうに一声、鳴いた。

 

 

 

 少年はきらきらと光る小石をそっと手のひらで包み、かすかに笑顔を見せた。

 


Fin・・・・・

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