惑星異聞【白】 2-9

「……やれやれ」
 勢いよく開け放たれたままになっていた部屋のドアが、ゆらゆらと揺れている。
 その揺らめきを見るともなしに眺めて、リーンは静かにため息をついた。
 予想通りなのか。
 それとも、予想以上なのか。
 どちらにしろ、これからが本番。
 今、ここで呆れている場合ではない。
「リーン? どうしたの?」
「ん? なんでもないよ」
「そう……?」
 いつの間にかすぐ側にちょこんと座り込んでいたメイが、瞬きをしながらリーンの顔を見上げていた。わずかに首を傾げているところを見ると、リーンの返答に納得はしていないようだ。
「ま、それもそうか」
 リーン自身、それでごまかせるとも思っていない。
 メイはいろいろな部分が実年齢より幼いとはいえ、感覚そのものは鋭い子だったから。
 それに。
「リーン?」
「後でちゃんと教えてあげるよ。さて、メイ。準備しようか」
 時間がない。やることは山積している。
 にこやかな笑みを作ると、リーンは目を丸くしているメイの手を取って立ち上がらせた。
 リーンの笑顔を見て、メイもふわりと笑う。
「うん」
 今のメイにとって、リーンは唯一信頼できる存在。
 それはリーンもよく知っていた。今までメイの身の安全を守ってきたのは、他でもないリーンなのだから。
 そして、その信頼を裏切る気もない。
 ポケットの中から小さい透明な石を取り出して、リーンはもう一度笑う。
「さっきのお兄ちゃん、なにやらかすかわからないからね」
「はぁーい」
 言われた意味を理解しているのかいないのか、楽しそうに笑っているメイの頭を笑顔で撫でて。
 リーンは、部屋のドアを静かに閉めた。
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惑星異聞【白】 2-8

「まあ、いいです。素人の僕があれこれ口を出すよりは、これごとあなたにお任せしたほうがよさそうですしね。はい、どうぞ」
 それでも必要事項は伝えたと判断したのか、やはりリーンはため息ひとつですませると、地図をシヴァへと差し出す。それをつい勢いで受け取ってしまってから、シヴァは複雑な表情を見せた。
 ……まあ、楽が出来たと思えばいいのだが。
 よくわからないが、なにかが釈然としない。
 だが、シヴァにはそれについて考え込んでいる余裕もなければ、そもそもそれをするための適性もなかった。つまり、やろうとするだけ無駄ということだ。
 結果として。
「お……おう、サンキュ。んじゃ、とにかくこのセキュリティセンターさえ押さえときゃ、ホテル内をアテもなくかけずり回る必要はねぇってことだな」
 シヴァは深く考えずに、先を急ぐことにした。
 地図をざっと見た様子では、監視カメラのポイントもすべてチェックしてある。死角となる場所がほぼないように計算されているらしく、これを一元管理できるのならば、たとえメイを狙っている連中が入り込んできても早期発見が出来そうだ。
「監視カメラが生きてれば、そうなりますね」
 冷静に、リーンが付け加える。できることならあまり考慮したくなかった点を指摘されて、シヴァは口を歪めた。
「死んでる監視カメラなんざ、モノの役にも立たねーじゃねぇかよ」
「ですから、発覚を遅らせたい相手がまず最初に潰そうとするんじゃないですか」
「わかってるっつの。オレだって、自分が忍び込むならそーするしな」
 もし監視カメラの機能が停止している箇所があったのなら、それはそれで痕跡のひとつとなる。その近くに、見つかってはまずい者が潜んでいるという証拠だ。
 とにかく、早くセンターへ行くべきだろう。どうせ、このホテルに詰めている警備員は、リーンが盛大な罠を仕掛けていることなど知らないのだ。
 地図をつかみ、シヴァはそのままきびすを返して部屋を出ようとする。その背中に、リーンの声がまたしても追い打ちをかけてきた。
「それで、どうしますか? メイと僕もついていったほうがいいんでしょうか」
「勝手にすりゃ……うがー、そういうワケにもいかねぇのか?」
 シヴァが優先すべきことは、依頼人の安全。だが、素人を連れていては上手く動くことができそうにない。
 いつもであれば相方に任せてしまえることもすべて自分で処理しなければいけないことに、シヴァはもう何度目になるかわからないもどかしさを感じる。
「僕が知るはずないじゃないですか」
「だああ、なんかあったら連絡すっから! それまで、ここから一歩も動くな。いいな!?」
「非常事態になったら?」
 面倒になって適当に怒鳴ったら、またしても冷静な問いが返ってくる。答えなければならないのもいちいち面倒だが、自分で考えるよりははるかにマシだった。
「そりゃ、安全第一だ。さっさと逃げろ」
「アバウトですね……まあ、わかりました」
 リーンが、肩をすくめる。
 今度こそそれを完全に無視して、シヴァはドアを蹴破る勢いで部屋を飛び出した。
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惑星異聞【白】 2-7

「それはいいんですけど、その前に僕の話も聞いておいてもらえますか。せっかく調べてきたんですし、実際に使うかどうかはともかく伝えておかないともったいないですから」
 奪い取るつもりだった地図が、シヴァの指先を掠めて遠ざかっていく。腹立ちまぎれに伸ばしたシヴァの手から身軽に逃れて、リーンはにこやかに笑った。
 苛立ちを隠そうともしないシヴァの視線は、鋭いを通り越して物騒なものに近い。直視されれば大抵の人間は自らに否がないことを知っていても謝りたくなるし、できることなら視線を外してその場を逃げ出そうとする。
 シヴァは、それを自覚している。それなのに己の手が届く範囲から遠ざかっただけでリーンが顔色ひとつ変えなかったことに、かなり意表を突かれた。
 そんなシヴァの戸惑いにはおそらく気づいていないのだろう。手際よくホテルの地図をテーブルの上へと広げたリーンが、一点を指差す。
 言うことを聞く気はまったくなかった。なのについ指の動きにつられて指定された箇所へと視線を移したシヴァは、目を瞠る。
「セキュリティを一括管理しているのは、ここですね。地下です。」
「……用意いいじゃねーか、オマエ」
 詳細に描き込まれた地図のあちらこちらには、明らかに手書きで後から印がつけられていた。
 余白にはナンバーとメモが書き加えられている。どこで聞いてきたのかは知らないが、この詳細地図だけでなく本来であれば決して部外者などには流出しない情報を、リーンはきっちりと事前に入手してきていたらしい。
 別に、めずらしいことではない。今まではパートナーが普通にやっていたことだ。ただ、シヴァがそんなことを思いつきもしなかっただけで。
「あのですね。僕がなにも考えずにメイと自分を囮にしたとでも思いましたか?」
 そして、シヴァは気づかない。
 いくらサポート役を務めてくれるという話になっていたとしても、なぜメリー・ウィールのメンバーでもないのにそんな特殊なデータを手に入れることができたのか、ということには。
「あたりまえじゃん」
 だから、普通にうなずく。
「ほんっとーに、聞いたとおりの方なんですね」
 さすがのリーンも、とうとう呆れた表情を見せた。
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惑星異聞【白】 2-6

「……おい」
「一応、これをどうぞ。シヴァさんにとっては、あってもなくても同じような気もしますけど」
 大体の構造なら、建物そのものを見ればわかる。少なくともホテルのパンフレットに載っているような館内案内図なら見るまでもない。シヴァにとっては、そうだった。
 だが、今見せられているこれは違う。かなり大きな紙に描き込まれているその内容は予想以上に細かい。
 公開されている見取り図に、配線状況やセキュリティに関するデータなどあるはずがない。それなのに目の前にあるそれには、本来であれば決して公にはされないようなデータがきっちりと描き込まれていた。
「同じじゃねぇよ。コレ、どこで手に入れた?」
「秘密です」
 それは、新聞やパンフレットと同等のものではない。室内に置かれた非常用案内図などとは比べものにならないほど、重要なものだ。
 それなのに、そんなものをどこからともなく調達してきたリーンは、にこにこと曇りのない笑顔を見せている。
「……このクソガキ」
「はい?」
「なんでもねぇよ、それよこせ!」
 この出会ったばかりの少年を殴りつけたい衝動を抑えるのに、シヴァはめったにしない努力をする羽目になった。
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惑星異聞【白】 2-5

 後手に回るわけにはいかない。となれば、今すぐにでも動くしかない。
 そのまま反射的に、シヴァは踵を返す。向かう先は、ホテルのフロント。
 この広いホテル内、野生の勘で動くにも限界がある。詳細な見取り図を今すぐにでも手に入れる必要があった。
 それなのに。
「……ッ!?」
「落ち着いてください、シヴァさん。そんなに急いでどこへ行くんです?」
 片腕で、止められた。
 引き止められるなんて、思っていなかった。正確には、たとえ引き止められたところで自分の足が止まるはずがないと、シヴァはそう思っていた。
 なにを言われても聞く耳は持たないつもりだったし、手加減なしで飛び出した以上力ずくで止められるわけがない。シヴァが一目置いているあのアレーンですら、力ではシヴァに敵わないのだ。
 だが。
 幻覚でもなんでもなく今、リーンはその細い右腕一本で、シヴァの動きを止めている。
 ただ、シヴァの二の腕を軽く掴んでいるだけなのに。
「……おい」
「はい?」
「どーゆーコトなんだよ、コレは? 説明しやがれ。ありえねぇだろ、絶対」
「少しは人の話聞いてくださいってことですってば」
 目の前の小柄な少年が見せている笑顔は、問い詰めても崩れない。だが質問に素直に答える気はまったくないらしく、まったくもって思い通りに事態が進まないことにシヴァの苛立ちはますます募る。
 それでも、動けない。抗いようのない力が、シヴァをその場に縫い止めていた。
 そうなってしまうと、シヴァにできることは怒鳴ることだけだ。
「いーから手ぇ放せっての! モタモタしてるヒマはねぇんだ……あ?」
 そして、それも途中で力を失う。
 なぜなら。
「まあ、無理無茶無謀をあくまで貫き通すっていうのもたまにはいいんですけどね。どうせならマップくらい見ていったらどうですか?」
 リーンが、空いている方の腕を軽く振っている。
 その手によって掲げられている紙には、シヴァの目にもこのホテルの見取り図が描かれているように見えた。
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惑星異聞【白】 2-4

「だああっ、ンなトコでのほーんとしてる場合じゃねーじゃんか!」
 守るべき対象が己を囮にしていたという事実は、まあいい。常識的に考えるとまったくよくないが、守るべき対象をシヴァ自身が囮として使ったことは過去何度かある。特に怪我をさせたりしたわけではないが、当然その後シヴァは減俸処分をくらった。
「そうとも言いますね」
 なにやら大きめの紙を広げつつ平然とそう言い切った依頼人に、万が一のことがあってはならない。それは鉄則だ。同じコマンドのパートナーであれば怪我をさせようが少々いきすぎて再起不能に陥らせようが減俸で済むが、依頼人になにかあってはメリー・ウィールの信用にかかわる。そんなものがあるのかと問われるとシヴァには何も言えないし、そもそも仕事の相棒を再起不能にするのは減俸で済むような問題でもないのだが、とりあえずシヴァがこのままではまずいと危機感を覚えただけでも上出来だ。
 少なくともシヴァの目の前にいる少年は、根性はすわっているし度胸もかなりありそうではあったが、爆発に巻き込まれたときにケガひとつせずにすむほど頑丈にはとても見えなかった。
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惑星異聞【白】 2-3

「つまり、どーしろって?」
 わからないことは聞くに限る。コマンドである以上は素人である依頼人に弱味を見せられない、などという思考はシヴァにはない。そんなプライドにこだわるつもりはないというよりは、今までそんなことを考えなければいけない立場になったことがなかった。
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